医学界新聞

 

連載
アメリカ医療の光と影(24)

マネジドケアの失敗(1)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


マネジドケアへの失望

 90年代に入り,米国ではマネジドケアが医療保険の主流となったことは,拙著『市場原理に揺れるアメリカの医療』(医学書院刊)で紹介した。「医療コストを抑制しつつ良質な医療を提供する」ことを歌い文句に登場し,全米に普及したマネジドケアであるが,今,米国民のマネジドケアに対する失望と不満はこれ以上はないというほど高まっている。
 例えば,ニューズウィーク誌は昨年11月にマネジドケアの特集を組んだが,その表紙には苦悶する患者のイメージとともに「HMO地獄」という大見出しが入れられたのである(写真参照)。また,昨年10月にジャーナル・オブ・ヘルス・ポリティクス・ポリシー・アンド・ロウ誌が「マネジドケアに対する反動」という特集を組んだように,マネジドケアがなぜ失敗したかを論じる論文も数多く発表されるようになった。ちなみに,ハーバード大学公衆衛生大学院のキャサリン・シュワルツ教授が同特集に執筆した論文の題名は「マネジドケアの死は周知の事実(The Death of Managed Care As We Know It)」というものであった。
 医療改革の旗手としての期待を集めて登場したマネジドケアがなぜ失敗したかの理由を考える前に,まずマネジドケアについて簡単に説明しよう。

医療不信の落とし子

 単純化を恐れずに言うならば,マネジドケアの定義とは,「保険会社が患者の医療サービスへのアクセスや医師・病院が施す医療サービスの内容を管理・制限する一方,医師・病院に財政的リスクを転嫁することで医療費の抑制を図る医療保険の仕組み」となろうか。マネジドケアは,過剰診療をなくし医療を効率化するとともに,予防医療に重点を置いた良質な医療サービスを提供するということを約束し,この約束が,増大を続ける医療保険費負担に不満を抱いていた企業・雇用主の支持を得て,あっという間に全米に普及することとなったのであった。
 一方,「医師・病院は出来高払い制のもとで不必要な医療サービスを提供して不当な利得を上げているのではないか」という不信を抱く患者=消費者も,マネジドケアが登場した時,マネジドケアは消費者の味方になると大きな支持を与えたのであった。マネジドケアは,患者・支払い者双方の医療に対する不信の強さゆえに登場したと言っても言い過ぎではないのである。

知識の乏しい消費者に代わり保険者が監視役を果たす

 マネジドケアの仕組みは車両保険の仕組みと似ていると言えばわかりやすいであろうか。消費者が医療についての知識に乏しいことを悪用して医療サービスの供給者がサービスの需要を作り出しているのではないかという医療に対する不信感は,「不必要な修理をさせられているのではないか」という自動車修理業者に対する消費者の不信感と共通するものがある。車両保険で保険会社が消費者に代わって修理の必要性を判定するように,マネジドケアでも医療の必要性を保険会社が判定するのである。
 例えば,交通事故などで車両の修理が必要となった時,車両の修理が行なわれる前には,必ず,保険会社の指定する修理業者あるいは保険会社の見積もり担当者が車の状況を検分した上で修理コストの「見積もり」を立てるように,マネジドケアにおいても,患者に入院が必要となった時には,医師が保険会社に入院が必要となった理由を説明し,事前に入院の許可を得ることが必要とされる。
 また,車両保険では,保険会社が指定する修理工場で修理が行なわれる場合,その費用は保険会社が作成した見積もり額通りとなることが保証されるが,指定工場以外で修理が行なわれた場合,見積額と実際の修理コストの差額は,消費者が自己負担しなければならないことがある。このあたりは,マネジドケアで保険会社が指定する医師・病院のネットワークの内と外とで,患者の自己負担額に差をつけていることと類似している。
 保険者がサービスの必要性を審査・確認した上で初めてその費用を給付することを認めたり,特別の契約を結んだ指定業者からサービスを受ける場合は割安の価格でサービスを提供するなど,マネジドケアの仕組みは車両保険の仕組みと共通している点が多い。両方とも,サービスの必要性や価格についての知識に乏しい消費者に代わって保険者が監視役を果たすとともに,同一のサービスを少しでも安い価格で提供しようと保険者がサービス供給者との間に割り引きについての契約を取り決めているのである。

「銭勘定」で患者を「廃車処分」

 このように,車両保険とマネジドケアとはきわめて類似しているのであるが,車両保険と医療保険とが決定的に異なるのは,前者においては車の損傷が激し過ぎて修理のコストに見合わない場合に保険会社が「廃車処分」を決めることがあるように,単純な損得勘定に基づいて保険者が「修理を行わない」と決めることができるのに対して,後者においては,保険者が損得の「銭勘定」で患者を「廃車処分」とすることが許容され得ないことである。
 少なくともそう信じていた消費者にとって,保険会社は実はコスト抑制のためには患者を「廃車処分」にすることもいとわないというマネジドケアの現実は,大きな衝撃を与えることとなった。マネジドケアについてのホラー・ストーリーは枚挙にいとまがないが,つい最近の事件からマネジドケアが患者を「廃車処分」しようとした一例を紹介しよう。

直訴受けたゴア副大統領がHMO最大手を非難

 この事件が全米に報道されるきっかけとなったのは,2月27日に,大統領選のキャンペーンを展開しているアル・ゴア副大統領が米HMO最大手のエトナ社を非難したことであった。脳に傷害を持つ生後6カ月の乳児イアン・マローンの在宅ケアの給付をエトナ社が打ち切ると決定したことについて,「そんなことをしたらイアンが死んでしまう」と副大統領が非難したのである。
 イアンの両親はエトナ社の給付打ち切りの決定に対してこれまで3度の審査やり直しを求めてきたのであるが,エトナ社は3度とも「医学的必要性が認められない」と,両親の給付継続の要請を拒み続けた。主治医の「イアンのケアは医学的に必要」との判断に対し,エトナ社は患者を直接診ることは一度もせず医療記録の審査だけで「医学的必要性を認めず」という判定を下したのであった。2月25日にエトナ社から給付打ち切りの「最終決定」を告げる手紙を受け取った両親がゴア副大統領に直訴し,副大統領が,マネジドケアを規制する「患者権利法」制定の必要性を証明する1例として,選挙演説でイアンの一件を取りあげたのであった。
 この間,必死に給付継続を求めてエトナ社と交渉してきた両親に対して同社が勧めた「廃車処分」には,「両親が子どもの親権を放棄して州に子どもの養育を委ねれば,イアンの療養費はすべて低所得者用の公的医療保険メディケイドでまかなわれることとなり,誰の財布も痛まずに済む」というものが含まれていたという。エトナ社は親権の放棄を両親に勧めた事実はないと否定しているが,この事件が全米に報道された翌日,同社は「社最上層部の再審査」に基づいてこれまでの決定を覆し,イアン・マローンの在宅ケア給付継続を決定した。
この項つづく