医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 舞台はトランポリン

 加納佳代子


 10分間の主役を務めあげ,ゆっくりと舞台から降りた新人老俳優は,紅潮した頬をゆるませ,はにかんだ笑顔を周囲に振りまいた。
 「私が今日ここで得られた感慨は,皆さんとともにあったおかげです。ありがとう」
 そういう眼差しを1人ひとりに向け頭を下げた。脇役や音楽担当者だけでなく,老俳優の家族や私たちも沸き立つ拍手で彼を迎え,カーテンコールさながらであった……。
 ここは東京下町のデイケア室を借りて月2回試みられている,「看護音楽療法」の舞台である。
 彼が舞台に立ったのは今日で2度目。うつ症状の老人性痴呆があり,初めての舞台に立つためにここにきた日は,仮面様顔ぼうであった。今日だって固い表情をして,体をこわばらせながら家族と一緒にやってきた。
 「雨の中をよくいらっしゃいました」とスタッフが出迎えてくれる。手浴や足浴をしながら,ねぎらいの言葉をかけてリラックスさせる。そして,ゆっくりとした語らいを添えながらのマッサージに少し顔が和らぐ。ピアノの曲が彼の呼吸に合わせるように奏でられ,その音はやがて,「用意できましたか。さあ舞台へあがりましょう」と合図するかのようにリズムのある曲に変わる。ひと足ひと足,手を引かれ歩き出す。ピアノ演奏が彼に寄り添う。
 舞台は2メートル四方,高さ50センチのトランポリンの上。スタッフは黒子のように後に立つ。舞台の上で彼は背筋を伸ばし,全神経を立つことに集中する。 顎をあげ,両手を片方ずつ高くかかげ,新体操のリボンをくるくると回す……。
 拍手喝采を受け,スタッフと固い握手を交わす。別人のような落ち着きと,自信にあふれる足取りで舞台を降り,彼はきらきらと輝く目で1人ひとりスタッフを見渡し小さく頭を下げていく。そこには彼のための特別な時間と空間が用意されていた。
 「ケア」というサービスを形にするということはこれだ。
 見学に同行した,日々難病と対峙する神経内科の医師は,パーキンソン患者を主としたこの療法を見学し,
 「これが医療の理想ですね」と言った。精神科の医師は,
 「これだけ濃厚な治療なら,1人1万円以上ですね」と言った。そして同行の看護婦たちは,
 「プロの集団の仕事を見せてもらった」と感想を述べた。
 この上演にあたったスタッフの眼差し,語り,動きのすべてを使い,1人ひとりの患者がいかに心地よい時空間で過ごせるかに,神経と時間が注がれていた。
 いい舞台を見させてもらった。看護という仕事の本質は脇役のプロである。そして,これほどの活力を引き出すことができる力を持っているのだと心弾んだ。