医学界新聞

 

ハーバードレクチャーノート

連載 第9回 白血病の子どもを救ったヒーローたち

浦島充佳(ハーバード大学公衆衛生大学院)


 1999年7月ボストンのフェンウエイ球場でオールスターゲームが開催されました。始球式には1950年代に4割6厘の打率を誇った地元レッドソックスの偉大な打者テド・ウィリアムズがあたりました。彼の偉大なる点は野球だけでなく癌の子どもたちの大きな支えとなり続けてきたことでもあります。この時テドにとってもう1つうれしいことがありました。それは化学療法によって初めて白血病が完治した最初の患者ジミーとの対面(写真)でした。

 

「化学療法の父」

 白血病の子どもを治したヒーローたちの話は1947年にさかのぼります。戦後ポール・エーリッヒが梅毒を退治する魔法の薬を発見したのをきっかけに,多くの科学者が癌の特効薬を探していました。ハーバード小児病院の病理学者であったシドニー・ファーバー博士は1948年,今から52年前,ハーバード大学医学部の予防医学講座のジョージ・フォリー博士とともに,「巨赤芽球性貧血と葉酸欠乏が疫学的に関連していること」,「白血病の骨髄病理はあたかも巨赤芽球性貧血と逆にみえること」から16人の小児白血病に対して葉酸拮抗剤であるアミノプテリンを使用しました。そしてそれまで不治の病であった白血病の子ども10人までもが寛解に入ったのです。
 その中にジミーもいました。彼は当時12歳の少年で,のどの痛みと発熱が5日前から続くため入院となりました。状態は悪く頚部リンパ節腫大と骨髄に16.4%の芽球を認めています。末梢白血球数は480/μlとむしろ減少していました。これは白血病というよりは悪性リンパ腫の骨髄転移と考えたほうがよかったかもしれません。アミノプテリンを1回筋注され一旦退院となっていますが,2か月後骨髄再発して入院となっています。この時は骨髄にて96%の芽球を認め,4回のアミノプテリンの筋注を行ない寛解を確認しています。
 このことをきっかけに「化学療法で癌を治す」ことを目的に今から53年前にハーバード附属ダナ・ファーバー癌研究所が発足したのでした(写真)。現在小児の白血病は5-7割が治る時代となりましたが,当時白血病は不治の病であり,「白血病の子どもが化学療法で寛解に入った」という話はセンセーショナルであったと思われます。さらにファーバー博士はウイルムス腫瘍の小児に手術だけでなく,アクチノマイシンDと放射線療法を加えることにより非常に高い寛解率を得,「化学療法の父」と呼ばれるようになりました。感染症に続き,子どもの癌が治り得る時代に入ったのです。

草の根の活動が子どもたちを支える

 1948年ラジオキャスターであったエドワードが白血病のジミー少年の病室から「みんなでこの子どもたちを助けよう!」と募金を呼びかけたところ,実に多くの人々からの寄付がありました。これがダナ・ファーバー癌研究所の臨床および基礎研究を支える「ジミー・ファンド」の始まりです。最初は草の根活動的な募金運動でしたが,子どもたちのヒーローであるレッドソックスの野球選手が大きな支えとなってきました(写真)。
 特にテドはダナ・ファーバーの癌の子どもを励ますことに関しては熱心でした。しかしジミーの苗字は患者プライバシーの問題で伏せられていたため,ジミーが生きているのか,実在する人物なのかもわかっていませんでした。
 ところが,最近それは「私である」とジミー自ら名乗り出たのです。今回もテドはジミーと対面し,そのままダナ・ファーバーの癌と闘う子どもたちを励ましにいっています。これは癌の子どもたちにとってどんなに大きな励みとなることでしょう。ジミーは65歳,テドは80歳を超えていましたが,子どもと握手する手からは“早くよくなるんだよ”という熱いメッセージが伝わっているようにさえ見えます(写真)。ジミーもすでに3人の孫に恵まれ幸せな人生を送っています。

弛みない研究を患者治療に活かす

 1962年,当研究所にチャールズ・ダナから莫大な金額の寄付があり,ファーバー博士の死後1976年に新たに癌総合センターとして生まれ変わり,後1983年ダナ・ファーバー癌研究所となって現在に至っています。
 その間もステロイド,ビンクリスチン+中枢神経予防により,小児組み合わせ化学療法で良好な成績をあげたフライ博士が1971年より当研究所に加わりました。彼は血小板輸血を開発し,さらに現在,世界で行なわれている大量化学療法を可能にしたのです。ダナ・ファーバーは常に世界の化学療法をリードしてきました。もちろん研究も世界のトップクラスであり続けていることは言うに及びません。
 1980年ダナ・ファーバーの所長であったベナセラフ博士は“免疫細胞の遺伝子構造”を決定したことによりノーベル賞を受賞しました。その後ダナ・ファーバーは免疫学や分子生物学を通して骨髄移植を含む小児白血病やリンパ腫の治療や病態解明に大きく貢献しています。また最近は血液悪性腫瘍だけでなく,他の癌種やエイズの基礎研究も盛んです。
 ファーバー博士は「治癒しないと思われる病気も最良の臨床医と研究者がチームを作って一緒に働きさえすれば治り得る」として共同研究の重要性を強調しています。ダナ・ファーバーにおける臨床部門の床面積は全体の約10%以下であり,残りのほとんどは研究のためのフロアです。“Bench to Bedside",つまり「弛みない研究を患者治療に活かす」というのが基本理念であり,ダナ・ファーバーは昼夜週末を問わずこれを日々実践しているのです。

 本項で紹介されている「ジミー・ファンド」については,李啓充著「奇跡の歴史-小児白血病の50年」(『市場原理に揺れるアメリカの医療』〔医学書院刊〕に収載)に詳しい。
(「週刊医学界新聞」編集室)