医学界新聞

 

[連載] 質的研究入門 第6回

保健医療サービスの研究における質的研究方法とは(3)


“Qualitative Research in Health Care”第1章より
:CATHERINE POPE, NICHOLAS MAYS (c)BMJ Publishing Group 1996

大滝純司(北大総合診療部):訳,
藤崎和彦(奈良医大衛生学):用語翻訳指導


質的方法はどのようにして量的方法を補うか

 質的方法と量的方法との関係が,排他的ではなく互いに補い合うようになれば,より実り多いものとなるだろう。このような関係が成り立つには,少なくとも3通りの方法がある。第1に,前述したように,質的研究は量的研究の基本となる先行的な研究として行なうことができる。観察,深いインタビュー,フォーカスグループなどの質的な研究方法(これらについては,本書の中でこの後に触れられている)を用いれば,状況や行動を記述したり理解したりすることができる。最も基本的なものとして,その後に行なうアンケート調査に使う用語や言葉を十分に幅広く抽出するために,この手法を用いることもある。最近の好例として,英国全土で性に関する態度や生活スタイルについて調査する準備として,調査に適した性的用語を明らかにするために行なわれた質的研究があげられる。この研究により,いくつかの曖昧さや誤解が明らかになった。「vaginal sex,oral sex,penetrative sex,heterosexualなどの言葉は多くの人々にとってわかりにくく,それが原因で調査の回答全体の妥当性が損なわれる危険性があった」。
 質的研究手法の2つ目は,量的方法に質的方法で何らかの補足や追加をすることである。これは,トライアンギュレーション(triangulation;研究視点の輻輳化,異なる方法論の併用という意味,訳者注)等によって妥当性を検討する作業の一部にもなり得る。
 トライアンギュレーションとは,3種類以上の方法(例えば,大規模調査とフォーカスグループとある期間の観察)の結果を重ね合わせて検討することである。また,ある特定の事象や問題についていくつかの異なるレベルから検討するという,multimethod approachの一部としても用いることができる。ここで言っているのは,単に2つの手法を2つにまとめるとか,片方のプロジェクトの後にもう一方を継ぎ足すといったものではない。研究者は,異なる方法からは異なるタイプの結果が導き出されるということを認識しておかねばならない。ロンドンの西側の地区で家族の健康状態について観察したCornwellの研究は,調査対象が集団の場合と個人の場合で,そこから得られるものが違うということを如実に示している。
 大規模調査では集団からの回答が得られるのに対して,個人の私的な信念(それらはしばしば矛盾し複雑なものである)を知るには一連の深いインタビューを行なう必要がある。このテーマについては第4章でBrittenがさらに触れる。2者のうちどちらがより妥当であるかを考えるのではなく,異なる研究の場と異なる手法によってレベルの異なる知見が得られると考えるのが適切だろう。異なる手法を併用することでより大きな絵を描くことが可能になり,これは過去の研究結果について検討するのに特に有用である。例えば,外科的手術での決断の過程に関するBloorらによる観察試験は,一般的な外科手術の頻度に大きなばらつきがあることが疫学調査で報告されたことが発端になって行なわれた()。
 量的研究を質的研究が補う3つ目の方法は,量的研究の手に負えないような複雑な現象や領域について検討することである。質的研究の独壇場とも言えるこの価値は,保健医療サービスの組織や政策の研究で次第に広く認識されるようになった。保健医療サービスを再編成したり政策を変更する時期に,それにかかわる患者や専門職や管理者の視点から検討する上で,この方法は特に有用であろう。
 第7章で,KeenとPackwoodは,NHSの病院の中で医療資源の分配や管理業務がミクロ的にどのように変化したかを検討するために,質的研究が用いられた例を示している。さらには,複雑な行動や態度や相互関係など,量的研究では検討が不可能なことについての視点を,質的研究によって得ることもできる。この方法は臨床決断分析においても,医師の慣習や約束ごとについて(それが明示されたものであれ暗黙のものであれ),探りを入れる上できわめて有用になってきている。
 本書の目的は,質的研究がどのようにして私たちの保健医療に関する知識を高めることができるのか,そして実際に高めているのかを紹介することにある。質的研究が量的研究よりもとにかく優れている――そのような立場をとれば量的vs質的の2分法にはまってしまうだけである――というのではなく,現代の保健医療の複雑さを理解しようとするならば,私たちはさまざまな方法論に精通していなければならないということが言いたいのである。
 「それは右か左に行かなければならない交差点のようなものではなく,複雑な迷路と言ったほうが適切だろう。そこでは私たちは繰り返し決断を迫られ,そして進む道は互いにからみ合っている。質的研究と量的研究を区別することが広まると,私たちが直面している問題の複雑さがあいまいになり,また,何の役にも立たない判断を下してしまう危険が生じる」(Hammersley)

お知らせ
 本連載は,“Qualitative Research in Health Care”(Catherine Pope,Nicholas Mays編集,B.M.J Publishing Group発行,1996)を翻訳しているものです。なお,昨(1999)年末に同著第2版が発行されています。

扁桃およびアデノイド手術頻度の地域格差と専門医間の局地的な診療格差の関連についての2段階研究
I.疫学調査――ばらつきを実証する
 過去10年間の扁桃とアデノイドの手術の頻度が地域間で大きく異なることがわかっているスコットランドの2つの地域で,15歳未満の新患の紹介,受け入れ,手術の頻度を12か月間の通常の記録をもとに分析。これらの地域間において紹介,受け入れ,手術の頻度に,疾患の発生頻度では説明のできない明らかな差が認められた。手術の頻度は,その重要性の順に以下の影響を受けていた
○手術をしたがる傾向に関する専門医間の違い
○紹介をしたがる傾向に関する家庭医間の違い
○紹介をする症状の内容に関する地域間の違い
II.社会学的調査――ばらつきは,どのようにしてなぜ生じたか
 各地域で6人ずつの医師の外来での診断過程を15歳未満の患者合計493例について観察。専門医間で,診断過程(診断の手順と基準)に明らかなばらつきがあり,そのためにその後の方針が異なり,それによって局地的に手術頻度の差が生じていた
 「高頻度手術医」は数多くの臨床所見を重要だと考え,患児の病歴情報よりも診察所見を重要視する傾向があった。「低頻度手術医」は方針を決める上で診察所見を比較的重要視せず,手術適応を決める上で考慮する臨床所見の幅がより狭い傾向があった