医学界新聞

 

連載
アメリカ医療の光と影(28)

マネジドケアの失敗(5)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


 毎年,12月の第1週に,マイアミ市で「マネジドケアの国際潮流に関するサミット」という国際会議が開かれる。マネジドケアを世界に拡げようとする目的でこの会議が開かれるようになったのは,1993年のことである。昨年は56か国から500名を超える参加者が出席し,米国でマネジドケアに対する批判や反感が強まっているのと裏腹に,米国以外の国でマネジドケアの評価が高まっていることを実証した。コストを減らすと同時に医療の質も改善するというマネジドケアの約束が(米国でこれらの約束が果たされなかった現実があるにも関わらず),世界各国の医療保険運営担当者の期待感をあおってきたからである。
 一方,米国市場が飽和状態に入り,新規加入者増が見込めないこともあり,マネジドケアを運営する米国の保険会社も積極的に海外進出を展開している。特に,中南米諸国に対するマネジドケアの進出は顕著で,エトナ社は330万人(7か国),シグナ社は150万人(5か国)の加入者を獲得している。また,アジアでは,フィリピン,インドネシア,インドなどでマネジドケアが着実に地歩を拡げている。

不評のマネジドケアではなくEBMと呼ぶ

 しかし,米国でマネジドケアへの悪評・反感が強まっている事実は,世界諸国にも広く知れ渡るようになり,「マネジドケア」という言葉を使うと消費者の反感を買いかねないとの理由から,その手法は採用しても「マネジドケア」という呼称は使いたくないという国が増えている。昨年の国際サミットにニュージーランドから参加した保険会社の重役,デイビッド・ランキンは,ウォール・ストリート・ジャーナル紙の取材に対し「自分の会社ではマネジドケアとは呼ばずに,エビデンス・ベイスド・メディスン(EBM)と呼んでいる」と証言している(ちなみに,マイアミの国際会議の名称そのものからも「マネジドケア」の言葉が削られ,同会議は今年から「民間医療セクター国際サミット」と改称された)。
 医療費を抑制するためにマネジドケアの手法を取り入れたいとはいっても,米国のマネジドケアの手法がそっくりそのまま自分の国に移植できると考える人はいない。例えば,診療報酬支払い事務や利用審査には,大がかりなコンピュータのネットワーク作りやソフトウェア開発などが必須となるのであるが,インフラ整備に莫大な費用を要する手法を導入しようとしても実現性に欠ける。マネジドケアの手法の中でも,他の国々ですぐに応用が可能だと期待されているのが「診療ガイドラインの遵守強制」である。

EBMへの誤解

 エビデンスに基づく「診療ガイドライン」を作成し,医師にこれを遵守することを強制することで,「いつでも,どこでも,誰でもEBMが実践できるようになる」とする主張は,一見説得力があり,マネジドケアを支持する人々がしばしば声高に唱えるところである。しかし,「診療ガイドラインの遵守=EBM」という主張はEBMに対する曲解に基づくものであり,マネジドケアを支持する人々がEBMの名を詐称する傾向は世界共通のようである。
 そもそもEBMの定義とは「最善の外的エビデンスを個々の患者に適用すること」というものであり,EBMは個々の患者の問題点から出発し適用可能な証拠を探すという下から(ボトムアップ)のアプローチであり,上から(トップダウン)のガイドラインを闇雲に患者に適用するというマネジドケアの手法とは正反対のものである。
 EBMの提唱者であるデイビッド・サケットも「上からのガイドラインを押しつけられることを危惧する医師たちは,EBMの支持者がバリケードの中で味方となることをやがて理解しよう」とまで述べて,EBMはガイドラインの押しつけ医療とは正反対のものであることを明言している(ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル,312巻71頁,1996年)。

危険な診療ガイドライン

 マネジドケアの運営に際し,最も多用されているガイドラインは,ミリマン&ロバートソン社というコンサルタント会社が作成したものであるといわれている。例として同社のガイドラインが定める「標準入院期間」をあげると,乳癌手術1日,脳卒中1日,肺炎2日,心筋梗塞4日,冠動脈バイパス手術4日となっている。これらの数字がどのようなエビデンスに基づいて作成されたものであるかが主治医や患者に説明されることはなく,「特別な理由がない限り標準入院期間を超える入院については入院料給付を拒否する」という保険会社の決定のみが伝えられ,患者としては,自腹を切りたくなければ,保険会社が定める入院期間を超えるまでに退院するしかないのである。
 昨年11月に,ミリマン&ロバートソン社が出版した小児科ガイドライン(定価千ドル)に対して,テキサス大学の2教授が出版差し止めの訴訟を起こした。2教授は共著者となる同意をしていないのに,勝手に「共著者」にあげられていたことも問題だが,「同社のガイドラインは小児科医療のスタンダードなどとなり得ないどころか,危険極まりない」とその内容そのものを問題としたのであった。同社のガイドラインによると,糖尿病性昏睡の標準入院期間は1日,細菌性髄膜炎で3日と定められており,「こんなことを押しつけたら子どもを死に追いやる危険がある」と2教授は警告している。
 ミリマン&ロバートソン社は,毎年マイアミで開かれるマネジドケアの国際会議のスポンサーに名を連ねているが,自社作成のガイドラインの販路を広く海外に拡大することが同社の最重要戦略目標の1つであると言われている。