医学界新聞

 

対談

日本の医療改革とマネジドケア

西村周三氏
京都大学教授・経済学部
田村 誠氏
国際医療福祉大学助教授・医療福祉学部


いま,なぜマネジドケアが注目されるのか

執筆の動機

西村 田村先生が昨年出版された『マネジトケアで医療はどう変わるのか-その問題点と潜在力』という著作に第13回吉村賞が授与されました。おめでとうございます。ところで,この本の表題にもあります「マネジドケア」というものが,現在アメリカで広まり,場合によっては恐怖心を,場合によっては期待を以てわが国に導入されると言われております。そこで本日は,「日本の医療改革とマネジドケア」と題しまして,マネジドケアを巡る諸問題についてお話をお伺いしたいと思います。
 まず最初に,この本をお書きになった動機を簡単に紹介していただけますか。
田村 西村先生が言われたように,マネジドケアという言葉には,プラス,マイナスの双方のイメージがありますし,そもそもこれが話題になった時から,その情報はかなり断片的でした。私がHMO(Health Maintenance Organization)という組織の存在を知ったのは1984年頃で,当時は理想的な医療の姿だと思っていました。
 ところが,その後(1989年-1991年)アメリカのノースウェスタン大学の経営大学院に留学した時に,周りの人やHMOの役員などに会う機会があって話を聞いてみましたが,そうではないということがわかり,「安売りの医療」というイメージが非常に強く残りました。そういうことならば,むしろわが国の医療に近いものですから,すっかり興味を失ってしまいました。そして1995年頃から,「アメリカの医療費抑制の成功は,マネジドケアの導入によるものらしい」という話を聞いて,意外な思いがしました。そのような経緯がありましたので,現在マネジドケア導入のメリットとデメリットが議論されていますが,アメリカの断片だけでなく,できるだけ広くアメリカの文脈で捉えてみようと思いました。具体的には,アメリカは専門職優位の度合いが日本とは比較にならないほど強いですね。日本の場合はそれほどではないので,ドラスティックな形で導入されることは想像しにくいです。

「保険者」の役割とその選択

西村 どちらかと言うと,ややネガティブな面をご指摘なさいましたが,マネジドケアが論議される場合,これまであまり表に出てこなかった「保険者」が非常に強力になるという面もあって,この点を危惧する方もいます。保険者がどのような役割を担うべきかということを,アメリカの失敗例,成功例に学びながら考えていくことが,今後の日本のマネジドケアのあり方について考える重要なポイントになると思います。
田村 ご指摘のように,日本では従来,実質的な単一保険者である国が表に出てきて,個々の保険者はほとんど表に出てきませんでした。しかし,アメリカのように診療内容で決定できる,しかもその価格まで決まるという面では,保険者は潜在的には強力な役割を果たすと考えます。
 それから,これはむしろ西村先生のご意見を伺いたいのですが,私は現在の仕組みの中で個々の保険者の機能を強化するのは危険な要素があると思います。つまり,アメリカの一部のマネジドケアのように,「安かろう,悪かろう」という方向に進んでしまう可能性があって,被保険者,加入者が保険者を選べない現状では,保険者の役割を強化するのは危険なこともあると考えています。
西村 個々の患者が保険者を選べないという点はまさにその通りで,マネジドケアの仕組みを導入するなら,その問題をクリアしないと意味がないと思います。
 田村先生もこのご本の中で,「アメリカの医療は個々の患者重視から,集団(マネジドケア参加者)全体の健康重視へ移行した」と書かれていますが,実は日本では,健康保健組合のように,建前としては集団全体の健康重視を行なってきたはずなのです。ところが検診を例にとると,1次予防なのか2次予防なのかという問題にしても,あまりにも知識が無さすぎました。言い換えると,集権的過ぎて,職場の健康管理についても,ほとんど裁量権が与えられず,国の一方的かつ一元的な管理の下に置かれていたのです。
 そこが現在の日本の反省点の1つで,現実的には疾病構造の変容という状況の変化もあって,次第に予防重視,あるいは健康重視という方向へ考え方が変わってきています。そうなるとやはり,国よりも個々の小さな保険者の役割が大きくなるでしょう。こういうことが,日本に導入する場合のスタートラインになると思います。
田村 予防の効果は医療費削減だけではないのですが,予防重視や健康重視という考え方が本当に医療費削減につながるかという点については疑問があります。医療費が下がるのであれば,保険者は予防重視や健康重視という方向に進むのでしょうが,そうでないかぎり難しいと思います。今後,予防重視・健康重視があまり医療費の低下に結びつかないというデータが出ると,被保険者が保険者が選べない限り,そういう方向に進まないのではないか危惧します。

「医師・患者関係」と企業の役割

西村 もう少し細かく議論をすると,田村先生がご指摘されたように,アメリカは専門職優位で,日本は行政優位ということになると思いますが,個別の「医師・患者関係」という面から考えると非常に微妙で,そう簡単には言い切れない面もあるような気がします。つまり,患者との対等の関係,あるいは被保険者や保険者との間の対等の関係をどのようにして作っていくのかということが課題として残ると思います。
田村 そうですね。医師・患者関係について言いますと,日本とアメリカは反対で,アメリカはむしろ医師優位であったのが,1980年頃から患者優位になり,そして現在は保険者優位になってしまったと言われています。日本とは状況がだいぶ異なると思いますね。
西村 このように事態が進んできますと,企業は一体どうしてこのような分野に関わってくるのか,ということが日米だけでなく,世界共通の疑問になっているように私は思います。どういう意味かと言いますと,田村先生が「保険者を選べない」とご指摘なさいましたが,どうして選べないかというと,自動的にある企業に所属した健保組合という組織になっているからです。ところが,アメリカでも福利厚生費の保険料は企業が払っています。実はこれが,この種類のマネジドケアが真の意味で普及しない根本的な点だと私は思います。なかなか自分で保険料を払って自分の健康を自分で守るという気持ちにはならないわけです。会社側が労務管理の手段として行なうから,医療費を下げようというところへ話が結びついてしまうでしょう。
 ただ少し誤解があるのは,企業という場を使ってまとまってお金を出し合って行なう職場健診というのは,それなりには意味があります。1人でやるよりも,まとめて職場で健診するほうが安上がりです。
 とにかく1つのポイントは,アメリカにしても日本にしても,企業の役割ということがやはり医療関係者にも気になることなのですね。企業の意向と本人の意向が相当違った形でマネジドケアが進んできているという問題点はあって,それをどう考えていくのかが大きなポイントになる。私は個人の集団としての場にすぎない企業というのはいろいろな形で使えると思います。
 余談になりますが,企業年金の問題もまったく同じで,アメリカはかなり変わってきました。企業年金も会社が保険料を払っているので,従業員としてはなかなか高いとか低いとか文句を言いにくい。そこで日本は,企業が止めると言ったら仕方なしに諦めて黙ってしまう。ところが,アメリカは次第に従業員拠出に変わってきました。従業員が拠出した基金を会社がまとめて運用したほうが,個人が貯金するより有利です。企業年金についてはそういう発想に変化しているのに,医療保険についてはアメリカでもなぜか変わってこないですね。
田村 それから,ご存知のようにスタンフォード大学のEnthovenなどは,「現在のマネジドケアのさまざまな問題の原因は,従業員に医療保険のプランを選ばせてないからだと言います。いくつか医療保険のプランの選択肢を作って,マネジドケアでは保険料も自己負担も低いという仕組みが消費者に理解されれば,今よりトラブルが抑えられる」と盛んに言っています。統計でも少しずつ従業員負担を増やしているところが多いですね。
西村 駄目押し的に言うと,企業年金の場合はすでに70年代の終わり頃から,次第に従業員の役割を重視するようにシフトしていったのですが,日本はその変化に乗り遅れたのです。医療の場合も,おっしゃったようにアメリカの変化を,日本は他人事だと思って見ていたら,やはり乗り遅れてしまうという気はします。そんな簡単に変えられるとは思わないのですけれども,問題はあるような気がします。

医療の企業化(corporatization)

西村 もう1つ田村先生に聞きたいのは,「アメリカの医療の企業化(corporatization)」ということです。現在の日本の医療界でも,企業が参入してくることについて危惧の声がありますが,アメリカの例から見てどのように思われますか。
田村 マネジドケアの興隆とともに,アメリカの医療が大きく変容したもう1つの流れが企業化の一層の進展です。アメリカでは,以前から営利法人(企業)による医療機関経営も可能でしたし,民間医療保険会社の多くも営利法人でしたが,昨今はより一層の医療の企業化が進んだと批判されることがあります。
 最近の医療の企業化は,(1)「医療管理(medical management)」の企業化,(2)医師診療管理企業(PPM:physician practice management)の急速な成長,などに代表されます。最初の医療管理とは,医療サービスを管理することで,マネジドケアの概念そのもので,1990年代以降急速に営利企業が運営するようになりました。以前から病院経営が企業によって行なわれていたと言っても,それはむしろ「施設運営」のことです。診療内容は,病院を利用する医師(開業医)が決めていました。それが診療内容まで企業がコントロールするようになったのですから,企業化の度合いは一層進んだことになります。
 PPMとは,医療供給者の統合化の1つで,医師のみを統合するものです。さまざまなバリエーションのものがありますが,医師にとってPPMの一員となる主なメリットは,多額の資金(資本)を得られることと,マネジドケア組織に対する交渉力が増すことです。医師は資金を確保して情報システムの高度化にあてる,などを行なってきました。一時,ウォール街がこのビジネスに注目して,ずいぶん資金が集まりましたが,ここ数年は倒産するところも出ています。このように企業化が進んできた背景には,マネジドケアによる医療保障と医療供給の統合があります。
 一方で,企業化の抱える問題点としては,(1)医療供給者(医師)の利他主義の破壊,(2)資金の無駄使い,(3)企業合併・買収(M&A)の不毛,などが指摘されます。特にM&Aについては,多くの論者が市場をある程度管理しないと医療システムに甚大が被害を与えてしまう,と批判していますし,被保険者,患者さんが大きな迷惑を被っていると言われます。

マネジドケアと企業化

田村 日本についてはどうでしょう。例えば,病院の株式会社化について,アメリカではそのパフォーマンスが営利と非営利であまり差がないという 話ですが,私は,現在の医療法人でも,経営努力はできていると思いますし,基本的には病院の株式会社化が進んだほうがいいとはあまり強くは思いませんが。
西村 最大の問題は,変化が激しいことだと思います。アメリカでは頻繁に,きわめて日常的にあった企業のM&Aについても,これまでは日本では普通の企業ではあまりみられませんでしたが,最近は多く見かけるようになりました。しかし,医療界のM&Aはマネジドケアが導入されてもアメリカのように進んでいくとは思えません。例えば,大企業は自分のところで病院を経営していますが,両者が提携してうまい仕組みを考えるということもあり得ると思います。いま言われた企業化という側面とマネジドケアの話は,切り離し考えたほうがよいのではないか思います。
田村 まったく賛成です。時々日本では「マネジドケア」=「市場社会」と言われるのですが,そもそもアメリカは医療保険は民間でやっていたわけですので,おっしゃる通り分けて考えたほうがよいと思います。
 マネジドケアの企業化が進んできていますが,マネジドケアが企業組織に運営である必要はまったくないと思います。先ほどマネジドケアが抱える問題点をいくつか上げましたが,その多くは「営利マネジドケア組織」が営利を追求しようとした場合に引き起こされたもので,アメリカでも非営利のマネジドケア組織の評判が概してよいですね。もちろん,非営利組織がまったく利益を追求しないこともありませんが,一部の営利企業のように株価を上げることのみを目的とした,極端な短期利益追求主義を持つことは稀です。

個々の仕組み・技術導入の問題点

西村 もう1つの重要なテーマは,具体的にマネジドケアの仕組みや技術を導入した場合,日本でどのようなことが考えられるのかという点です。田村先生はこの著書の中で,診療管理,保険者による医療機関選別,ゲートキーパー,需要管理の4つに分けて説明していらっしゃいますが,今後日本でどの部分が導入される可能性があるのか,あるいは導入されたほうがいいのか,またどういう問題が起きるのか。その辺のご意見をお聞かせいただけますか。

「診療管理」について

田村 最初に診療管理です。診療管理とは,主治医以外の第3者が診療内容の適切性や効率性について関与し,口出しするものです。保険者が行なうこともありますし,地域の医師会のようなところで,各メンバー(医師)が相互に行なう場合もあります。診療管理の狙いはいくつかありますが,日本への導入を考えるならば,まず質の向上です。EBM(Evidenced-Based Mdicine)や医療の標準化という議論,あるいは診療ガイドラインを作ればいいのではないかという考えが一方にあると思います。
 ガイドラインや医療の標準化自体もマネジドケアの手法の1つですが,医療の標準化というのはそれほど簡単なことではありません。何をもって「標準」と言うか,また何をもって「適切な医療」と言うかと考えると,そこにはどうしても「効率」という概念を入れざるを得なくなります。まったく効果のない治療は論外としても,少しは効果があるけれどもコストがかかる治療をどうするかという場合が非常に難しい。そういう場合は,費用対効果がどの程度かということをさまざまな治療について比べないと標準化というのは基本的にはできません。アメリカではそういうことが盛んに議論されていますが,わが国ではそれがあまりなされないまま,標準化とかEBMと言われているような気がします。
 例えば念のための検査というのは,効果がまったく無いわけではなく,その検査のために重大な健康問題が見つかることももちろんあるわけです。そういうものを標準化という名の下に簡単に否定できるかというと,それは効率性という軸を入れざるを得ないないと思います。あるいは,医療のスタッフの数をどの程度にするかという問題も,多ければ多いほど効果は上がるので,そういう背景を考えると,すべての医療行為について簡単に標準化ができるとは思えません。現状を考えると,客観データによりすべて標準化ができるのは相当先の話になると思いますので,それまでどうやって質を保証するかとなると,やはり第3者が診療内容に関与する診療管理という手法が必要なのではないでしょうか。
 専門家が暗黙知のようなものに頼りながら,コストとのバランスを採り,医療の質の管理を行なっていくというのが現実的だと考えます。
 ただし,第3者が診療内容に関与するのを「いつ」にするか,という問題があります。従来マネジドケアでは「診療前」に審査をすることが多かったのですが,それが今後は「診療後」に統計的な手法などを用いて関与すべし,と言われてきています。個々のケースで第3者が診療内容に関与すると,医師患者の信頼関係を壊すなどの弊害が生じるからです。わが国では診療審査の仕組みを導入・強化するのであれば,やはり診療後に行なうべきだと思います。

標準化について

西村 なるほど。私の意見は少し文化論のようになって恐縮ですが,まずこういう種類のことを議論する時には抑えておかなければいけないことがあるように思います。
 それはよく言われるように,日本人というのはかなり均質的で非常にまじめな国民であるのに対して,アメリカは非常に異質な人たちの集まりであると思います。つまり日本人のまじめさは,みんなと同じでなければいけないと思うことですが,アメリカ人は人と違っていることが当然だと思っている社会です。これは医療の世界でも根本的な部分で存在しているように思います。アメリカでは,ある医師が他の医師と異なった治療の仕方をしていても当然だと思っている人が想像以上に多くいます。であるからこそ,標準化という考え方があり,必要とされるのだということが1つのポイントです。平均と比べてあまりにも異常な治療をするようなことを防ぐために標準化が必要になってきて,それが実際のいろいろな診療管理とかいうようなところにも応用されているというのが私の解釈です。
 それからこれは意外だと思うのですが,日本の医療状況のほうがアメリカより酷いと言われる方がおられますが,私は日本の医療内容はかなり均質化されているように思います。医学界・医療界の方に聞きたいところなのですが,私はそういう印象を持っています。

標準化が抱える問題点

西村 標準化ということに関して言えば,もう1つの日本の欠点は,全国で同じような診断をした患者に対して,誰がどこでどのような治療をやっているかという情報は医師の間で円滑に行き来していないのではないかという印象があります。
 私は標準化というのは標準化するために必要なものではなくて,標準的なものを示してバラつきがどうであるかなどをインフォメーションを伝達するための手段だと思います。つまり,中央がどこかがわかると,そこからどれぐらい外れているのかがわかることになるわけです。ですから,「診療管理に標準化を結び付けるべきではない。しかし標準化は行なうべきだ」という田村先生のご意見に対して同感です。またおっしゃるようにEBMなどを含めて,日本でももう少し,どの大学ではどのような治療をし,他の大学ではどのような治療をしている,というような情報がもっと保険者にもわかるようにしてほしいと感じます。
田村 日本ではどれぐらいバラつきがあるかというデータは,アメリカのようにはたくさんありませんね。
西村 もちろん在院日数などに関してはかなりデータがありますが,それは必ずしも医療の質の全体を反映していませんからね。これは,今後のわれわれの研究課題でもあるでしょうね。
田村 治療の効果・成果や治療成績の類の情報はほとんど出てこないですね。
西村 確かにあまり情報を出さないのは現実ですが,そこにはもっと重要なポイントがあると私は思います。それは,そもそも日本の病院や医療機関に情報を作るシステムができていないのではないでしょうか。診療録管理についても専門家があまりいません。逆に言うと,実はそれだけ投資していないのですよ。だから日本の医療費は安いということになる。そういう側面は非常に大きいですね。
 情報公開時代というのは間違いなく避けられないので,医療機関がもう少し頑張って,例えば点数化されるようなことを要求して,その分についての医療費の引上げは無条件で認めるということを保険者側もするべきだと思います。私は,メネジドケアの流れと期を一にして,そういう方向に進めるべきだと思います。

ゲートキーパーについて

西村 それから次に,ゲートキーパーの役割についてはどうですか。私はこれも非常に難しいという気がするのですが。
田村 アメリカの場合は専門医の所得,専門医の診療費が非常に高く,一般医のほうが安いので,どうしても一般医に流したいという強い要請がありました。しかし,日本の場合は必ずしもそうでもなく,所得の面だけについて言えば逆転します。ですから,医療費ということに限ると,プライマリケアに制限することが本当に得かどうかということはあまり実証されていないという気がします。
西村 私もまったく同感で,そこが本当にわからないです。わからない中で,田村先生が言われたより話がもっと込み入っているという気がするのは,日本でゲートキーパーとして期待されている「かかりつけ医」が,それなりの専門性を持っているわけです。逆に言うと,その人たちにゲートキーパーの役割だけを果たさせると,せっかく蓄えた専門性を無駄にするという側面があります。しかしまた逆に,本当の意味の専門医の人から言えば,そういうセミスペシャリスト言われる性格を持っているような人たちの存在が意義があるのかないのかというところも考えないといけないし,もっと大きな医療政策上の問題で,しかも医療界全体が真剣に考えなければいけない問題だと思います。

医師同士の適切な分業

西村 多くの医師に聞いてみると,この問題の困難さは,例えば勤務医の中にも開業医の技術を必ずしも評価しない人もいますし,あるいは逆に,過大に評価する人もいます。医学教育という問題もすべて含めた上で,その辺のシステム,日本のあり方というものを考えるべきだと思います。これは,私ども外部の人間は発言しにくいので,やはり医学界・医療界の中で,私の言葉を使わせていただくと,「医師同士の間の適切な分業はどうあるべきか」ということを真剣に考えてほしいですね。
田村 例えばドイツでは,国家が専門医の数をコントロールしているという話を聞きますね。日本は,ほとんどの人は専門医になる傾向がありますね。開業医もそれぞれ専門の科を持った上でプライマリケア医としての役割も兼ねるというように,少し特殊な形ですね。
西村 アメリカは介入しませんが,ドイツはかなり国家が管理します。その代わり,各専門医の学会,あるいはそのリエゾン・コミッティといった連合委員会みたいな組織が作られて,将来の医療ニーズに合せてどういう専門医をどの程度養成していくかということを検討しています。 日本では,そういうことに関してのレポートは出るのですが,ほんのわずかでほとんどそのレポートは実質的には機能しないようになっています。要するに誰も真剣に考えていないというところはあると思うのです。ご指摘のように,プライマリケア医を何人,小児科医を何人というようにしないとやはり時代のニーズに合せてうまく調整できなくなることは間違いありません。
 ゲートキーパーとしての役割は,日本でも主治医がまさに門番としての役割を果たしていくような方向に向かわないので,難しいでしょうね。
田村 現状としてはそうですが,厚生省は機能分担を進めようとしています。

需要管理について

西村 最後は需要管理,セルフケア・プログラムをどう考えるかという問題ですが,いかがでしょうか。
田村 日本のデータは少ないですが,身の回りを見ても,ちょっとしたことで病院へ行く人と,なかなか行かない人がいます。それは個人の自由と言えばそうですが,社会全体の資源配分の公正さや効率を考えると,そこに差があるのはあまり望ましくないと考えられますので,そこに対してアプローチすることが必要だと思います。
 アメリカの場合,多いデータですと通院患者の6-7割は不要だと言いますね。日本の医師に聞くと,そうとまでは言わないけれども,半分ぐらいは来なくてもいいと言う医師もおられます。ただ,「経営のことを考えるとむげに来るなとは言えない」と言われる先生もおられるので,そこへのアプローチは,日本でも現実的な課題ではないと思います。
西村 別の論議になるかもしれませんが,軽い病気については自己負担を増やし,重症な症例に対しては自己負担を無くすといういう議論もありますが………。
田村 制度的な手当てをすべきかどうかとはよくわかりませんが,それよりも,可能であれば,どういう場合に医療にかかるかということは考えられるのではないでしょうか。例えば乳幼児が突然夜中に泣き出して耳を抑えていたら中耳炎を疑う,という情報があれば,中耳炎のために夜中に救急車を呼んで行かなくてもすむでしょう。そうなると,やはりセルフケアというのでしょうか,地域保健とか公衆衛生の分野ではセルフケアということが前から言われていますが,その技術を身につけるとか,セルフケアをサポートする仕組みを作るとか,まずはそういうのでもいいのではないかと思います。
西村 私も自己負担と結びつけるかどうかという問題は非常に難しいと思います。というのも,この種の議論はあまりにも軽々と実際の実証研究抜きにされすぎているのです。まったく直感ですが,これから実証しなければならないと考えていることは,セルフケアの話に関連して言うと,アメリカでセルフケア・プログラムがある程度普及でき,大きな意義を持っているのは,教育水準の高い人たちにはかなり効果的であったように思うのです。おっしゃるように,これは軽い病気,これは重い病気ということを,患者本人あるいは親が判断する能力を持っていないといけないわけです。「ちょっとしたことで救急車を呼ぶな」というのももっともですがは,その時は本人は大丈夫と思っていいても,病院に行ってみたら重症だったということもあるので,その辺の知識水準が大事ですね。アメリカでは教育水準の高い人たちには普及していっているけれども,そうではない人については必ずしもそう普及しているとは思いません。ですから,本当はそれぞれに即した負担のあり方,ということになると思うのです。
 日本の場合は,これから実証してみたいと思っているところで,まったくの直感ですのでお許し願いたいのですが,かなり教育水準の高い人たちでも,医療知識をあまり持っていない,むしろ持たな過ぎるのではないかというのが私の仮説で,そこがアメリカとの違いかなと考えていて,ぜひ調べてみたいと思っています。いずれにせよ,セルフケア・プログラムそのものが効果的であるのか,あるいはそうでないのかということをもう少しきちんと実証していく必要があると思います。

日本の医療改革とマネジドケアの今後

田村 最後になりますが,わが国の医療改革とマネジドケアの今後の展望に関して,先生のご意見を伺えますか。
西村 私は日本の医療界は大きく変わってきていると痛感していますが,その重要なポイントを申し上げますと,患者の態度の違いによって治療効果がずいぶん違うという例は,医師が想像しているよりたくさんあるのではないかと思います。
 疾病構造の変化も,生活習慣病と言われているものも,まさにその通りで,その患者の態度を決めているいろいろな要因がたくさんありますね。マネジドケアに進むか進まないかというのは,患者の態度である程度左右するような気がするのです。私はそういう観点からマネジドケアの動きを見てもらいたいと思います。
 先ほど言いましたように,企業だけがいくら頑張っても何の意味もありませんし,医師の治療成績にもそれは影響してきます。そういう点を,今後注目していただきたい,ということが医師だけでなく,看護婦さんを含めた医療関係者全体に対する私からのメッセージです。
田村 日野原重明先生も,この『医学界新聞』の紙上で「医学教育がマネジドケアによって変わってきた」と指摘されています。
 わが国でも,今後医療者に求められのは診療内容をアウトカムとの関係で第3者にもきちんと説明できるようにすることが重要なことで,これは避けて通ることができないという状況の認識があると思います。医療機関や医師が,消費者や医療制度側の人々に自分たちのしていることをきちんと説明する,というようなことを積極的にやってもらえれば,アメリカのマネジドケアみたいに極端な形にならないように思います。アメリカはやはり,医療者なり専門職に対して「コストに見合う成果を出しているのかどうかわからない」とみんなが怒ったということだと思いますね。アメリカのマネジドケアのように極端な動きにならないためにも,日本では早めに医療側に変わっていただけるのではないかと期待しています。
西村 著書発行後の最近マネジドケアの動向についてはいかがでしょうか。
田村 マネジドケアに対する風当りは昨年後半当たりからまた一段と強くなっています。メディアによる攻撃は激しさを増す一方ですし,政治も動いています。裁判も増える一方です。昨年のJournal of Health Politics,Policy and Lawの増刊号(10月)では,マネジドケアに対する反発(blacklash)に関する特集をしています。
 そこではアメリカの著名な研究者たちが激論を交わしていますが,中でも興味深かったのはプリンストン大学のReinhardt教授の論文でした。同教授は,このようにマネジドケアに対して風当りが強くなるのは誰にでも予測できたことだと言います。それは,地下鉄に置かれたホワイトハウスの極秘メモを見ても明らかだと言うのです。その極秘メモはクリントン大統領の再選を狙うためのタスクフォースが1993年1月に作成したもので,国民皆保険の創設に当時必死に取り組んでいた大統領夫妻に「医療改革による国民皆保険の創設は再選のためにはマイナス」と驚くべき助言をしています。その理由は次の通りです。国民皆保険を創設すれば国全体が医療の「配給(rationing)」をすることになります。「配給」とは限られた医療資源をできる限り有効に活用しようと分配することで,時には有効性の低い医療を行なわないことを決定するものです。政府がこの「配給」行なうと,国民の反発を受け,再選が危ういというのです。そして,国民皆保険ができなければ,配給をして,批判を受けるのはおそらくマネジドケアにあるであろう,と予測しています(結局,医療改革は失敗し,1996年にクリントン大統領は再選を果たす)。
 この極秘メモが本物かどうかは定かでないようですが,Reinhardt教授はマネジドケアへの批判の大部分は「配給」に関わることだと述べており,小生もそれには同感です。それまで「最高の医療」をひたすらめざし,社会全体の資源配分へ配慮してこなかったアメリカで「配給」を行なうことは,誰がやっても必ず反発を受けたであろうと考えられるのです。
 ただ,「配給」自体はある程度必要なものとして,将来のマネジドケアは非常に過激な側面を持っており,拙著でも述べていますように,今後はもっと「穏やかなシステム」に変わらざるを得ないでしょう。
西村 本日はどうもありがとうございます。

●マネジドケアの急成長に伴って噴出した問題
(1)患者サイドに生じた問題
 (1)専門医への照会が遅れるケース.(2)高度医療への支払いが拒否されるケース.(3)契約病院への地理的アクセスビリティが悪いケース.(4)マネジドケアの組織的悪意がみられるケース.(5)その他の問題(「救急」,「過少医療(too-little-care)」など)
(2)医師サイドに生じた問題
 (1)非倫理的な問題.(2)自律性の抑制.(3)患者の信頼の喪失
(3)なぜ多くの問題が噴出したか-マスメディアなどで取り上げられた背景
 (1)「医療システムとして“質の低い”ものである」という可能性
 (2)「一部の営利のマネジドケア組織が目立って問題を起こしている」という背景
 (3)「医師の権力失墜のために,医師側からの不満が多い」という可能性
 (4)「“アメリカの”の市民・患者の医療に対する期待が特に高いため」という可能性
 (5)「マネジドケアの“問題”が一般の人に“わかりやすいもの”であるために,多くの問題が噴出した」という理由
 (田村誠著『マネジドケアで医療はどう変わるのか-その問題点と潜在力』より)

●医療管理(medical management)の主なもの
(1)需要管理(demand management)
 (1)ナースによる電話アドバイス.(2)セルフケア・プログラム.(3)共同意思決定プログラム.(4)予防サービスと健康リスク評価
(2)専門医療管理(specialty physician utilization management)
 (1)担当医以外の承認システム.(2)専門医診療1回限りの承認.(3)照会後審査
(3)入院診療管理(institutional utilization management)
 (1)入院診療審査.(2)入院前審査.(3)入院中審査.(4)退院後審査.(5)ケース・マネジメント〔後2者をまとめて「診療管理(utilization management)」と呼ぶ〕

●マネジドケアの個々の仕組み・技術の導入の検討
(1)診療管理-わが国にも必要か,誰が管理するのが適当か
 (1)診療管理の2つの意義(専門職に対するチェック,効率性の検証),(2)「適切な医療」の判断基準とその困難さ,(3)いかに診療管理を行なうか=誰が行なうか,(4)保険者(支払者)が診療管理を行なう問題,(5)保険者以外の機関による診療管理(第3者機関による診療管理,医師・医療機関自身による診療管理)
(2)保険者による医療機関選別
(3)ゲートキーパー
 (1)ゲートキーパーの意義(患者の無駄な診療や手遅れの防止,家庭医機能の確保,プライマリケア医の診療の促進,患者の医療アクセスの保証),(2)わが国への導入の意義と問題,(3)導入する場合のゲートキーパーの形態
(4)需要管理-セルフケア・プログラムの高い可能性
 (1)保健予防プログラムの問題,(2)セルフケア・プログラムの可能性,(3)セルフケア・プログラムの問題,(4)需要管理によるめざし得るもの

(以上:前掲書より)