医学界新聞

 

ハーバードレクチャーノート

連載 第5回 
シビルアクション-白血病の子供を持つ親たちは立ち上がった

浦島充佳(ハーバード大学公衆衛生大学院)


 皆さんはジョン・トラボルタ主演「シビルアクション」という映画を既にご覧になったでしょうか?映画はフィクションタッチで創られていましたが,これは実際にボストン郊外で起こった話です。今回はハーバード大学疫学講座モンソン教授の講義をヒントに話を進めていきます。

ウーバンで多発する癌!?

 ウーバン市はマサチューセッツ州ボストン郊外にある人口3万7000人の都市です。130年以上も前から工業地帯として栄え,大きな化学工場や革加工センター,駆虫剤用の砒素工場,織物,紙,にかわ工場が昔からあります。1960年代後半,一部の住人が「水が臭い,濁っている」と訴えましたが,市は問題ないとしています。1970年代後半,子どもが白血病に罹患したアン・アンダーソンらの率いる市民団体が「ウーバンで癌が増えているのではないか」と警告を発しています。他の理由で1979年春から夏にかけてウーバン北東部の工業地帯で化学汚染物質が廃棄されているのが発見されました。
 ウーバンの水は8つの市営の井戸より供給されていましたが,そのうち2つはウーバン東部で同一の水源でした。この2つの井戸水よりダイオキシン類が高濃度で検出されたため井戸は閉鎖となりました。ダイオキシン類の発見された井戸の付近に穴が掘ってあり,化学廃棄物が放棄されているのが発見されました。また付近の池の水は鉛,砒素,その他の重金属で汚染されているのもみつかりました。そしてウーバン東部の地下水は多くの化学物質によって汚染されていることが発覚したのです。
 1979年10月,地区の牧師が「最近15年間に町のある地区の子どもの間に,10人もの白血病患者が発生している」とマサチューセッツ州公衆衛生局に報告したため,井戸の化学物質汚染による健康被害がにわかに取りざたされるようになりました。1969-1978年のウーバンにおける癌死亡率は,統計学的にアメリカ全体のそれより高いことがマサチューセッツ州公衆衛生局の調査で判明しました。同時にボストンの小児血液病学者が「1972年以来,ウーバンのある小さな地区で6人もの小児白血病患者が発生している」と報告しています。さらに国立職業健康局が,かつてウーバンにあったペット食工場の作業員3人から腎癌が発生したとしています。

調査に乗り出したハーバードパブリックヘルス

 このような一連の報告よりマサチューセッツ州公衆衛生局は,Centers for Disease Control and Prevention(CDC)と協力してウーバンの住人の健康に何が起こっているのが調査に乗り出しました。しかし,白血病と腎癌の発生頻度の増加を認めたものの,井戸水の化学汚染との因果関係を見出すことはできませんでした。
 この時点で,ハーバード公衆衛生大学院およびダナファーバー癌研究所の生物統計,疫学のラガコス教授とゼレン教授ならびにウエッセン助手が調査に乗り出しました。
 はウーバンの井戸汚染地区と白血病小児の住所を調べた地図です。汚染されていた井戸水2つはウーバン東部にあり,市内の8つの井戸水はお互い連結していたため東部における水の汚染が強く,西に行くにしたがって汚染の程度が軽くなったと考えられます。確かに井戸水汚染地区を中心に,小児白血病が集積しているように見えます。アメリカの年齢ごとの小児白血病と比較すると,ウーバンからは5人が発生する可能性がありますが,1969-1979年の12人は統計学的にも多く,しかも男児は3人発症の可能性のあるところに9人発症しています。さらに調査グループは1982年まで観察期間を延長し,合計20人の小児白血病について検討しています。
 彼らはマサチューセッツ州公衆衛生局とCDCの調査結果を踏まえ,2つの手段をとりました。1つは汚染された時期に井戸水を飲んだことと小児白血病の関連を調べてみました。もう1つは妊娠中の問題と小児疾患についても,サーベイの形で調査することにしました。なぜなら奇形や一般小児疾患は頻度が高く,白血病や成人癌などより短い潜伏期間で発生するため,汚染水が何らかの形で影響したことを証明する上で感受性の高い指数となり得ると考えられたからです。

調査の舞台裏に熱いcivil actionがあった

 彼らは汚染された井戸の影響を地区ごとに5段階に分け,またウーバンの住人として生活した年数を考慮に入れ,化学物質への暴露を定量化しています。このことにより,小児白血病と一部の奇形(周産期死亡,耳/眼奇形,中枢神経奇形/染色体異常/口蓋裂)が,汚染された水を飲むことによって用量依存的に増加していることを統計学的に証明し,疾患多発と環境汚染の因果関係を証明することは難しいと言われている中,社会に大きなインパクトを与えたのでした。
 彼らは300人以上のボランティアを動員して,8190のウーバン住人に対して,1960-1982年までの妊娠中の問題や小児疾患の発生について聞きこみ調査を行ない,最終的に5010家庭(これは電話帳に載っている町の住人の57%にあたります)から情報を得ています。
 インタビュー係は本サーベイに関して講習会に参加してもらい,インタビューの仕方を統一しました。また2人一組になってもらい,1人はインタビュー役,1人はうなずき役となってもらいました。そして,1982年の町の電話帳よりランダムに抽出しました。インタビュー係は担当する住人の名前や住所を知りません。また,電話番号自体でウーバンのどこに住所があるかはわかりません。この調査の舞台裏には,熱いcivil actionがあったのです。
 しかし後になって,ボランティアの中には白血病の子どもを持つ親も含まれていた点がバイアスを生じたのではないか,という指摘もされています。

勝訴した市民

 ハーバードのグループは,化学物質が小児白血病を中心とする病気の原因であると断定していませんが,論文はそれを強く示唆していました(J Am Stat Assoc 1986; 81:583-596)。その結果を受けて,白血病の子どもを持つ8つの家族が化学物質汚染の元凶を作った会社を相手取り,400億円の訴訟を起こしました。化学物質汚染が免疫異常を誘発し,これが間接的に白血病発生につながったとする原告側の主張が通り,会社は白血病患者の家族に8億円の賠償をしたのでした。これがその後の環境汚染関連訴訟のマイルストーンになったことは言うまでもありません。
 小児白血病はしばしば多発します。イギリスの核取り扱い施設付近で小児白血病が10倍近く増加したことがありますが,その因果関係は証明されませんでした。香港の新興住宅地では小児白血病の頻度が数倍まで増えました。電磁場と発癌の関係について昔から論議されてきましたが,誰もが納得できるデータは証明されていません。環境汚染と病気の原因を結びつけることは困難です。喫煙により肺癌発生率が10倍以上に上昇することが証明されていながら,タバコ会社は「相関関係は因果関係を証明するものではない」として長期に渡り反論し,非を認めませんでした。ましてや病気の発生が2倍前後に上昇したくらいで因果関係を証明することは相当多くの人々を対象に調査しないと無理です。
 この裁判は白血病の家族,さらにはウーバン市民の勇気ある行動がハーバードの疫学グループ,そして弁護士の心をうち,さらには陪審員,裁判官の心をうって勝訴につながったものと私は信じます。日本の中でも類似の状況は数多くあるように思いますが,裁判にさえ至らないことが多いのではないでしょうか?