医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県健康づくり事業団総合健診監・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第21回〕患者とのコミュニケーション(1)
がん患者に真実を伝える

「患者に真実を知らせるな」との過去の教育


がん患者への情報開示について語るNguyen Cong Thuy博士(ハノイの国立がんセンター総長,当時)と筆者(右)
 医療の円滑な実践には,患者とのコミュニケーションが不可欠である。しかし,日本の医療ではがん患者とのコミュニケーションが不十分な状況が続いていた。医師は医学生時代から,「がんとの診断名は患者自身に伝えるな。家族だけに伝えればよい」と教えられてきた。
 私が外科卒後研修中の1960年代の大学病院でも,患者本人に本当の病名を伝えないままにがんの手術を行なっており,患者に嘘を隠し通すのに多大のエネルギーを費やしていた。このような状況が日本における多くの医療機関の実情であったためか,国際ワークショップ「がん患者のQUALITY OF LIFE 東京1984」の席上,上本修氏(故人,当時東大大学院生,本紙5月15日付2387号,連載第19回参照)が患者の立場から「インフォームド・コンセントの必要性」を主張し,河野博臣氏(河野胃腸科外科病院長,同6月12日付2391号,連載第20回参照)が「真実を語り合うことで患者との間の無用な緊張感が除去できる」と話しても,フロアの日本人参加者からの反応は緩慢だった。

真実を知らせてほしい人の増加

 1980年代から,日本でも「がんとの診断を正直に知らせてほしい」と希望する人が増え,今日では大多数の人がそう望んでいるのだが,これに十分に応えている医師は今でも多いとは言えない。
 埼玉県立がんセンターでは,「WHO方式がん疼痛治療法」の実践によって,がん患者の身体的苦痛からの解放が進んだため,がん患者の精神面の問題が顕現化するようになってきた。それが,患者とのコミュニケーションのあり方を考え直す契機となった。
 その第一歩として,最大の課題である「患者本人へ,病名について真実を伝えること(truth-telling)」から検討を始めた。長年の臨床実践で,患者本人に率直に病名を伝えてきた田利清信氏(当時泌尿器科医長,すでに退職)が,「医療側が,患者を支援する姿勢を持つ限り本人に率直に伝えても問題は起こらない」と話してくれたが,院内の議論はなかなか収束しなかった。患者とのよき人間関係の基盤は,患者本人との正直な情報交換と理解できても,若い時から「伝えるな」と教えられ,正直に伝えた経験のない医師にとっては心の中のハードルが高すぎ,実践に恐怖心さえ抱かせたのであった。

ベトナムでの教え

 そんな頃の1988年,私はWHO本部より「がん疼痛救済プログラム策定支援」のために,ベトナムの首都ハノイに派遣された。ベトナム戦争は1975年に終結したものの,国の再建に向けてドイモイ政策に着手したばかりのハノイには,戦争の影響がまだ色濃く残っていた。当時は,日本人訪問者の数も少なく,私は大歓迎された。ベトナム国立がんセンター総長のNguyen Cong Thuy博士と談笑中に,ベトナムにおけるがん患者への病名の伝え方について質問した。博士の答は私の予想外のものだった。その返答は,
「ありのまま伝えるのが原則です。少なくとも80%以上の患者に伝えています」というものだった。
 私は,日本とのあまりの違いに驚き,その理由を尋ねた。博士は,
「ベトナムには病院が少なく,交通手段も未発達です。患者は医師の診察を受けに来るまでにいろいろな困難を乗り越えなければならないのです。そのため,大多数のがん患者は末期となって痛みに耐えられなくなってからでないと来院しません。初診時における余命は平均2か月です。病院には不治の患者を入院させる余裕がありませんので,自宅に戻って地域でケアを受けるよう勧めるほかありません。これを納得させるには,病名と病状とを本人に理解してもらうしかないのです。理由を要約してしまえば経済的貧困です」と説明された。
 この説明に,私は言葉を失うほど驚き,心ない質問であったと反省した。同時に,このような悲惨とも思える現実にも人は折り合い,限りある中でたくましく生きていることに感動を覚えた。患者の生命を大切にするということは,患者が主体性を持って生きられる条件を整えることであり,それが医療者の役割であると改めて気づかされ,帰国後は,議論を基本からやり直さなければならないと感じたのであった。

病院全体での取り組み

 翌1989年。埼玉県立がんセンターの病院長を命じられた私は,就任の挨拶で「患者に真実を知らせること,『truth-telling』を最重要検討課題の1つに位置づける」と言明した。是非の論は問わないが,論拠に裏づけられた結論を各自が持つために職員全員で学習を深めるよう,提案したのである。その結果,病院の全職種が出席する研修会が主な討論の場となり,職員の討論会,講師を招いての講演会,事例報告,職員の意識調査などが実施されていった。そして,推進役を桜井雅温副病院長(現:埼玉県赤十字伊奈血液センター所長)が務め,理論を構築していった。とりわけ患者に直接接する医師や看護職の中で,責任ある立場の者が積極的に参加したことで,議論もその後の実践をも大きく飛躍させた。
 こうして,「患者に真実を伝えるべきでない」との従来からの主張は,科学的検討が不十分なまま感情論として受け継がれてきたのだとの理解が,まず院内に広まっていった。