医学界新聞

 

【対談】

21世紀ニューロサイエンスの展開
神経生理学と神経心理学の交差する場所

彦坂興秀氏
(順天堂大学教授・
生理学)
山鳥 重氏
(東北大学教授・
高次機能障害学)


脳をどう見るか

意識と無意識・感情の問題

山鳥 「脳の世紀」という言葉がポピュラーになりました。神経生理学は脳の研究の中核になると思います。そこで,今日は神経生理学者である彦坂先生に,どのように脳を見ていこうとするのか,お考えを伺いたいと思います。今,この領域でいちばん「おもしろい」ことを教えていただけますか。
彦坂 最近特におもしろいと思っていることは,1つは意識と無意識の問題です。もう1つは,感情の問題です。昔は,「感情と理性とは対立関係にある」というのが一般的な考え方でしたが,実はお互いに協力しあうような関係かもしれない,という考え方が出てきています。
山鳥 非常におもしろい,大きなテーマだと思います。無意識はフロイトが取り上げ,思想界の革命まで起こした考えですが,そのタイプの無意識と,いま生理学が切り込もうとしている無意識とは,どこが違うのですか。
彦坂 具体的には,1つは感覚・知覚レベルでの意識・無意識の問題と,それから運動レベルでの意識・無意識の問題です。実際にわれわれが「知覚する」と思っている,意識的に知覚させられるものは,実際に入力されているもののほんの一部にすぎません。一方,運動は,例えば運動学習していく場合に,特に熟練された運動はほぼ無意識的に行なわれることが最近注目され,われわれも研究しています。
山鳥 意識という視点から見れば,意識されない部分はすべて無意識になると思いますが,生理学のように,反射,本能的な行動,さらに学習された行動へと積み上げていく側から言うと,意識は最も遠くにあって,ほとんどは無意識の問題になるのではないですか。
彦坂 僕は最初に「記憶誘導性眼球運動」を研究しましたが,当時,「記憶」という言葉を使ったら「それでいいのか?」と言われるぐらいに抵抗がありました。確かに制約的な,ボトムアップ的なアプローチだと,「意識」とは到達できないと思われていた領域だと思います。それが,実験的には人間を対象にしないと意識の問題は研究できないというのは,いまでもかなり正しいと思いますが,最近はサルでも意識を議論する研究が出てきました。

サルの意識

山鳥 そのサルの意識の研究について教えてください。
彦坂 具体的に言うと,「binocular rivalry」(両眼視野闘争)です。右目でAの画像を見て,左目でBの画像を見ると,ある期間中,Aが見えてBは見えていない。5秒ぐらい経つと今度はBが見えて,Aが見えなくなります。
山鳥 同時に見ているわけではないのですね。
彦坂 2-3年前までは,右目から来る情報と左目から来る情報が視覚野で収束し,その地点でどちらが勝つかという問題だと思われていました。しかしそうではないことが,一昨年のLogothetis(現マックスプランク研究所)の見事な実験で示されてしまったのです。右目に「ABABAB」という絵を,例えば0.5秒の間隔で見せて,今度,左目には「BABA」で見せていきます。すると右目と左目のそれぞれに「A」と「B」が見えて,次の瞬間には「B」と「A」が見えるでしょう。もし右目が5秒勝っていて,次に左目が5秒勝つのなら,右目では「ABABAB」と見えるわけですよね? 次の5秒は左目から来る情報ですから,これも「BABABA」で0.5秒ずつ周期で交替しないといけません。しかし,やはり5秒ずつ「A」が見えて「B」が見えます。
 右目から来る情報と左目から来る情報が,第一次視覚野のレベルで競合しているわけではないとなると,ではどこか,という問題になりますね。そこで彼は,サルに生物と無生物を区別する訓練をし,「生物が見えたら右のボタンを,無生物が見えたら左のボタンを押しなさい」という行動を十分に訓練しました。その上で,両眼視野闘争の状況にした場合に,サルも最初は生物が見えて,次に無生物が見える,という繰り返しだったのです。周期は人と同じか少し短いくらいです。
 それは,視覚野と第2次視覚野でみるとV4のレベルで,先ほどのAに反応するニューロンとBに反応するニューロン,また生物に反応するニューロンと無生物に反応するニューロンが分かれています。そこから,生物に反応するニューロンは先に5秒間活動して,次の5秒間は無生物に反応するニューロンが活動しているのではないか,ということです。
山鳥 そのお話からすると,V4のあたりで意識化されているということになりますか。
彦坂 この条件ではそういう考えが正しいと思います。

作業記憶と意識

山鳥 いまのは意識した現象ですが,その時に,見えていない側も処理されている可能性が高いのではないですか。意識にのぼっている部分では交替しますが,交替していない部分も無意識下では処理されている可能性はありますか。
彦坂 あると思いますが,その条件について研究されているかは知りません。
山鳥 先日,私どもの教室の鈴木が『Journal of Neurology,Neurosurgery,Psychiatry』誌に簡単な症例報告をしました。これは視野障害のある人で,タキストスコープで文字を出した時に,何かが見えたとは気づくのですが,文字が見えたという意識がまったくないにもかかわらず,文字が読める,という例でした。われわれは「形が見えた」という意識があって読むのですが,その患者さんは「形が見えた」ことがわかりません。しかし「当てずっぽうでもいいから何でしたか」と聞くと,読むことができました。これは形のアウェアネスと文字を認識することが乖離している可能性を示しています。
彦坂 確かに違う条件では,そういうことは示されています。例えば点のようなAという光刺激を出して,その周りにドーナツ状のBという光刺激を出しますと,Aが見えないで,ドーナツだけが見えるという場合があります。それは時間的にBが後に来ても,最初の点が見えないのです。
 ところが,「点が見えたら反応してください」として反応時間を計ると,普通に点が見えた時が例えば0.2秒の反応時間とすると,「点が見えない」と自分では言っていても,反応時間は0.2秒だったりします。ですから,基本的に意識的に処理される系とそうでない系は,パラレルに働いていると考えられます。
山鳥 サルでもそのようにはっきりと意識されて交替することがあると,「意識する」ということは,進化論的に言えば何か得があるはずですね。
彦坂 意識が特に顕著に働いているのは「前頭葉」と一般に言われています。そこでは,作業記憶(ワーキングメモリー)が強く働いています。作業記憶の大きな利点は,最近の過去のことを覚えて,それを使って近い未来をシミュレーションするという,ある意味で時間を超越するようなことができることです。それが関連して,自分のやったことを見返したり,将来を見通すという意識と関係していると思います。
 一方で,日常生活でのルーティンは,運動野あるいは補足運動野のレベルで,あるいは大脳基底核の視床のレベルで制御され,いざルーティンの状況でない時にどうするかという判断が要求される場合に,意識は重要な役割を果たすのではないかと思います。
山鳥 動物も意識を使っていると思いますが,意識によって行動制御がやりやすくなるということはあるのでしょうか。
彦坂 それは状況が変わった時の判断の切り替えにとって,最も重要ではないかという気がします。
 僕らはサルに「運動学習」というボタン押しの学習をやらせて研究しています。結論的に考えているシェーマは,複数のシステムが同時に働いて,1つは作業記憶を使った,見て順番を覚えていくというシステムが,もう1つは,実際に手を使って筋肉の活動の変化というレベルで順番をコードするというシステムが,両方一緒に働いているのではないかということです。
 ルーティンの時は,この両方の答えは合っていて別に問題ないのですが,状況が変わると,ルーティンのシステムは同じでも,作業記憶あるいは意識のシステムはエラーを感じ取る,そこが,前補足運動野ないし前帯状回の領域ではないかと予測しています。
山鳥 先生のお考えだと,作業記憶が意識のモデルとして使えるということになりますか。
彦坂 そうですね。

行動のリハーサル

山鳥 意識の特徴の1つに,反応すべきものがあった時に,それが何かわからなくて反応するのではなくて,音や形として代理的に表象する,ということがありますね。例えば針が刺さった場合には,針というイメージを代理的に表象するなど,その現実に反応する系の上に,表象を積み上げます。表象がなぜ生まれてくるのかは,意識の問題ではかなり大きいテーマだと思いますが,神経生理学ではアプローチ可能ですか。
彦坂 この2-3年で,「行動のリハーサルはどこでどう行なわれているか」が注目されています。それは一種の表象と考えられます。ある実験では,手の絵を見せて,それが右手なのか左手なのかを判断させます。指先が上の場合と,指先が下の場合とか,いろいろ見せ方がありますが,その反応時間を計るという簡単な実験です。その反応時間は,自分がその手の格好をするのにかかる時間と同じくらいでした。おそらく頭の中では,自分の手を動かしてはいないけれど,動かすイメージと合致させているのでしょう。
 その後,ファンクショナルMRI(fMRI)やPETの研究で,このような行動のリハーサルの時に,運動前野あたりが活動していることがわかりました。つまり,運動を準備すると言われている領域が,運動していない状態でもよく働いているのです。
山鳥 ニューロンパターンがリハーサルすることと,ないものが頭の中で持ちこたえられていることの間に関係があるかもしれません。現実になくなったものを,もう1回ニューロンサーキットの中で作り出すことをやっているのでしょう。
彦坂 逆に言うと,シミュレーションやリハーサルができるということは,運動前野で運動の準備活動をすでにしていながら,出力していないわけですから,どこかで抑制がかかっていないといけませんね。そこで,大脳基底核が重要ではないかと思います。

大脳基底核の機能

山鳥 大脳基底核の機能を教えていただけますか。
彦坂 大脳基底核の出力細胞は2種類の核から出ていまして,1種類は淡蒼球内節,もう1つは黒質網様部というところです,その両方とも抑制性,GABA作動性で,相手のニューロンを常に抑制しています。
山鳥 抑制するということは,そのニューロンが興奮した時には,そこにつながるニューロンが発火しないように働くということですね。
彦坂 そうです。大脳基底核の出力ニューロンは,1秒間に100回ほどの頻度で活動しています。ですからそれを受けるニューロンには,ものすごい歯止めが掛かっています。ところが,その抑制だけだと今度は動けないことになるので,それを取らなくてはいけません。それが線条体と呼ばれるところです。このニューロンもやはり抑制性です。線条体ニューロンが出力ニューロンを抑制すると,出力ニューロンはその相手に対していままでの抑制ができなくなるのです。
山鳥 2つの抑制ニューロンがつながっていれば,3番目のニューロンは活動するのですね。その仕掛けで大脳基底核は動いているということですか。
彦坂 1つの方法はそうですね。さらに,抑制を取り除く経路の他に,抑制を強める経路があります。それをうまく使い分けて運動したり,あるいは考えるということもあると思います。
山鳥 例えばパーキンソン病でフリーズ(動きが止まってしまうこと)がありますが,大脳基底核の運動過多と考えればいいのですか。
彦坂 それは出力過多だろうと思います。実験的にも証拠が出てきています。ただ,平均的には出力過多ですが,パーキンソン病の場合は,全体的には常に強く抑制されていますが,ゆらぎがあるものですから時々発火してしまいます。するとそれが今度は,例えばパーキンソン病の振戦が起こる原因になっているとも考えられます。
山鳥 例えばフリーズ状態の時にボールを投げると,パッと反応しますが,これは大脳基底核をバイパスしているのですか。
彦坂 そうですね。大脳基底核は抑制と脱抑制で相手を制御していますが,それをバイパスする大脳皮質からの直接の興奮性経路は必ずあり,それが強く働く場合は抑制を無視して行動できるということです。

Paul Yakovlevの仮説

山鳥 私がどうしてそんなことを聞くのかというと,Paul Yakovlevという古典的な解剖学者の考えが,未だに頭から離れないものですから(笑)。
 彼は脳のシステムを(1)最内側システム,(2)中間システム,(3)最外側システムと,3つに分けています。(1)は,嗅脳や海馬と視床下部を中心とする系,(2)はこれをとりまく帯状回や海馬傍回,さらに大脳基底核を中心とする系。最も新しいシステムは,新皮質と視床とを入れた(3)です。(1)は内臓的な活動,つまり代謝を制御するシステムで,(2)は,エクスプレッションのシステム,(3)は外界に対して効果的に働きかけるシステムだという言い方をしています。このような考え方が,いまでも正しいのかどうかを,現代の生理学から教えてください。
彦坂 その3つの区分は,かなり成り立っていると思います。しかし一方で,大脳皮質の各部位と大脳基底核の各部位が結合して,視床を介してループを作っているとか,そのループが多重になって,大脳基底核が大脳皮質の機能マップに対応した機能区分を作っていることも,一面では正しいですね,おそらくそれは高等動物,つまり霊長類以後に発達したものだろうと思います。小脳も大脳皮質と複数のループを作っているというのは,最近の話題です。
 一方で,大脳基底核は,ループを介して大脳皮質に再投射せずに,眼球運動や頭の動き,または歩いたり食べたりとか,生まれつき持っている行動の運動系に対して直接のコントロールを持っていることが,最近再認識されています。そういう意味ではエクスプレッションのシステムの側面は非常に強いです。

学習と報酬の期待

彦坂 線条体のニューロンは戦略的に非常に重要で,種々の入力を受けています。重要な入力が2つあって,1つは大脳皮質から直接,「計算された情報」をグルタミン酸で伝えます。もう1つは中脳からのドーパミンニューロンです。線条体のニューロンの樹状突起にトゲがたくさん出ていて,スパイニーニューロンと呼ばれています。そのトゲの頭に大脳皮質からの情報が来て,トゲの首にドーパミンニューロンの情報が来るのです。さらにドーパミンニューロンは「報酬の期待」という情報を伝えることが,最近の研究で明らかになりました。
 「報酬の期待」がある時は,やる気や動機づけが増し,ドーパミンニューロンが活動して,線条体ニューロンのトゲの部分にあるシナプスでドーパミンが放出され,その結果,大脳皮質からのシナプスの効率が上がると考えられます。するともう1回,その行動が繰り返される確率が上がります。それでさらにシナプスが強化されるというものです。これは僕らが最近行なっている研究の成果です。動機づけややる気が感情的なものとすれば,それが何の役に立っているかを考えなくてはいけません。そのいちばんの表現は,報酬を求める学習です。
山鳥 それが線条体で結合しているのですね。ドーパミンニューロンが持っている報酬の情報はどこから来るのでしょうか。
彦坂 そこがまだよくわからないのです。ただ不思議なのは,ドーパミンニューロンは常に変化するのです。期待していない報酬が来た時には反応しますが,期待している報酬には反応しないのです。
山鳥 何か新しく価値のある報酬の時だけに反応するということですね。
彦坂 そうです。期待していない状態で,報酬が来ることを示す情報が来ると,これは音でも光でも,何でもいいんですが,すぐそれに反応して,報酬そのものには反応しなくなります。
山鳥 ヒトの場合だと,そういうことは前頭葉寄りと言われますが,いかがでしょうか。大して根拠があるわけではないのですが,前頭前野が両側壊れると,価値判断との結びつきがなくなってしまい,反社会的になることがあります。
彦坂 ドーパミンニューロンは前頭葉にかなり投射していますから,似たようなことがパラレルに起こっている可能性はあると思います。実際に僕らは前頭葉でもニューロンを記録していますが,報酬の影響を受けています。ただ,その受け方が大脳基底核に比べると,それほど強くありません。
 最近,人々がなぜ麻薬にあれほどとり憑かれてしまうかは,ドーパミンが問題とされています。コカインを摂取すると線条体でドーパミンの濃度がパッと上がる。それは主観的に気持ちがいいという状態で,続けるとおそらくドーパミン受容体の反応性が変わってきて,ちょっとでもコカインがないと線条体でのドーパミン濃度が下がってくるようになる。ものすごく下がると不快で禁断症状が起こるというのが,最近,動物で研究されています。何か習慣性を作るようなことには,ほとんどドーパミンが関係していて,朝コーヒーを飲まないと1日ダメとか,たばこなどもそうですね。

脳の中で起こるドラマ

感情・情動と大脳基底核


山鳥 重氏
山鳥 情動については,僕らが学部で勉強していた頃は視床下部との関係で扱われることが多かったと思います。もう1つ上のレベルとして,大脳基底核や辺縁系と感情や情動の動きというのはいかがでしょうか。
彦坂 感情は,人の場合には多次元のものですが,動物の場合はどこまで多次元なのかはよくわかりません。怒りは動作と行動で想定できますし,驚きもある程度はいいのですが,喜びや悲しみは,サルを見ていてもよくわかりませんね。
山鳥 怒りの情動はかなり低いレベルの動物でもありますね。おそらく動物にとって非常に大事な行動なんでしょう。
 感情というのは,いろいろな使い方があるのでしょうが,主観的な体験を「感情」と言い,行動を伴っているものを「情動」と言うと,わかりやすいと思います。
 ここで「情動」と大脳基底核というあたりへ話を戻したいと思います。
彦坂 少なくとも報酬,つまり「気持ちがいい」という感情は,大脳基底核が非常に強く関係しています。しかしそれ以外の感情が関係しているかどうかはわかっていません。
 学習のあり方はいくつか分類がありますが,「報酬を得るための学習」というのが1つ,もう1つは,「罰を避けるための学習」があると思います。人は子どもの頃から悪いことをしたら叱られて成長しますが,動物も危険なものや自分より強いものには近づかないことを学びます。しかしそれが大脳基底核に関係しているかどうか,またそのシステムはどのようなものかはわかっていません。今後僕らはその「罰の学習」の研究をやりたいと思っています。
山鳥 大脳基底核は,ある程度決められた行動パターンを作り出すことに関係すると見てよいのでしょうか。
彦坂 それは見方によると思います。僕らが研究しているのは,眼球運動など基本的には生得的な運動パターンです。多少の学習や調整はあるかもしれませんが,基本的には練習せずにできるようになります。
 ただ,大脳基底核がコントロールしている生得的な運動パターンは学習に関係ないかというと,そうではありません。生得的なパターンをいつ,どういう状況で使うかは,学習で獲得していきます。そういう意味では,大脳基底核のドーパミン,要するに報酬に基づいて何かを覚えていくことは,少なくとも新たなパターンを学習することのきっかけになります。ただ,その記憶が大脳基底核に保たれているかどうかには,僕は懐疑的です。大脳基底核はそういうお膳立てをしてコンテクストを提供しますが,記憶そのものは,例えば運動野,第一運動野など違うところに主に蓄えられているのではないかと思います。

言語の起源

山鳥 例えば悲しみですが,Bell(Sir Charles;スコットランドの解剖学者)は,表情だけの変化でとらえるのではなく,力が全部抜けてしまうという全身の動き,肉体全体の反応,行動パターンとしてとらえています。悲しみの感情があった時にそのような行動パターンを起こしているのは,大脳皮質と考えてよいのでしょうか。
彦坂 僕は,もう少し下のレベルかと思います。例えば,視床下部あたりから直接下降する経路があります。それが先ほどのお話に関係するのかもしれませんが,最も内側にある,例えば中脳中心灰白質のあたり,あるいは網様体を通って下行する経路は,感情をダイレクトに全身で表現する主要な系ではないかと思っています。
 例えば動物の声を出す経路は,一般的には大脳皮質の帯状回が中枢で,それが中脳中心灰白質を経由し,脳幹に行って,というものです。しかしヒトの場合は,少なくとも言語の場は違うでしょうね。
山鳥 そこを先生から教えてもらおう思っていました。非常に重度の失語の場合,例えば有名なブローカの症例は,「Tan Tan」という2つのシラブルしか喋らないので有名ですが,例えば「Sacre nom che dieu(こんちくしょう)」のような汚言(coprolalia)を発することもあったそうです。それが皮質を使っているとは考えにくいのです。
彦坂 今,瀬川昌也先生のクリニック(瀬川小児神経学クリニック)に集まる400人ぐらいのTourette症候群の患者さんを診ています。ここでは対面してお話が終わったら,彼らに眼を動かしてボタンを押す仕事をしてもらいます。対面時は紳士的なのですが,仕事を始めると,何かブツブツ言ったりするのですよ,「やぶ医者,やぶ医者」とか(笑)。「なに?」と聞くと「すいません」という感じです。汚言は中心灰白質を通る系で支配されるのかもしれませんが,それでも言葉になっていますね。
山鳥 そうなんですか。はっきりと分節した正確な音の系列が,果たして中心前回を介さずに出るのかどうかが知りたいのです。
彦坂 それに関しては,われわれはわからないですね。
 最近Rizzolatti(パルマ大)たちが,「サルにも言語の起源があるのではないか」と言っています。そのタイプのニューロンが運動前野,だいたいブローカ野に相当するところと,彼らは考えています。
山鳥 運動前野でも下のほうですか。
彦坂 はい。そのあたりに,例えばコップをつかむ動作で活動するが,鉛筆をつかむのでは活動しないという,運動のパターンを識別しているニューロンがたくさんあります。それは先ほどの運動のリハーサルでも活動しているのだろうと思います。
 おもしろいことに,サルはただ座っていて,実験者がコップをつかむと,サルの運動前野のニューロンの一部が活動します。サル自身がつかんでも反応しますが,他人でも反応するのです。また例えば,鉛筆をつかむ時に反応するニューロンは,人が鉛筆をつかめば反応するけれど,掌で握ったら反応しません。相手と自分の行為の共有が,ニューロンレベルで行なわれているのです。それは言葉のコミュニケーションの原点ではないかと思います。
山鳥 それが運動野に見つかったというのがおもしろいですね。彼らはそれを「経験を共有しているニューロン」と解釈しているわけです。このようなニューロンを持っていれば,社会性があるということになりますね。
彦坂 そう思います。おそらくチンパンジーで調べれば,その領域には音声を共有するようなニューロンがあるのではないかと予想しているのですが。
山鳥 先生がおっしゃっているのはミラーニューロンのことでしょうか。このニューロンが,相手の動きの何かを共有しているということは,相手の動きを頭の中に表象しているという,リプリゼンテーションという視点から解釈可能ですか。
彦坂 可能性はあると思います。これらのニューロンは,実際に行動を起こす前から準備している状態で活動しているものが多いのです。その状態をリプリゼンテーションだと言えば,そうかもしれません。
 それと先ほどの社会性の問題ですが,神経科学では社会的なメカニズムの研究,つまり社会の中で他の個体と向き合ってどうなるかといった研究は,ほとんど手がつけられていません。これからの課題でしょう。

表情を押し出すところ

山鳥 Bellは著書(『表情を解剖する』岡本保訳,近刊予定,医学書院)の中で,表情の動き,要するに笑うのも,泣くのも,怒るのも,これらの情動の動きの根源に,心臓と肺の動きを考えていますね。
彦坂 1970年代から80年代は,いわゆる「Cognitive Neuroscience」が花盛りで,大脳皮質の機能分化を調べることが脳の研究だという感じでした。しかしここに来て,計算だけで生きていないという感じになっています。そうすると,体との関係は見直さなくてはいけない課題です。
山鳥 その意味でBellの説はプリミティブな,原理的な見方と言えますね。彼は,表情の原点は生まれた時だと言います。赤ん坊が子宮にいる時は,大して表情的なものは動かないし,呼吸系も使わない。ところがそこから出た途端に,呼吸をしなければならない苦痛の時期を通過します。その時に体をバタバタして泣き叫ぶという最初の切り替えがあります。それまでは母親の代謝系を使っていたのを,自力の代謝系に変える。それは空気を吸い込むことで始まり,その最初の儀式の時にエクスプレッションが始まるという,おもしろい観察をしています。
彦坂 ニューロンのレベルでそれに近いことが言えるかもしれません。例えばセロトニンニューロンは中脳の真ん中あたりにありますが,大脳皮質,小脳とほとんど全部に行っています。発生初期,つまり大脳皮質が形作られる時にセロトニンニューロンがまず伸びて,ニューロンの増殖やあるべき位置に誘導するという役割をしているらしいのです。セロトニンがないと大脳皮質のニューロン数やシナプス数が減少してしまいます。一方で,表情筋の運動ニューロンにはセロトニンがとても多いのです。
山鳥 Bellは「表情には目的がある」という類のことを言っていますが,もっと昔から続いてきたものとして表情を見ているのがダーウィンで,進化の問題として表情を見ています。2人は同時代人ですが,非常におもしろいですね。

「行動は階層的である」

山鳥 大脳基底核の話で,先生はアクションに関して4つのレベルをお考えになっています。どのように行動を捉えるか,ということですね。
彦坂 僕が対象としているのは,主に眼球運動です。行動とは「階層的」にできています。例えば眼球運動には前庭動眼反射がありますが,これは頭を回転しても目はまっすぐ前を向いていられ,ものが見えます。よく学生実習で,「目の前の紙を左右に振って,そこに書いてある字が読めますか」と聞きますが,それでは読めないでしょう。しかし頭を左右に振ったら,字が読めるじゃないですか(笑)。それは,目が前庭動眼反射によって前を向いていられるから可能なのです。この反射はどんな動物にもあって,無脊椎動物でもそれに似たものがあります。相手を,つまり対象を固定して見られるどうかは基本なのです。もう少し随意的に自分でサーチするような行為は,ネズミやウサギはあまりしません。
 前庭動眼反射は,頭が回っていれば,どこかでリセットしなくてはいけません。しかし,その時に視野はブレてしまいます。それをゆっくりリセットしていたら,その間はものが見られないから,なるべく早く動いて戻さないといけませんね。どこかでそのメカニズムができたのでしょう。
 同じメカニズムを,もっと上の階層の脳が使います。そうすると,今度は目から入った信号で目を動かせる。もともと反射の副産物の1つだったものが,例えば上丘のところを動かして網膜からの情報が入ってくると,今度は視覚情報によって相手を見ることができるようになるわけです。
 しかしそれだけでは不十分で,景色を見ると対象物がたくさんあり,そのどれを見るかを選択しなくてはいけません。その選択には種々の条件があり,そのための情報を提供する脳の領域が必要で,それが大脳皮質であり大脳基底核なのです。基本的なメカニズムは温存しつつ,その上に新しい機構が乗っかって,最終的には自分の思い通りの動きをするようになったということが,「階層的」と言う意味です。

神経科学と進化-階層性を考える

山鳥 認知科学的な発想と,生物学からあがってくる神経生理学の発想で,いちばん違う点はこの階層の問題だと思います。認知科学は「階層性」を無視して,情報の流れという1つのレベルで考えるところがあります。しかし生物の場合は階層性が最も大事だと考えられます。言い換えると,階層にはだんだん積み上がっていくという,進化の問題が入ってくると思いますが,このような考えは,いまの神経科学の中に入ってきているのでしょうか。
彦坂 かなりの人は意識して研究していますね。ただ,個々の研究者がそこまでカバーしているかというと,なかなかそうはいきません。
山鳥 神経系を考えていく時に,何億年の進化の積み上げというものも考えの中に入れなくてはいけないと思います。
彦坂 そうですね。『Trends in Neuroscience』のレビュー記事に,「Skilled Movement(熟練した手の動き)はどう進化してきたか」という話がありました。その結論は理解していませんが,このようなアプローチはとても必要です。
山鳥 例えばコーヒーを飲もうとする時,カップに触る前に指が取っ手をつかむ形になっているのは,実に不思議ですね。われわれは何も考えていませんが,これにはそれだけの年数,億の単位の年数がかかっています。その積み上げの上に,また新しいことが積み上がってくるのです。ニューロンという同じ材料を使っているけれど,上に積み上げる点が,生物学の大事なところだと思います。

神経生理学と神経心理学


彦坂興秀氏
彦坂 このような脳のシステムについて,人について直接わかっていることは非常に少なく,ほとんどはニホンザルやアカゲザルなどのいわゆるマカクザルでの発見から推測しています。動物実験の場合は生きている状態で色素を注入し,何日か経ってその色素が運ばれていったあとに殺して,ニューロンの行き先を調べることができますが,そのようなことは人ではできません。それではfMRIでどこまでいけるかとなると,期待は大きいけれど,時間解像度が悪いなど一方で失望する点もあります。
山鳥 イメージングは,オペレーションの方法がどうなっているかという生理学的な側面は飛ばして,機能がどう分布しているかというマップを作ろうとしているわけですね。
彦坂 少し難しい課題を与えると,脳のそこら中が活動してしまいます。例えば頭頂葉の頭頂間溝は絶対活動しているなどです。しかしそれが必要かどうかに関してはわかりません。そこで,神経心理学がとても大事になると思います。つまり,頭頂間溝が壊れていたら,その課題はできていたのかどうかなど,両方を組み合わせてみないとわからないのではないですか。
山鳥 そうですね。例えば実際に人に損傷があった場合に,生理学やイメージングから出てきたデータに対応するような問題が起こるか起こらないかで,脳がどのように働いているのかがわかる可能性があります。対応のある問題は,確かにそういう働きをしているのだろうし,対応がない問題はリダンダントなシステムがあって,いくらでもカバーできるということでしょう。
彦坂 生理学も歴史的にみれば,最初は破壊実験と刺激実験でした。今はシングルユニットリコーディング(単一ニューロン活動記録)とイメージングが主流ですが,そういう方法で詰めていって,どこかでもう1度破壊ないし刺激実験を組み合わせると,強い結論が出てくると思います。
山鳥 基本的には,行動の変容に現れないことには,断片的なデータが本当に重要な問題を掴まえたのかどうかはよくわからないということですね。
 結論めいたものが出たようですので,ここで終わりにいたします。本日はありがとうございました。