医学界新聞

 

寄稿

第13回国際エイズ会議

北村 敬(富山県衛生研究所長,国立感染症研究所名誉所員)


会議の開催までの経緯

 第13回国際エイズ会議(XIII International Conference on AIDS,ICA)の開催地として南アフリカ共和国(以下,南ア共和国)のダーバンを選定する件は,1997年5月,全世界23名の国際エイズ学会(IAS)理事を約1時間国際電話の同時中継回線で結んで開かれた臨時IAS理事会で決定された。筆者もアジア/オセアニア地区選出理事として,この理事会に参加したが,当初2000年はスペインのバルセロナに内定していたにもかかわらず,これを覆して,2000年にダーバンで開催し,2002年をバルセロナにするという決定がなされた理由は次の通りであった:
(1)アフリカにおけるHIVの感染流行は悪化の一方であり,改善される兆しは見られない。
(2)アフリカの中でも,1990年以降判明した疫学情報で,HIV浸淫率の最も高いのは南ア共和国であり,全人口の20%,多数を占める黒人の成人層では30%以上がHIVに感染している。
(3)上のような状況から目を背け,アフリカの政治家の中には,HIVがエイズの原因であることを否定し,HIV浸淫をエイズの危機と直結させないとする議論を展開する少数の非専門家の意見に惹かれる傾向が見られる。
(4)参加者1万2000人以上,発表演題5000以上という巨大な学会を,流行の現場であるアフリカで開催し,全世界にHIVの感染流行の危機と,科学的研究の成果を認識させることが,本質的な対応の発足のためには必要であり,このような会議をアフリカの中で開催できるのは,人口700万人を擁し,古くからの海洋リゾート都市で,多くの国際会議施設を有するダーバン以外にない。
 この間,開催国の南ア共和国のMubeki大統領が,上記の(3)に該当する発表を繰り返していることに危機感を持ったHIV/AIDS研究者は,「エイズは,HIVの感染で起こる免疫不全であることは明らかである」,「HIV感染とそれに基づく免疫不全の進行を明らかにして,適切に対応して,HIV感染の伝播を予防することがエイズ克服の基本である」,「HIVがエイズの原因であることを否定する言説を述べている非専門家の解釈は誤りである」と述べた「ダーバン宣言」(Durban declaration)を起草し,報告者を含む発起人250名の呼びかけで,全世界の研究者5000人以上が署名して,2000年7月6日発行の科学雑誌「Nature」に掲載された人(Nature,Vol.406,No.6781,July 6,2000,p15-16)

会議の構成

 会議は組織委員長にHoosen M.Coovadia博士,科学プログラム委員長にSalim S.Abdool Karim博士と,ともにインド系出身の学者が当たり,また,科学プログラム委員会(Scientific Programme Committee)は,従来行なわれてきた,分科会(トラック)「A.基礎科学」,「B.臨床科学」,「C.疫学/予防/公衆衛生」,「D.社会」の4分野の他に,「E.人権/政治/関与/行動」の分野を加え,科学的研究の成果がエイズの予防と克服に活かされるための方法論を議論できるようになった。科学プログラム委員会の他に,地域活動プログラム委員会(Community Programme Committee)が設置され,Coovadia組織委員長を委員長に,Karim科学プログラム委員長,IAS,UNAIDS,支援NGO3団体等の代表が加わって,上記A-Eの分科会での研究発表が効果的に構成され,実行されるよう調整を行なった。
 会場は国際会議センター(International Convention Center, ICC),ダーバン展示センター(DEC),ヒルトンホテル宴会場(HHX),市歌劇場大劇場(PH X I),小劇場(PH X II),市庁講堂(CH X III),ロイヤルホテル宴会場(RH X IV)で行なわれた。ICC,DEC,HHXは,主会場として同一敷地内にあり,各種受付,案内カウンター,軽食コーナー等も整備されていて,利用しやすかったが,PH,CH,RH等は,それぞれ近接してまとまっていたが,主会場より徒歩約15分の市内中心部にあり,主会場との往復は便利でなかった。ポスター発表はDECの中庭に各500m2くらいのテント5帳が設置され,各トラックごとに利用された。開会式は主会場に隣接するクリケットスタジアムで行なわれた。
 会議は2日前から,会場の各スペースを用いて,各種の国際機関,IAS,NGO,治療薬・診断薬企業による関連集会が開かれたが,7月9日は9-15時が関連集会で,それに続いて開会式も行なわれた。7月10-13日の4日間は,基本的に9-11時がICCの全ホールを打ち抜きで使った全体会議,11-13時がポスター発表,13-14時半/14時45分-16時15分/16時半-18時が各分科会の口頭発表,18-22時に各種関連集会と,きわめて密度の濃い時間割で行なわれた。7月14日は,9時-11時25分に,各分科会担当の報告者による各分野の発表要約が行なわれた後,11時半-12時半の1時間閉会式が行なわれた。
 会議に登録した参加者は1万2700名で,その中の1400名は,出席のための経費助成(scholarship)を受けたアフリカその他の発展途上国の研究者であると発表された。ダーバン市を中心とするボランティア750名が会議の運営に参加し,スライド受付,スライド映写,プレスセンター,往復バスの手配,メッセージ案内等を担当し,この他に,後に述べる警備担当者が警察,警備会社併せて1200名,往復バス50台が会議の運営を支えた。会議の取材に来会した報道関係者は1200名と発表された。

会議の内容

会議運営上の問題点

 南ア共和国の大都市は,近年,各市の中心部での犯罪発生が多く,1997年のIAS理事会の開催地選定でもこの点が憂慮され,会議組織委員会とダーバン市は,主会場周辺と他の会場を結ぶ街路を集中的に警備し,上記のように,1200名の警備担当者を配置した。市内の新聞報道によれば,会期中に,日本人1名を含む3名の参加者が路上集団強盗等の被害に遭った。
 会議事務局の手配した宿舎が,主会場まで徒歩10分以内のZone-1(市中心部)から,120km離れたZone-7(一部は,ダーバンの属するKwazulu-Nataal州の隣のEast Cape州に入る)に及び,報告者はZone-7が割り当てられ,9-18時半にわたる会議の主なセッションに出席するためには,6時半にホテルを出て8時半に会場に到着し,19時に会場を出て21時にホテルに帰着する往復バスを利用しなくてはならず,自由時間がほとんど得られないのみならず,22時まで行なわれる関連集会のセッションには参加できなかった。
 1)開会式:Coovadia組織委員長は,先述の開催地選定理由を述べた後,「今次会議は科学的情報交換の場だけではなく,アフリカ,特に南ア共和国でのHIV流行の現実に触れ,この国で行なわれている科学的,社会的,政治的努力を理解し,推進する力になってほしい」と結論した。Piot国連エイズ特別計画(UNAIDS)事務総長は,21世紀への転換期にあたって,世界で3430万人がHIVに感染し,既に,1800万人がエイズで死亡している現実を紹介し,HIV感染者の95%以上は発展途上国で発生し,先進国で実用化に達した診断,治療,予防に関する科学的研究の成果の恩恵に浴し得ない状況下に,貧困,公衆衛生の欠乏等から事態は悪化しつつあることを報告し,先進国を含めた世界中の協力で対処しなくてはならないことを訴えた。Mubeki大統領は,HIVとAIDSの科学的関連には触れず,貧困と社会的不備がエイズによる混乱を助長していることを訴え,自国民の自覚と行動,先進国の理解と支援を求めた。
 2)科学的成果:閉会式に先立って行なわれた各分科会別の報告者の報告を要約すると次のようになる。
 トラックA(基礎科学):(1)HIV複製と発症病理に関して,多くの詳細な進歩が報告された。(2)HIV,SIV(サル免疫不全ウイルス)の由来,遺伝子進化等について多くの知見が得られ,伝播に関与するウイルス側の属性に関する多くの要因が指摘された。(3)(1),(2)を併せて,予防や治療に将来応用できそうな多くの進歩が見られた。(4)予防用ワクチンに関する決定的な進歩は見られなかったが,組み換え狂犬病ワクチンを用いた弱毒生ワクチンの可能性,DNAワクチンによる感染の予防,粘膜免疫の誘導などの新しい展開が報告された。
 トラックB(臨床科学):(1)AZT以外に,多くの抗レトロウイルス剤を用いた新しい処方による母子感染予防の方式が示された。その中には,胚への影響やコストから見て,発展途上国により適したものとなる可能性のあるものもある。(2)性行為感染症(STI)の併発とHIV伝播に関する多くの信頼できる研究成果がまとまり,報告された。(3)高度有効抗レトロウイルス治療(HAART)による免疫機能の回復も詳細に確認され,分析された。(4)発展途上国では,薬剤の服用に関する指示を守ることが,治療効果を確実にする第1条件であることが多くの実例で報告された。(5)代替医療(alternative medicine)の多くは,臨床試験が実行できず,臨床試験なしに販売され,その作用機序も明らかでなく,治療の案としてとりこむことは,実用的でない。
 トラックC(疫学/予防/公衆衛生):(1)HAARTが使用されている社会では,HIV感染者のエイズへの進行は有意に低下している。(2)発展途上国でも,タイ,カンボジア,ウガンダ等では,早期の検査と予防措置の導入で,HIV感染者の発生は減少しつつあり,セネガルでは,増加傾向が停止した。(3)STI予防,特にHSV(単純疱疹ウイルス)-2の予防が,HIV伝播を減らすのに有効である。(4)青年層を把握し,実態を調査し,これに予防的介入を行なうことが急務であるのに,この層に絞った研究報告がきわめて乏しい。(5)UNAIDSの研究成果発表によれば,局所用殺ウイルス剤(topical microbicide)として用いられて殺精子剤nonoxynol-9を含む製剤は,HIVの異性間性的接触による伝播を偽薬群よりむしろ高くした。局所用殺ウイルス剤の使用に当たっては慎重な検討が必要となった。
 トラックD(社会):(1)sex workを1つの人間の労働として認識し,HIV伝播の予防を導入しなくてはならない。sex workを非合法化することで,リスクがむしろ高くなる事例が多数報告された。(2)発展途上国においても,男性同性愛者(MSM)のHIV感染が多いことが認識された。(3)社会的性別(gender)と,その平等な関係が効果的HIV予防に不可欠である。(4)HIV感染に対する社会的恥辱化,地域社会でのHIV問題の否認,などがHIV予防対策発足の支障となっている。
 トラックE(人権/政治/関与/行動):(1)空疎な発言が多く,行動の裏づけがない。(2)発展途上国のHIV/AIDS問題はむしろ「統治能力」の問題である。(3)アフリカでは,大規模な人口移動がHIV伝播をもたらしている。宗教的,文化的観点から,この問題を解析する必要がある。(4)報道機関の責任,職場のエイズ対策,等について,世界的に取り組む必要がある。
 3)閉会式:閉会式は,7月14日11時半より南ア共和国前大統領Nelson Mandela氏の出席の下に行なわれた。Wainberg IAS前会長は,今次会議がIAS理事会の期待通りの成果を得て,成功であったと総括した。Vella IAS新会長(会議中に前会長より引き継いで就任)は,「IASは,今次会議をダーバンで開催するのに成功し,参加した多くの科学者を代表して,科学的成果も成功であった」と評価した一方,科学的研究発表の乏しさを憂いて,不参加を決めた科学者は誤っていたと結論した後,「今後も,IASは科学的研究の成果がエイズ克服の基本であるとの立場に立ちつつ,それを必要とするHIV/AIDSの実状を,現場において把握しつつ研究を進めることが大切である」と結んだ。
 Mandela前大統領は,今次会議は,科学的学会ではなく,人類が直面する最大の危機の転帰に関心を有する人間の集会であるという判断を示した後で,「アフリカにおいて,HIV/AIDSは過去において体験されたいかなる戦争,飢餓,洪水より多くの人を殺している」と指摘し,人種,文化,宗教の違いを超えて,HIV/AIDSの脅威に対処することを訴えた。文化的,宗教的変革に基づく性行動の変化が基本的であるという立場を強調するとともに,「ウガンダ,タイ,セネガルで示されたHIV予防の成果は,努力が報いられるものであることを示すものである」と結んだ。

その他

 過去数回のICAは,タブロイド判8頁内外の学会新聞を編集し,前日の研究発表のハイライトとその他関連ニュースを掲載して,会議中の毎日のセッション開始時には会場内で配布するのが慣例化していた。多くの会場にわたり,多くの分野にわたる研究発表の動向を把握するのに便利であり,参加者に感謝されてきた。今次会議は,ダーバン市内の一般日刊紙「Daily News」が学会特集頁を数頁分作り掲載するという形で対応していたが,特集頁の内容が一般評論,主張を主としたもので,前日の研究発表の紹介と評価という内容でなく,また,会場内での配布も,毎日の全体会議の終わる11時過ぎとなって,あまり高い評価は得られなかった。
 今次会議で,ICAの性格は大きく変化し,それが明確に打ち出された。1985年に筆者も関与して発足したICAは,基礎医学のウイルス学,分子遺伝学,免疫学,病理学の各分野にわたり,臨床医学の内科,小児科,外科,整形外科,血液学,産婦人科,泌尿器科,その他にわたり,研究発表もそれぞれの学会,学会誌に分散していて,1つのものとして目にしがたいHIV/AIDSの科学的研究を,一堂に会して聴取し,討議したいという,純粋に科学的な動機に基づいていた。今次会議では,科学的研究の発表以上に政治的,文化的主張の陳述にウエイトがおかれ,危機対応のための活動家の決起集会と化していた。これは総合的科学研究の増進という意味から,科学者としては支持できない。
 いかなる医学的危機も,実用的で有効な予防ワクチン,治療薬が,科学的研究の成果として実現することで,一挙に解決してきた。科学的研究が最も有効な対応策であるという立場からすると,今後のICAに科学者が参加することは,Vella IAS会長の挨拶とは逆に無意味であり,科学者は,科学を目標にした別の学会に参加することを考えるべきであろう(これに対応して,IASは,前述のトラックA,Bに対応する「HIV発症病理および治療に関する国際研究会議」(CHPT)を組織することにした。第1回CHPTは2001年7月8-11日,アルゼンチンのブエノスアイレスで開催される)。