医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県県民健康センター常務理事・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第19回〕がん患者のQuality of Life (4)
感銘と共感を与えた患者からの発言

ワークショップの討議から

 1984年11月に開かれた国際ワークショップ「がん患者のQUALITY OF LIFE東京1984」では,QOLのあるべき姿や評価法について河野博臣先生(河野胃腸科外科医院長)とvan Dam博士(オランダ国立がんセンター)が講演。続いて,筆者と米・国立がん研究所Yates部長が,地球規模での身体的諸症状解放の推進がQOL向上の土台との考え方に立ち,WHOがん疼痛治療暫定指針とその成績,がん化学療法による嘔気の特性と対策,脳転移による神経症状の防止策などを提示した。
 また,がん患者と医師の心理の双方については,宗教心理学の権威である樋口和彦教授(現京都文教大学長)が説得力のある講演をされた。医学教育や看護教育の意識改革については飯尾正宏東大教授(物故)と野島良子徳島大助教授(現滋賀医大教授)が担当した。これに対して,フロアの医学生や看護学生から,高い関心に応えたQOL教育の早急な充実を望む声があがった。さらに吉田修京大教授(現東亜大大学院長)による治癒が望めなくなった患者への医療,吉村京子大阪赤十字病院副看護部長(前藍野学院短大看護学科長)による看護の役割などの講演があった他,新設間もない聖隷ホスピスと淀川キリスト教病院ホスピスからも現状報告が行なわれた。

患者の立場からの画期的な発言

 このワークショップで,特に画期的だった講演は,東大大学院生(法律専攻)の上本修氏による患者の立場から医師への意見表明で,彼の主張は参加者一同に大きな感銘と共感を与えた。
 ワークショップなどの医学研究会で,がん患者が講演することが稀なその当時,東大病院に悪性リンパ腫治療のため入院中であった上本氏を,組織委員会が特別講師として招いたのである。上本氏は,講演の10か月ほど前から病状がかなり進行していた。しかし,本人の強い意志と,飯尾教授の計らいで3月に外出した折りに出席できたイースター・ミサを契機に,奇跡的とも言える生気を取り戻していた。このような中で上本氏は人間としていっそうの成長を遂げ,周囲の支援に支えられて大学院に入学し,日々を積極的に生きていたのであった。
 壇上の上本氏は,「法律学徒らしい理路整然とした文脈で訴え,参加者は粛然として聞き入った」(柳田邦男著『死の医学』の日記,新潮社,1996より)。
 上本氏は,それから1年ほど後,『癌患者の生を考える』(有斐閣選書)のご自分の発言記録をていねいに校正していたが,残念なことに刊行直前に不帰の人となられた。上本氏の遺稿となった講演録を以下に抜粋する。
 「……患者にとって自分の生命は究極的かつ全面的に自己が責任を負うべきものであって,それは医師の存在によっても変わらない……その意味で,医師の患者に対する『かかわり』は患者の人生に対する自己決定権を,いかなる形においても阻害するものであってはならない……専門技術者としての医師に期待すると同時に,隣人として心の通う医師であってほしい……このような関係のもとでは,医師から患者に対する十分な情報の提供が必要となる。家族に対する情報の告知をもって患者への告知を免れることは一般に許されないと思う……患者に対する詳細な情報の提供が,不必要な精神的ストレスを与えると危惧する医師が多いが,何も告げられずに情報の空白地帯に置き去りにされることによるストレス,患者間で不正確な情報が交換され,それが患者の不安を不必要に増幅している現状を考慮すると,この問題は医師の十分な説明への努力によって解決されるべきであると思う……患者と医師とのコミュニケーションにより形成される信頼関係は,以後の医療サービスのコストを効果的に低減させる機能を持つ……現在,このコストは患者側の不満として蓄積されているため顕現化していないが,それが医師に対する全体的な不信として再生されてくることは医師と患者の双方にとってマイナスである」
 上本氏は,医師と患者の「よき関係」が普遍的に確立されることを期待すると結んで講演を終えた。まさにインフォームドコンセントへの取り組みを熱望したのである。
 それから10年ほどが経った日本で,ようやくインフォームドコンセントと,その延長線上としての診療情報の開示が実践されるようになり,上本氏が期待した「よき関係」に向けた努力がなされている。上本氏は,医療の質が大きく変わりつつある今日を,天国で声援しながら見守っているだろう。