医学界新聞

 

提言

臨床心理士だけがカウンセラーか

國分康孝(聖徳栄養短期大学教授・日本教育カウンセラー協会長)


スクールカウンセラー

 アグレッシブな標題で少々恐縮しているが,私には少々腹にすえかねる事柄がある。それは臨床心理士資格認定協会の認定した臨床心理士でないとスクールカウンセラーに起用されにくい風潮がここ数年来続いていることである。
 私はカウンセリング心理学の学位を持ってはいるが,スクールカウンセラーにはなりにくい。それは私が臨床心理士ではないからである。私が筑波大学大学院カウンセリング専攻修士課程で教えた院生たちはカウンセリングの修士号を取得したが,スクールカウンセラーにはなれない。臨床心理士ではないからである。つまり臨床心理士が数人スタッフをしている大学院で臨床心理学分野の修士論文を書いて修士号を取得した者でないと,臨床心理士の認定試験が受けられない。
 なぜ臨床心理学に固執するのか。カウンセリング心理学ではなぜだめなのか。学校心理学ではなぜ不十分なのか。これは私のようにアメリカで大学院を修了した人間にはまったく理解できない「横暴」である。アメリカのスクールカウンセラーはカウンセリング心理学,学校心理学,ソーシャルワークの出身が主流である。臨床心理学出身はマイノリティである。臨床心理学で学位を得た者は,医療の世界にキャリアを求めるのがアメリカでは普通だからである。

学校教育の現場における問題

 学校教育の問題は,臨床心理学よりカウンセリングの関与する問題のほうが圧倒的に多い。いわく,学業に関する問題(例:意欲が湧かない,ついていけない)。いわく,進路の問題(例:卒業してからどうすればよいか決めかねている,科目の選択に迷っている)。いわく,性格・社会性の問題(例:友人ができない,自分で自分のことがわからない)など。つまり心理療法を求める子ども(例:摂食障害,不安神経症)はそんなに多くない。
 にもかかわらず,なぜ心理療法の専門家でないとスクールカウンセラーに起用されないのか。多分これは誰かがサイコセラピーとカウンセリングの識別にルーズだったからではないか。臨床心理学とカウンセリング心理学を区別しなかったからではないか。サイコセラピーのわかる人間は教育もわかると思ったからではないか。要するに概念規定が曖昧だったからではないか。
 それゆえ臨床心理士の中には「臨床心理士は心の専門家である」と豪語する人が出てくる。これを耳にした教師の中には「私たちは心の素人か。素人に教育はまかせられないということか」と反発する人も出てくる。私などはその筆頭人である。精神科医も心の専門家である。僧侶も刑事も文学者も心の専門家である。結論として私は臨床心理士は心の専門家だと定義せず,心理療法の専門家だと言ったほうが妥当だと言いたい。そして教師は「教育のプロフェッショナルである」とのアイデンティティを持ってはどうかと提言したい。
 さて最後にひとこと。「教育のプロフェッショナルたれ!」とはどういうことか。カウンセリングの発想と技法を駆使展開する教育者という意味である。これまでの教育者は,教育学や教育心理学が必須科目であった。しかし教育学は思想・哲学が主でハウツーが弱かった。教育心理学は理論や概念が主でハウツーが弱かった。ハウツーを知らない教育者は教育評論家にはなれようが,教育実践家(プロフェッショナル)にはなれない。
 そこでカウンセリングのように思想・理論・技法を有する知識体系を,教育現場にドッキングさせてはどうかと私は言いたい。このドッキングの先駆者たちの集団を「日本教育カウンセラー協会」という。教育カウンセラーとは,教育とカウンセリングの両方になじみのあるプロフェッショナル教育者の意である。やがては本協会と臨床心理士の協会,そして産業カウンセラーの協会が連携して,プロフェッショナル・サイコロジーの母体になることを願望している。