医学界新聞

 

《短期集中連載》全7回

ボストンに見る米国の医学,看護学,
ならびに医療事情の激しい動き(2)

日野原重明(聖路加看護大学名誉学長)


ベス・イスラエル・ディーコネス・メディカルセンターについて

第2392号より続く)

12月26日(日)・第2日目

 昨夜は12時半頃就寝したが熟睡できず,催眠薬を飲んで寝たところ,午前7時半の電話のコールに返事をしたまま,また寝込んでしまい,目覚めたのは午後1時過ぎであった。飛び起きて支度し,荷物の整理をしていると,ラブキン(Rabkin)夫妻が私をホテルに迎えにこられた。
 前回も書いたが,ラブキン先生は出雲正剛ハーバード大学教授夫妻を22年も前から世話されてきた元ベス・イスラエル病院長で,今は主としてハーバード大学の医学部学生の外来での教育のための仕事をしておられる。出雲先生のお宅のクリスマスディナーに招かれていたので,夕方,夫妻の車で一緒に出かけた。

BIDメディカルセンターの誕生

 ハーバード大学系の教育病院のベス・イスラエル病院はユダヤ系の総合病院で,MGH(マサチューセッツ総合病院)やブリガムウィメンズ病院とその研究や診療について長い間競い合ってきた病院である。
 ベス・イスラエル病院は88年の歴史を持ち,350床を擁する一流の3教育病院であるが,1996年に通りの向かいにある250床を持つプロテスタント派のディーコネス病院と合併してベス・イスラエル・ディーコネス・メディカルセンター(以下,BIDメディカルセンター)となった。
 そして,従来のベス・イスラエル病院はウエスト・キャンパス,またディーコネス病院はイースト・キャンパスと呼ばれている。このメディカルセンターは,地域住民のための良心的な医療サービスと提供するとともに,学問的にもレベルの高い研究を行なっており,前記のようにMGHとブリガムウィメンズ病院との連携によるヘルスケアグループとは,あらゆる点で競い合っている間柄である。ハーバード大学医学部長は,両系統の調整に心を用いている気配である。
 ラブキン先生の話では,先生が30年も勤めた院長を辞めた後を,後任のクレッセル院長(Dr.Kressel)に譲ってからは,ベス・イスラエル病院は非常に経営が悪くなり,ひどい赤字の上,合同した両病院の医師やナースのスタッフが円滑に融合する気分が乏しく,非常な困難に直面している様子であった。特に両病院の麻酔医群は妥協せず,ついにBIDメディカルセンターの元にディーコネス病院の麻酔医や心臓カテーテルで有能な循環器専門医はライバルのブリガムウィメンズ病院に転職したとのことである。

BIDメディカルセンターの現況

 出雲先生から昨年私のところに送ってきたボストンの新聞の記事によると,ボストンの有力な総合病院(その多くはハーバード大学の関連病院となり,ハーバード大学の教職がそれぞれの病院で研究・教育・診療を行なっている)は,民間保険会社のHMOなどの機関によるいきすぎた管理体制下の医療(マネジドケアと言う)となったために,患者の入院期間は極度に短くされ,また治療法や検査法の選択に1つひとつ保険会社の許可を得るという煩雑な事務的処理のため,医師の時間がとられ,治療が非常に制限され,診療による収入がひどく減少したとのことである。
 新聞の報道によると,この経済的打撃は合併したBIDメディカルセンターに最も大きく,1999年度には5000万ドル(日本円で約55億円)の赤字が見込まれるとのことである。
 両病院の合併で,今やベス・イスラエル病院の救急部はディーコネス病院に移っているが,産科病棟42床はそのままである。また,日帰り手術が増加したため,外科用入院ベッドの3分の2は使用されなくなったとのことである。
 昨年3月のボストンの地方新聞「Boston Globe」紙には,今まで黒字財政の7つの大病院のうち,N.E.メディカルセンターを除いた他のすべての病院の1999年度の最初の3か月の財政はすべて赤字となり,合併したBIDメディカルセンターが最悪を示したと報道されていた(表)。

BIDメディカルセンターの将来

 BIDメディカルセンターは,将来さらに病床を削減する方向に進む様子である。米国の西部の病院の合併については,カリフォルニア州サンフランシスコ市の州立カリフォルニア大学サンフランシスコ校の大学病院と,私立のスタンフォード大学のサンフランシスコの大学病院は2年前に合併して経営を行なうことになったが,これも合併がうまくいかず,かえって赤字が増したので,1999年12月には両者がまた分かれるということに決定した由である。
 4-5年前から,米国や英国でも大学や病院の合併が企てられるという機運が高まったが,今や合併に警戒するというムードになっている様子である。ちなみに,現在のハーバード大学医学部の学部長マーチン(Dr.Martin)は,4-5年前まではカリフォルニア大学サンフランシスコ校の学監という強力な地位にあって,サンフランシスコでの病院合併の指導者だったそうである。彼はその合併発案後,間もなくサンフランシスコを去ってハーバード大学の医学部長に就任して今日に至っている。

出雲正剛ハーバード大学教授宅でのクリスマスディナー

 出雲先生の私邸はボストンの町から少し離れた住宅地の中にあるが,私は一昨年のクリスマスディナーに彼の研究室で仕事をしている数名の日本からの研究員ととともに招待され,楽しく歓談したことを思い出した。出雲先生は東大在学中に私たち夫婦が媒酌して結婚されたが,新婚早々にボストンに移り,ラブキン院長の配慮でベス・イスラエル病院で研修が受けられることになったのである。出雲夫妻には今年大学入学のご子息と高校生のお嬢さんがおられ,2人とも学業も音楽も成績抜群である。私は自分の家にいるようなリラックスした気持ちで,クリスマスディナーの一時をラブキンご夫妻と楽しんだ。


ハーバード大学,MGH(マサチューセッツ総合病院)にて

12月27日(月)・第3日目

ハーバード大学における心身医学

 朝7時に臨床心理学の若い研究者である堀越勝君夫妻をホテルの朝食に招き,朝食をとりつつ,MGHに関係して2人が働いている臨床心理学ならびに行動科学方面での研究や臨床についての動向を聞いた。
 私は1952(昭和27)年に米国の心身医学を日本に導入し,また後に行動科学の普及にも努力したが,日本では心療内科の一部の医師が行動療法に関心を持ったにすぎず,そのため服薬指導や生活指導が不十分にしかなされていない。米国では,心身医学者の中に行動科学者が多く,そのため習慣の変容といった実践行動学が日本より進歩している実態を知らされた。
 ハーバード大学は私立の大学であり,かつ研究や教育や診療用にはボストン市にある民間の病院と契約して,大学の教授の多くがその出先の施設に研究室を持ち,またそこで教育と研究が行なわれている。
 精神科についてはMGHの他に,この病院と提携している,マサチューセッツ州のBelmontという町のMcLean Hospitalという施設がある。そして,この母病院はさまざまな精神病者や行動異常者,うつ病その他を扱う外来部門の他に,近くに3つのサテライト・クリニックを持っている。そこでも精神病患者や行動異常者,心身症などの患者が長期のプログラム(continuing program)のもとに診療が行なわれている。またさまざまな難病の精神病や人格障害を持つ患者の家族を支えるための会が催されており,ボランティアとして働く方の教育もなされている。
 精神科に限らず,一般にボストン市の総合病院は,それぞれが郊外でサテライト・クリニックという出先診療所を持ち,詳しい検査や手術のためには母施設に送るというネットワークづくりが盛んである。その出先からの紹介患者を母病院が受け入れることにより,取扱い患者数を増やして病院の機能をフル回転させ,増収を図るという戦略がとられている。ボストン市のどの系統の病院でも,これと同様の戦略の下に大病院が経営されているのが現状である。

ハーバード大学公衆衛生大学院ブレイン教授との会見

 午前10時に堀越夫妻の車で,ハーバード大学公衆衛生大学院(Harvard School of Public Health)の建物に案内され,ここで約2時間,この大学院の中の環境衛生(Environment Health)部門のブレイン(J.D.Brain)教授と話をすることができた。
 日本の医学校には,公衆衛生学講座や衛生学講座があるが,これはドイツの医学校に倣って医学生の医学教育の中の一部門とされていた。しかし,米国では医学部とは独立したSchool of Public Healthの大学院がハーバード大学やジョンズ・ホプキンズ大学,その他私立や公立の名門大学に作られている。日本ではこれに準じた公衆衛生大学院が京都大学に本年4月に設置されたので,私は母校京大のために若干の資料を得たいと思って,今回ここを訪問することにしたのである。
 実は1998年11月に,帝京大学が米国のハーバード大学と英国のケンブリッジ大学,オックスフォード大学と合同で臨床疫学のシンポジウムを東京で開いた時に,私はその講師となり,ハーバード大学公衆衛生大学院からハーバード大学の客員教授の辞令をもらった。そして,2000年の9月中旬に,ボストンで「加齢と健康」と題する合同シンポジウムの講師に頼まれているので,その打ち合わせも兼ねて,環境衛生部門の主任,ブレイン教授に会見を申し込んだわけである。
 ブレイン教授からは,ハーバード大学ではどうしてこのような公衆衛生大学院が発足したかについての沿革をお聞きした。

公衆衛生大学院の組織

 ハーバード大学には,1909(明治42)年に医学部内に予防医学と衛生学部門ができたが,これは米国の医学校では最初の試みであったという。
 ところが1922(大正11)年にロックフェラー財団の寄付があって,その資金をもとにHarvard School of Public Healthという大学院が発足したのである。
 そしてこの大学院には,
(1)Department of Biostatistics
(2)Department of Environmental Health
(3)Department of Health Epidemiology
(4)Department of Health Policy and Management
(5)Department of Maternal and Child Health
(6)Department of Nutrition, Department of Immunology and Infections Diseases
(7)Department of Health and Social Behavior
の各部門がある。
 そして,Epidemiologyの部門の中には,
(1)Clinical Epidemiology
(2)Cancer Epidemiology
(3)Environment/Occupational Epidemiology
(4)Epidemiological Methods of Infectious Diseases
(5)Molecular Epidemiology
(6)Pharmaceutical Epidemiology,
(7)Psychiatric Epidemiology

などが含まれている。
 そして,Master of Science in EpidemiologyやDoctor of Science in Epidemiology, Doctor of Public Healthが1年ないし3年の課程後に授与されるのである。
 最近,日本からハーバード大学公衆衛生大学院に入学する人の中には,臨床疫学(Evidence Based Medicineを含む)を専攻する人が比較的多いようである。この大学院に入学するには米国籍の者は9か月の授業料2万2950ドル(年間約240万円)の他に,登録費,健康保険,食事,交通費,その他計4万314ドル(年間約450万円)払わなければならない。外国人も同額である。夏期コースをとればそれより年額4600ドルを上乗せするという。

環境衛生部門について

 私が面会した環境衛生部門では,地域住民の疾病を起こす環境因子(身体的,化学的,生物学的)の影響を同定し,計測して,健康な環境や健康政策を樹立するための科学的証拠を提供する研究をすることを目的としているという。臨床疫学(EBMや判断決定術)のコースはMGHやブリガムウィメンズ病院においても,教育・研究の場が与えられているという。
 この環境衛生部門は下図のごときセクションに分かれている。常勤スタッフとしては,教授11名,準教授16名,助教授13名,講師7名であり,またAdjunct faculty(付属教官)として,教授4名,準教授2名,助教授3名,講師2名という大所帯であり,日本の大学とは比較にならない。
 ブレイン教授はハーバード大学医学部の予算や公衆衛生大学院の予定などを示す資料をも下さった。米国は最近好景気であるところから,私学のハーバード大学への政府の助成金も多額になっているが,医学部に対する予算は8年前の1991年度の約460億ドルから,1999年度には3.5倍の1万5000億ドルにも増加している。その中の政府からのグラントは予算の34%,民間からの寄付その他が20%,学生の授業料は予算の10%にすぎない。
 一方,School of Public Healthについては1991年度の年間予算は約150億ドルが,1999年は500億ドルになっている。政府からのグラントは50%,外部からの寄付その他は32%で,学生からの授業料は予算の8%にすぎない。
 日本には厚生省の管轄下に公衆衛生院があるが,この建物は戦前ロックフェラー財団からの寄付によるものである。その年間予算は不明だが,研究スタッフ陣はハーバード大学の公衆衛生大学院に比しきわめて少ない。先にも触れたが,このたび文部省の英断で,京大に今年の4月に発足した公衆衛生大学院は,臨床疫学部門の教授陣が多く,スケールも大きいが,それでも多数の人材を持つ米国の施設に比べると少数と言わざるを得ない。日本では,私学の帝京大学が臨床疫学部門の活動の拡大を企図しているが,わが国の体制はまだまだ弱い。
 最後にブレイン教授は公衆衛生大学院の教授名とその業績をまとめた膨大な年報(1996年,Faculty Research)を下さった。この年報の終わりに書かれた教授陣の表から計算すると,この大学院全体としては教授53名,準教授64名,助教授64名,講師23名という大所帯で構成されていることがよくわかる。

ストックル教授の外来診療

 正午近くなったので,私は2000年9月のここでのシンポジウムでの再会を約して,教授室を辞した。
 この大学院の前で定刻に堀越夫人が車を待たせていたので,近くの医学書店に連れていってもらった。日本では得難い十数冊のテキストを買い求め,船便で日本に送ってもらうことにした。船便では送料が格段に安いのに驚いた。
 それから,私はMGHに向かい,予約していたストックル(J.Stoeckle)教授をプライマリケア外来に訪れた。先生は今年名誉教授になられたが,それでも外来診療を続け,今でも学生やレジデントの指導を続けておられる。この部門の掲示板には,この外来部門の発展に貢献したストックル先生の大きな肖像画が飾られていた。
 MGHは自身の病院の歴史に非常な誇りを持ち,建物の各所に歴史的な医師やナース,研究者の各時代の肖像が大型の額に入れられて展示されている。
 この病院は,在宅ケアやソーシャルワーカーによる患者と家族のケアのために,長年貢献してきたことで有名なアイダ・キャノン夫人の働いている大きな写真が飾られており,私は興味深くそれを眺めた(このキャノン夫人の訓練を受けたミス・シップスが,1932〔昭和6〕年から1941〔昭和15〕年まで来日し,聖路加国際病院のソーシャルワーカーの先駆者として貢献された)。
 この病院はエーテル麻酔の他にも,世界で初めて結核患者にストレプトマイシン注射が行なわれたところであり,米国内に多くの研究所を持つ代表的総合病院として有名である。

ボストンに見る米国の医学,看護学,
ならびに医療事情の激しい動き

〔第1回〕ボストン再訪(第2392号掲載)
〔第2回〕ベス・イスラエル・ディーコネス・メディカルセンターについて/ハーバード大学,MGH(マサチューセッツ総合病院)にて(本号)
〔第3回〕MGH(マサチューセッツ総合病院)にて(続)(第2395号)
〔第4回〕MGH Institute of Health Profession訪問/問われる米国の病院の看護(第2396号)
〔第5回〕Shapiro教育研究センターに見る米国の医学教育/ハーバード大学における医学生のための「予防医学,栄養学,外来でのプライマリ・ケア」(その(1))(第2397号)
〔第6回〕ハーバード大学における医学生のための「予防医学,栄養学,外来でのプライマリ・ケア」(その(2))/Shapiro外来棟クリニックにて/ボストン滞在最後の1日(第2399号)
〔第7回〕ミレニアムをまたいだ帰国の機上で考えたこと(第2400号)