医学界新聞

 

連載  戦禍の地-その(2)  

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(AMDA)


2377号よりつづく

食事が進まなくなった理由

 コソボ自治州内の南西に位置する,プリズレン県立病院に雪が降り積もり,すでに気温がマイナスになろうというのに,ガラスの割れた窓が目につく。
 県内の村々に設置されている診療所(アンビュランス)の修理は順調に進み,医療従事者の志も高く,設備も充実するようになりました。惨めな姿をさらしている県立病院の裏庭には,左手に患者の食事を作る調理室,そして20メートルほどの庭を挟んだ右手には,病理・解剖室が向かい合っています。
 UNMIK(国連コソボ監視団)保健担当者と病院の医師に先導され,私は病理・解剖室の中に入りました。3部屋の中の一番奥の6畳ほどの場所が巨大冷蔵庫になっていますが,古くて,まったく機能はしていません。真夏には,「ここが病院のハエの大発生源になっていた」と説明を受けました。棺が高く積まれた冷蔵庫内の床には,黒いビニールで包まれた遺体が安置(放置)されています。
 あたり一面には強烈な悪臭がただよっています。まさに悪臭で汚染されていました。
 「この臭いは,人間のものだったのか」
 コソボでの活動を始めて間もない,昨(1999)年7月初旬からいつも嗅いでいた臭いの原因が,実はここで初めて理解できたのでした。
 7月の初旬に,私は町から20分ほど東北に車を走らせたところにあるクルーシャマレ村にいました。NATO空爆が開始された3月24日の翌朝4時に,このあたりの村々も一斉に襲撃を受けました。このクルーシャマレ村では,4800人の村人のうち男性を中心に197人が殺害され,200人以上が現在も行方不明となっています。私がこの村に着いた時,ちょうどKFOR(国連治安維持部隊)などの手により,畑から遺体が掘り起こされている最中でした。
 私は,この臭いが気になるものの,村の道に散乱している焼けた車や動物の遺骸が異臭を放っているのだろうと思っていました。それが,この冷蔵庫のおかげで勘違いだとわかったのです。私たちを先導していた医師が,病理・解剖室の院内での役割や重要性を話し始めたのですが,遺体の臭いに圧倒され,頭の中はしばらく真っ白な状態でした。
 それからの数日,食事のたびにこの臭いが鮮明によみがえってしまい,食事が思うように進まなかったのは言うまでもありません。前回の最後に,「嘔気に悩まされた」と記しましたが。それはここに原因があったのです。

援助活動の効果を証明するもの

 コソボ自治州内の医療施設は,大きく3段階に分類されています。村のプライマリヘルスケアの担い手である診療所,町の中心部にある24時間対応の外来専門のヘルスハウス(外来専門病院),そして手術や入院設備を整えた唯一の県立病院です。これらのそれぞれの施設が,NGOや国際機関等の手により,実はバラバラに修理や設備の援助を受けてきているのです。しかし,予算額やプロジェクト実施時期などの違いから,診療所や一般外来病院などは,修理の進行状況も県立病院と比べると遅々として進みません。
 特に病院ですと,小児科や産婦人科の再建は初期からこぞって実施されやすいのですが,前述したような病理・解剖などの分野は,たとえ衛生的な問題があったとしても,どこのNGOも緊急援助段階では手をつけられないのです。つまり,予算がとりにくいというのが現実です。それが,前回の「日本政府からお金を持ってこられるか」という発言につながります。
 「スポンサーにとって,小児科の改善のほうがわかりやすいのよ」と,UNMIK保健担当者はため息。子どもを抱いた母親が,清潔になった病室でにっこり微笑んでいる写真は,それだけで援助活動の効果を証明する「絵」となるらしいのです。UNMIK保健担当者は医師であり公衆衛生の専門家です。ですから,どうしてもこの現状が我慢ならなかったのでしょう。
 それにしても,1つのプロジェクトを立ち上げるためには,それ相応の予算が必要となるのですが,予算獲得のためにはプロジェクトプロポーザルを国際機関等に提出し,一定期間待たなければならないという事情があります。時には何度も国際機関に足を運び,最終段階ではプレゼンテーションの必要も出てくる場合もあります。どのような機関であれ,短期間の派遣で長期的なプロジェクトを立てることは,非常に難しいものがあります。
 一方では,長期的に見たWHOの医療機関再建計画に基づく,プリズレン県内の診療所とヘルスハウス再建に関する原案が,WHO・UNMIK主導の医療関係者会議でまとめられました。そこでは,今までの各NGOに任せっぱなしのツギハギの診療所修復や援助と違い,診療所の規模,必要最低限の医療機材・備品,医療従事者の数など,一定の基準が設けられました。今後の診療所の再建はその規準に沿う形で各NGOに分担され,実行されることになりました。

ツギハギ援助からの脱出のためには

 プリズレン県では,初期の段階で各NGOをまとめようと会議を開いたのはUNHCR(国連高等難民弁務官事務所)でした。混乱期には,相当のマネジメント能力を持った人がいない限り,どこのNGOも自分たちの活動場所確保に必死になり,俗に「縄張り争い」と呼ばれる現象が起こります。自分たちの条件に見合った活動場所を選ぶことは,その後の援助活動を決定する重要な要素となるからです。それだから,村々の診療所では,「最初はNGOが大挙して押し寄せたのに,今はどこも私たちの診療所を援助してくれない」という,現地の医師たちの不満も聞こえてくることになるのです。
 各団体のツギハギではない援助活動を行なうためには,指導的立場のとれる経験と,マネジメント能力を備えた人材が,これからはもっと必要になると言えます。もちろんその一端を担うのが,各団体のチーフコーディネーターであることは間違いありません。

〔今月のホームページ紹介〕
●今回の活動を通して,国連ボランティアをする優秀な日本の若者たちと知り合うことができました。彼らの多くは,イギリスの大学院を修了していますが,その中の1つを紹介します。平和学など日本ではまだなじみの少ない分野ですでに25年の実績がある大学です。
*Bradford University(ブラッドフォード大学)Department of Peace Studies,Department of Conflict Resolution
・URL:http://www.bradford.ac.uk
●国連ボランティア(UNV)は,ドイツのボンに本部を置き,短期間の国際活動への派遣を行なっています(有給)。願書をメールで送ることができ,その後のやり取りも直接メールでできます。ホームページ内に詳細があります。東京での面接の有無は状況次第のようです。
・URL:http://www.unv.org