医学界新聞

 

連載(8)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(高知医大・看護学科)


(前回,2401号

「微笑みの国」タイ

 今回からは,これまでのコソボ関連の話題から,筆者が通算4年半暮らしたタイという国について,そこで暮らす人々,そして看護職の姿を中心に話を進めていこうと思います。まず今回は,本連載の第1回目(2月28日付,2377号)でちょっと触れました,タイ国立マヒドン大学のMPHM(Master of Primary Health Care Management)コースを紹介いたします。

豊かな食文化の国

 私は,タイという国とそこで暮らす人々が大好きでたまりません。何にそれほど惹かれるのでしょう。第1にあげられるのは,人々の温厚で優しさのあふれる人間関係かもしれません。タイで初対面の人と会う時はまったく緊張する必要がなく,相手を尊敬し思いやる心があれば,ありのままの自分で触れ合うことできますし,その気持ちが伝わります。そして,美味しい果物や新鮮な魚介類が1年中あり,それはタイの豊かな食文化を物語ります。
 バーミー(ラーメン)屋台のおばさんに,日本のラーメン代が高いことを指摘され,「日本はかわいそうな国だから,ずっとタイで暮らしなさいよ」と勧められたり,「料理がまずければ食べない」というタイの人々の頑固な味へのこだわりには,「米粒1つ残さず食べる」が常識と育った私には,初めはやや奇異に映ったりしました。
 近年のタイは,都市と地方の経済格差は開く一方ですが,それでも地方の,いわゆる田舎に行くと,その風景とゆるやかな時間の流れに「ホッ」とすることができます。私の中のタイは,人の暖かな心に包まれた豊かな食文化の国なのです。

マヒドン大学のMPHMコース

 この「微笑みの国」タイは,私にとっては毎日がフィールドワークの地であり,プライマリ・ヘルスケア(PHC)の勉強ができるMPHMは願ってもないコースでした。
 マヒドン大学は,1984年に公衆衛生学部を設立。現在は44のコースがありますが,そのうち11コースが英語での授業で留学生を受け入れています。また,1982年には日本からの援助(JICA)とタイ国厚生省,そしてマヒドン大学の協力により,マヒドン大学サラヤ・キャンパス内にAIHD(ASEAN Institute for Health Development)が設立されました。このAIHDに,1986年より開発途上国のPHC専門家を養成する目的で作られた修士課程がMPHMだったのです。MPHMは1年間のコースで,従来の公衆衛生必須科目に加え,情報処理科学やマネジメント,フィールド・トレーニングを学ぶという特色があります。
 学生数は毎年30名ほどですが,ASEANを中心に世界中から留学生が集まり,すでに330名を超える卒業生を送り出しています。AIHDには,このほかに短期間(1-2週間程度)の研修コースもあり,エイズやPHCを中心に10コース近くが用意されています。詳細については,第1回目にも紹介しましたマヒドン大学ホームページ(下記に再掲),または雑誌「公衆衛生」(医学書院,Vol.62 no.3, 201-206, 1998)を参考にしてください。
 MPHMには,10を超える国々から集まった留学生たちが,ほぼ全寮制をとり24時間の共同生活をしています。授業は,連日朝9時から夕方4時までみっちりでしたから,レポートや試験が重なると大変でした。タイ人をはじめお国訛りの強い英語が飛び交い,聞き取るのが精一杯の状態です。でも,そのMPHMで得た収穫は大きく,その後の緊急救援活動や日本での教育現場でとても役立っています。それは数多くの異文化を,タイにいながらにして体験できたこと,英語を道具として勉強したために世界が広がったこと,PHCのフィールドがそこら中にあり,生の現場を存分に見ることができたからでしょうか。

国際的視野を持つきっかけ

 この短い期間の中で最も心に残ったのは,ある学友との話でした。その友人は,私と同い年のカンボジアからの留学生でしたが,映画になったことでも知られ,世界の歴史に残る「キリング・フィールド」の中で生き残った子どもでした。
 日本はちょうど高度経済成長の真っただ中,私が青春を謳歌していた中学・高校生時代にあたります。その頃,彼ら子どもたちは,両親と引き離され労働のために田舎へ強制的に移動。その友人の父親は,「教師である」と,その職業を正直に答えたために銃殺されたと言います。やがて子どもたちは解放されましたが,飢餓状態の身体のまま,徒歩で何十日もかけてプノンペンの自宅に帰り着いたそうです。しかし,その後にも極貧の生活が待っていたのです。
 同じ時間を生きて,今ここで一緒に語り,笑い,勉強していても,まったく違った歴史を持っているのだということを,本人を目の前にして痛いほど感じました。
 「勉強は机の上だけでするものではない」とよく言われます。それは多くのフィールドに飛び出して体験し,肌で感じることが重要だという意味なのでしょう。日本という国だけでの勉強ではなく,今までとはまったく異なる考え方をした文化・習慣の土地で,自分の中に固定してしまっている価値観を突き崩すという体験を持つことは,国際的視野を持つ上で重要なきっかけになるのだと思います。

・今月のホームページ紹介(再掲)
 http://www.mahidol.ac.th
 タイ国立マヒドン大学のHPです。AIHDを開いてください。そこにショートコースとMPHMのコースの詳細が紹介されています