医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県県民健康センター常務理事・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第20回〕がん患者のQuality of Life (5)
ワークショップからWHOへの提言

インフォームドコンセントと日本での迷い

WHO編『終末期の諸症状からの解放』
Yates部長(米・国立がん研究所,現メモリアル・ローゼルパークがん研究所医療担当副総長)は,1984年のワークショップ「がん患者のquality of life東京1984」前日のラウンドテーブルディスカッションで,「アメリカではインフォームドコンセントへの取り組みが,患者に治療法の選択の機会を与え,QOLを助けている」と発言。河野博臣先生(河野胃腸科外科病院長)も,「真実を患者本人に伝えることで医師,患者,家族の間に秘密がなくなり,不要な緊張感が除去できる」と指摘した。
 ワークショップでは,「市民の意識」を担当した河野通弘先生(前さきたま病院長)が,「60%以上の市民はがんと診断された時に真実を知りたいと希望しているのに,知らせることを基本方針としている医療担当者が1%に満たない」と述べた。この当時,フロアからの発言はほとんどなかったのだが,患者である上本修氏(東大大学院生,物故)は積極的な発言を行なった。
 ワークショップの出席者の間には,「がん」という病名を曖昧にしておくことが日本の文化と思い込んでいる雰囲気も感じられた。家族は「医師が告げぬよう勧めた」と言い,医師は「家族が告げるなと主張した」と言い,双方とも責任をとらないという医療現場状況の当時は,秘密を持つことによる不要な緊張感が患者のQOLを阻害しているのだ,ということに気づいていない医師が多かったのであった。しかしワークショップでの討論,特に上本氏の発言(前回,連載第19回参照)から,多くの医療者はインフォームドコンセントに取り組む必要性を感じ始めたに違いない。

ワークショップのエピローグ

 ワークショップのエピローグを日野原重明聖路加看護大学長(現聖路加国際病院理事長)が担当した。日野原先生は,「WHOの定義による健康を本当に理解するには,やがて失われていくがん末期の患者の命に対して,医療従事者がいたわりの気持ちと痛みへのコンパッショネートな気持ちを持たなければならない。この意味において,患者の命にもっとも志向した協議がなされた本ワークショップは,非常に有意義であった」と評価した。
 そして,全人的な立場から患者に対応することの大切さ,人間の尊厳,生存への価値づけ,チームケアの必要性,人間の最期へのいとしみを強調された。その上で,「人間の命を真剣に考える機会が,これまでの医学教育や看護教育の中に欠けていた。多くの医師が,ワークショップで討議された事項を知らずに一生を過ごしてきたことの改善をめざして,教育の改革と勉強とを続けたい」と結んだ。

賛同を得られたWHOへの提言

 ワークショップの討議に基づいた提言を,WHOに提出したいと考えていた私は,討議終了時までに提言案を作り,会場で読み上げ参加者の賛同を得た。この提言には,がんの予防と治癒に焦点をあててきた医療が,あまりにも科学的となったため,患者を人間として受け止める,全人的な立場への配慮不足がみられるようになったことを盛り込んだ。そして,改善に向けて多くの医療従事者が試行錯誤の中で努力しているのを助けるために,地球上で育ちつつある知識を集約すること。それらを含め,WHOのプログラムの推進にあたり,特に次のことを配慮するよう提言した。
1.がん疼痛救済プログラムを拡大させ,頻度の高い諸症状も対象とすること
2.いずれの医療機関でも使える簡易なQOL評価法を策定すること
3.心理社会面のケアの基本モデルを広報すること
4.QOLに焦点をあてたカリキュラムを医学・看護教育に取り入れること
5.QOLの重要性について市民に広報すること

ワークショップ後の反響

 このワークショップ開催後,いくつもの反響があった。まず翌年に,イタリア・ミラノ国立がんセンター所在のがん疼痛治療に関するWHO指定研究協力センターが,QOLのアセスメントをメインテーマとした国際ワークショップを開催した。また,1986年にはWHO方式がん疼痛治療法が公表され,世界規模での普及活動が始まった。
 一方で,東京ワークショップの提言を受け入れたWHO本部が,がん疼痛治療と積極的支援ケアに関するWHO専門委員会を開催し,がん疼痛救済プログラムから緩和ケアプログラムへと展開した。これらを通し,世界の医療用モルヒネの使用条件の見直しが勧告され,消費量も急増することになった。
 終末期の諸症状からの解放のWHOガイドラインが長年をかけて完成し,日本語版が医学書院からこの春出版(WHO編,武田文和訳,『終末期の諸症状からの解放』)された。患者のためのみならず,間もなく患者となるであろう自分たちのためにもと,「がん患者の痛みや諸症状からの解放」に取り組み,QOLの一層の改善の達成に向けて,長年にわたり各地の仲間と協力活動を続けている。
(この項おわり)