医学界新聞

 

連載
アメリカ医療の光と影(26)

マネジドケアの失敗(3)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


 米国の医療は原則的に市場原理の下で運営されているため,国民の大多数はその医療保険をあまたある民間の保険会社から商品として購入する。市場原理の下での医療を推進する人々は「医療も社会の他の経済活動と何ら変わるところはなく,市場原理・競争原理を取り入れることで,医療の効率化と同時に質の改善が達成される」と主張するのだが,市場原理の下では,経済力の乏しい者が望む商品を購入できなくなるのは必然であり,経済力が乏しいゆえに医療へのアクセスが保証されない階層が出現することとなる。
 米国の公的医療保険メディケア(高齢者用),メディケイド(低所得者用)は,市場原理に任せきりにしていたら医療へのアクセスを閉ざされてしまう人々が出てしまうことに対する,国家としての是正処置として存在していると言ってよい。膨大な税金を投入して公的医療保険という是正処置を講じているのにもかかわらず,90年代に入って,米国では何ら医療保険を有しない無保険者の数が増え続けており(現在国民の7人に1人が無保険者),ここ数年の空前の好景気も無保険者の解消にはまったく貢献していない。実は,マネジドケアの隆盛がこの無保険者増加の一因となっているのである。

マネジドケアのせいで増え続ける無保険者

 マネジドケアは「より安い価格でより良質な医療を提供する」ということを約束して登場したのであるが,この約束が達成されていたならば,これだけ好景気が続いているのであるから,無保険者の数は減っていたはずである。一体,なぜマネジドケアのせいで無保険者の数が増え続ける結果となったのであろうか?
 このことを理解するためには,まず,市場原理の下における医療保険会社の経済行動原理を理解しなければならない。営利の保険会社にとって,その第一の任務は,利潤をあげ投資家に配当として還元することにある。利潤をあげるためには,収入を増やすとともに,支出を減らすことが必須要件となる。支出を減らすためには,被保険者の医療に要する医療費の実額を減らすことがてっとり早い手段となる。保険会社の経営業績を表す指標の1つとして「医療損失(medical loss)」という言葉が存在するが,この言葉に営利保険会社の本音が見事に集約されている。
 保険会社にとって,「被保険者の医療に出費することは『損失』であり,『負け』である」と言っているのである。実際,ウォールストリートの投資分析家たちは,医療損失が85%を超えると配当が期待できないとし,保険会社が優良な投資対象となるためには医療損失を80%程度に抑えることを期待している(ちなみに,連邦政府が税金で運営するメディケアの「医療損失」は97-98%である)。保険会社にとってウォールストリートから見離され株価が低下することは企業の死活問題に直結するから,医療損失はどうしても低く抑えなければならないのである。

果たされなかった「約束」

 保険会社にとって,医療損失を減らす最も有効な方法は,病人を保険に加入させないことである。健常者を優先的に医療保険に加入させる行為は,サクランボ摘み(cherry picking)とかクリームすくい(cream skimming)とか呼ばれるが,サクランボ摘みの例をメディケアHMOに見てみよう。
 メディケアとは連邦政府が管轄する高齢者医療保険であるが,これを民間のマネジドケアに運営させることで「より安価でより良質な医療を提供しよう」いうのがメディケアHMOが導入された目的であった。米政府は,HMO加入者1人当たりに対し,メディケアの平均コストの95%を保険会社に支払うことでこの制度をスタートさせたが,米政府の目論見通りにマネジドケアが成功すれば,米政府はメディケア支出を患者1人当たりにつき5%減らすことができるはずだったのである。また,保険会社は薬剤給付とか眼鏡作成などの付加サービスを提供し,メディケアHMOは旧来型のメディケアよりも「お得な」医療保険となるはずであった。
 ところが,現実には米政府の支出はメディケアHMOという民活化によって逆に増える結果となった。というのも,HMOというのは「保険会社が提供する医師・病院のネットワークの中でしか医療が受けられない」とか,「医療サービスを受ける際に保険会社の門番役を務める主治医を通じ,保険会社による事前承認を得なければならない」という仕組みになっているために,病気を抱える高齢者にとっては「それまでの主治医を変えてまで『不便』なHMOに切り替える必要がない」と,メディケアHMOは魅力ある商品とはならなかったからである。メディケアHMOには,その不便さがあまり苦にならない「健常な」高齢者が付加サービスを目当てに加入することとなった上に,メディケアHMOに加入した患者もひとたび病気になると「医師や病院を自由に選べる」旧来型のメディケアに切り替えるという事態となり,HMOの仕組みそのものに「サクランボ摘み」構造が内包されていることが証明される結果となったのであった。
 有病者の比率が高まり逆に出費が増えることとなった米政府は,メディケアHMOに対する支払いは寛大すぎたと,97年の財政均衡法でその支払いを削減させたが,するとたちまち,「これでは採算が取れない」とメディケア市場から撤退する保険会社が続出し,マネジドケアは「より安価でより良質な医療を提供する」という約束を果たさないまま,40万人のメディケアHMO加入者を置き去りにしてしまったのであった。また,市場に残った保険会社も薬剤費給付などの付加サービスを削減するなど,約束を平気で反故にするありさまであった。
 メディケアHMOの失敗は,医療を市場原理に委ねたとき,「企業の一方的な都合で,約束されたサービスがある日突然消えてしまう」ということが起こり得ることを実証したのであった。

選別される被保険者

 非高齢者の医療においても,マネジドケアはその低価格さを売り物に企業などと大口契約を結び,企業での就労が可能な「健常者」を集めることを優先させた。その結果,社会の中に「企業を通じて加入する健常者を対象とした安価な医療保険」ができる一方,病気になったために企業で働くことができなくなった人々には,「著しく高価な自己加入の保険」を購入できない場合,無保険者となるしか道が残されなくなった(低所得者用の公的医療保険メディケイドに加入する選択もあるが,そのためには蓄えを使い果たして「貧乏」となる必要がある)。
 米国では,企業など雇用主を通じて加入する医療保険は,各企業と保険会社が保険料やサービス給付について個別に契約を結ぶ仕組みになっているのであるが,例えば心臓移植や腎臓移植を受け元気になった患者が「働けるようになったから元の職場に復帰したい」と希望しても,雇用主が中小企業の場合には,「免疫抑制剤」などで高額の医療費がかかる人が戻ってくると企業全体の保険料が上がってしまうため,職場への復帰を拒否されることが当たり前となっている。
 「命は助かったが働くことができない」人々にとっては,無保険者となるか,天文学的数字の医療費を払いながら蓄えを使い果たしメディケイドの適用を受けるか(なまじ働いて収入を得るとメディケイドの受給資格を失うので元気なのにブラブラ暮らすしかない)の選択しか残されないのが現実となっている。米国で毎年無保険者が増え続けていることの原因の1つが,マネジドケアが「サクランボ摘み」に励んだことにあることがおわかりいただけよう。
 保険会社は健常者と有病者とによって保険料を変えることを「リスク調整(risk adjustment)」と呼び正当化しているが,ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシンの前編集主幹ジェローム・カセラーと現編集主幹のマルシア・アンゲルは,サクランボ摘みに励むマネジドケアの商法は,「リスク調整ではなくリスク回避(risk avoidance)である」と,これを強く非難している(同誌1998年12月24日号)。