医学界新聞

 

誰のため,何のための保健医療か

-「佐久」の実践が示すもの

若井 晋氏(東京大学教授・国際地域保健学)インタビュー


 私が東大に入学した1965年はちょうど学内で日韓平和条約反対闘争が行なわれていて,大学紛争がもっとも激しい時期でした。駒場の教養課程が終わり,本郷に来ると,学生はストライキに入り,1年半にわたり授業が行なわれませんでした。
 学生時代の私は地域医療研究会という学内のサークルに所属していて,ストライキに入る前までは,若いドクターなどに引率してもらい,医学生・看護学生仲間と無医村で提供されている医療の現状を見に行ったり,実際に診療を手伝ったりしていました。当時の日本は経済的に豊かとは言えず(私も含めて学生の多くはアルバイトをしながら自活していました),まだ無医村もたくさんあったのです。東京都でも御蔵島などがまだ無医村でしたし,埼玉県でも秩父のほうなど,東京からそれほど離れていないところにも無医村は存在しました。

地域医療の原点・佐久総合病院

 「佐久」での地域保健活動を知ったのは,そんな医学生の時です。「農民とともに」を合言葉に,地道な保健医療活動に取り組み,成果を上げている若月俊一院長(当時)と佐久総合病院は,「地域医療の原点」として,その存在を知られていました。
 この「住民(農民)の中へ」「住民とともに」という精神は,もちろん今もしっかり佐久に受け継がれています。若い医療者には,ぜひ「地域に出かけていく」医療のあり方を学んでほしいと思います。一方,「佐久」総合病院は地域医療の原点であると同時に,千床を有する長野県下最大の病院でもあるのです。つまり,地域で行なわれる地道な予防活動から高度先端医療まで,保健医療のピラミッドのすべてがそこにあり,いい意味でそれらが1つになっているのです。
 このようなモデルは日本にはほとんどありません。1民間病院が,これだけの活動を行なっていることは,驚嘆すべきことであり,そのような意味でも非常に興味深いと言えるでしょう。

活動の中心は地域であるべき

 保健医療というものを考える時,私たちは常に「誰のために」,「何のために」ということを問わなくてはなりません。だから,その時に関わる活動の中心的な場は地域(community)であるべきです。この場合communityとは,人々がともに喜び,悲しみ,苦悩しつつ生き死んでいく場を指します。
 翻って,先進国,特に日本における医療には,これらの問いが欠けているように思えます。日本の医療の問題とは供給側の問題なのです。現在,医療供給側は非常に高コストの医療を提供したがっています。何十万とかかる検査が日常的に行なわれ,遺伝子診断・治療に代表される高度先進医療が次々と開発され,医療費が膨らんでいく……。
 象徴的なのは,MRIの保有台数です。3000台を超えるMRIを日本は保有していますが,これは人口が2倍の米国の3000台を上回り,世界一の数です。つまりその3000台の投資を回収しなければならないために,逆に医療費がかさんでいるという奇妙な状況になっているのです。保健医療の中に企業の営利主義が蔓延し,行政も手を打てません。

保健医療の「政治性」

 そのような意味では,国際保健も含め,保健医療というものは政治的なものなのです。本当に政治を動かしていかなければ,根本的に変わりません。ODA(政府開発援助)についてもそうです。なぜ,先進国と途上国でこれだけの生活の格差があるのかを問わなければ根本的な解決にはなりません。これは世界の構造的な問題なのです。
 大学闘争の際,私たちが問いかけた医学教育の問題点は,このような社会的な側面が完全に抜けてしまっているということです。現在も,進歩する分子生物学などについてはよく教えられるが,保健医療の社会的・政治的側面が教えられていない。あるいは,隠蔽されているのかもしれません。
 そのような意味でも,地域医療に触れることは,医療は誰のためのものか,何のためのものか考えるよい機会を与えてくれます。地域(農村)へ出かけていき,住民(農民)たちのニーズに応えることから出発した「佐久」の実践は,日本社会が豊かになった今も,保健医療の原点を示していると言えます。
(談)