医学界新聞

 

座談会

小児腫瘍学から“癌研究”の指導原理を学ぶ

Lessons for guiding principle of“Cancer Research”from Pediatric Oncology


A.G.Knudson氏
フォックス・チェイスがんセンター
顧問(元同センター研究所長・総長)

A.T.Meadows氏
フィラデルフィア小児病院
腫瘍学部長

中川原 章氏
千葉県がんセンター研究所
生化学研究部長

樋野興夫氏〈司会〉
癌研究会癌研究所
実験病理部長


「2ヒットセオリー」に至る歴史的経緯

癌研究の指導原理を求めて:癌の原因論-職業癌と突然変異

樋野<司会> 本日は「2ヒットセオリー」の提唱者として高名なA.G.Knudson先生と,小児腫瘍学の第一人者であり,またKnudson夫人であるA.T.Meadows先生,そして小児外科医から基礎研究者に転向されました中川原章先生にご出席いただきまして,「小児腫瘍学から“癌研究”の指導原理を学ぶ」と題してご意見を伺いたいと思います。
 議論の内容は次の3点に集中したいと思います。(1)小児腫瘍研究の利点・長所,(2)Knudson先生が発見された「2ヒットセオリー」は通常の成人癌研究にどのような指導原理をもたらしたか,そして(3)小児腫瘍研究の最近の話題です。
 Knudson先生は小児癌であるRB(Retinoblastoma:網膜芽細胞腫)を研究されて,2ヒットセオリーを発見なさいましたが,まずそれまでに至る歴史的背景を簡単にお話しいただけますか。
Knudson すでに1700年代には癌の原因は環境因子,特に「職業癌」という認識がありました。古くは,イギリスの煙突掃除人の陰嚢の皮膚に溜まる煤によって皮膚癌ができる,という1775年のポット(Pott)の報告がありますし,レーン(Rehn)がドイツのゴム工場の従事者に膀胱癌が多いということを報告したのは1895年です。また,放射線が使われるようになってから,これが癌の原因になることがわかりました。しかし,これらの現実はどのような過程によって起こるのかはわかりませんでした。その後1914年に,ボベェリ(Boveri)が「体細胞突然変異説」を提唱しました。長い間この説の証拠はありませんでしたが,1960年の慢性骨髄性白血病におけるPhiladelphia染色体の発見によって具体的に支持されました。そして1970年代の分子生物学と遺伝子工学の進歩により,放射線と癌原物質は突然変異を通して癌を起こすことが示されてきました。このようにして,職業癌の実体がわかってきました。

遺伝性癌と環境要因

Knudson 2番目の原因論は,ある家族に限って多くの癌が発生するということです。19世紀にはすでに乳癌の遺伝性が知られており,「“遺伝性の癌”と“非遺伝性の癌”と“環境因子による癌”とはどのような関係にあるのか」という疑問が生じてきました。
 もちろん突然変異について,われわれは多くのことを学んできました。1つは,突然変異は体細胞にも生殖細胞にも,いつでも起こっているということです。これはDNAが複製する際のエラーによります。非常に低い確率ですが,われわれは多くの標的細胞を持ち,また多くの人間が存在しますので,病因となる突然変異が起こります。ですから,ある人は親はその病気を持っていなくても子どもには遺伝する,という新しい突然変異を有するわけです。普段は問題になりませんが,もしその突然変異を持っている細胞が通常より増殖すればそこで問題になるわけで,それが癌です。
 明らかな環境要因がなくても,突然変異は起こりますから,永遠に癌は存在し続けると思われます。しかし,癌の約80%はおそらく環境因子によって生じた突然変異が原因になると考えられますから,完全に癌をなくすことはできなくても,環境要因を同定すれば,癌の発生を徹底的に減らすことができると思われます。

動物ウイルス発癌とヒト癌遺伝子の発見

Knudson 3番目の原因論として,われわれはウイルスから多くのことを学んできました。あるウイルスは動物に癌を発生させることができ,ウイルスの特定の遺伝子は,宿主のある細胞を腫瘍細胞に変化させる機能を持っています。そこから,癌遺伝子(oncogene)が発見されました。
 その後,ウイルスの癌遺伝子と同じような遺伝子が人間にもあることがわかり,その遺伝子に変化が起これば,ウイルスの癌遺伝子と同じようになります。
 人がある癌化遺伝子(癌遺伝子および癌抑制遺伝子を含む)を受け継いでも,ある種の癌になるけれども,すべての癌にはなりません。つまり,多くの癌化遺伝子があるわけで,すでに約30の遺伝性癌の病因遺伝子が同定されています。その1つは1990年以前にクローンニングされましたが,その他は90年代になってからです。テンポが早くなってきました。

発癌の感受性遺伝子の存在

Knudson われわれは,「職業癌」,「遺伝性癌」,「ウイルス発癌」から癌化遺伝子について多くのことを学びました。
 ところで癌を発生させる要因に晒された人々が,すべて癌になるわけではありません。例えば,ヘビースモーカーであるのに,なぜ10%しか肺癌にならないのか。その10%に該当する人は,偶然なのかもしれませんし,他の人とは異なった遺伝的体質であるのかもしれません。環境要因の感受性を決定する遺伝子については,現在多くの研究がなされています。
 ですから4種類の人がいることになります(oncodeme)。まず(1)普通の人,(2)遺伝的に病因遺伝子を受け継いだ人,(3)環境因子に晒された人,(4)環境因子に相互作用をする感受性遺伝子を持っている人です。

研究対象の選択の重要性

Knudson さて,私は遺伝性癌の研究方法を考え,RBが最適だと思いました。RBには遺伝性と非遺伝性のものがあり,ほとんどの場合5歳までに発症します。それほど複雑でなく,遺伝性の癌でも単純なので,一番研究しやすいと思いました。
Meadows 遺伝子の変化は少ない。多くの原因でない2次的な変化に干渉されることなく,起始となる変化が研究しやすくなります。
Knudson どの科学でもそうですが,難解な問題を研究する時,できるだけ可変要因の数を減らしたいですね。60歳まで生きた人は,一生のうちにいろいろなものに晒されます。小児癌の場合は,成人癌より環境因子は比較的少ないです。
中川原 そうですね。しかし,例外もあります。例えば,神経芽細胞腫の場合は大変複雑で,遺伝性はほとんどなく,大部分は成人癌と同じように散発性の発症様式を採ります。
Meadows そうですが,その変化がすべて病因になるかどうかははっきりわかりません。その変化は起始となるものかもしれませんし,2次的に起こった変化かもしれません。神経芽細胞腫の起始を見つけるためには,まだ多くの研究が必要だと思いませんか。
中川原 そう思います。
樋野 小児癌の場合は潜伏期が非常に短いから,発癌に至る段階が少ない。成人癌の場合では多段階ですし,DNAには多くの突然変異や変化が考えられます。それらが発癌にとってoptionalなものなのか,直接的なのか間接なのか,また必須であるのかということがわかりません。成人癌に比して小児癌では初期の遺伝子変化の研究はしやすいですね。

小児腫瘍研究の特徴

特殊性から普遍性へ

樋野 Meadows先生に小児腫瘍の特徴を確認したいのですが。
Meadows 癌研究にはさまざまな分野があります。例えば,先ほどからお話に出ている「原因論」,つまり癌の原因を研究する分野があります。
 また「癌の治療」について研究する分野,そして,「治療後の自然史」に関して研究する分野もあります。
 いずれの場合も,成人癌の原因や治療の研究は,小児癌の研究から多くのヒントを得ました。小児癌には研究すべきことがまだたくさんあります。その研究へのサポートが必要ですね。
樋野 もう1度確認したいのですが,小児癌にしても腫瘍は大きくなっていますから,その間にDNAの変異はたくさん起こるのではないでしょうか。
Meadows 胎児や小児の組織の中で突然変異が起こると,組織は生理学的に発育していきますので,細胞はどんどん増えます。そのため,最初に突然変異を起こした細胞の集団は,生理学的に急激に増加します。これが小児発癌の大きな特徴です。
Knudson Meadows先生は体細胞の染色体13番が欠失したRBの1つのケースを発見しました。
 染色体は父親と母親から1つずつ受け継ぎますが,その片方が異常でしたので,RB遺伝子はどこにあるかがわかりました。突然変異はもう1つのコピーに起こり,腫瘍細胞には正常のコピーがないというものです。RBではこのようなケースは数%しかありませんが,こういう非常に珍しいケースから多くのことを学びました。RBは非常にラッキーな,珍しい組み合わせでした。もし,われわれが乳癌や結腸癌から研究を始めていたなら,何も結果は得られなかったかもしれません。

小児癌こそDNAチップテクノロジーの適応である

樋野 ゲノムプロジェクトの進展に伴って,最近DNAチップが注目されていますが,どのようにお考えですか。
Knudson 多くの小児癌の染色体は成人癌よりも正常の細胞に近いです。成人癌の場合は,染色体異常も多いです。そういう変化の中に,病因となる変化が少ないのですから,多くは付随的な変化であることはかなり確実でしょう。癌が進行することによって,エラーがさらに出てきますし,そのエラーがまた次のエラーを引き起こしますから,とても研究しにくいですね。小児癌に興味を持っているわれわれとしては,まず小児癌でチップテクノロジーを集中したうほうがよいと考えています。何か原則が得られれば,そこからいろいろなことがわかってくると思います。
樋野 研究を始める時には,まずどんな材料を選ぶかは大切なことですね。複雑な材料を選ぶと,情報が多すぎますから混乱のもとになります。Knudson先生はRBを研究対象に選ばれましたが,これは重要な点だと思います。
中川原 そうですね。材料の選択は研究者にとってきわめて重要です。しかし,研究者の研究に対する情熱はもっと大切です。
Meadows しかし,癌全体から見れば小児癌は小さな領域です。癌は年齢とともに多発します。癌全体から言えば,小児癌は2%でしかありません。
樋野 小児癌はまれですから,通常の成人癌に比して注目度が低いということですね。

小児癌治療の貢献

Meadows アメリカでは1歳以上の小児で病気で亡くなる場合,癌は最大の死因ですので,その子どもを治療することは大切です。日本でもそうだと思いますが,現在アメリカで癌に罹った子どもは3人に2人,場合によっては4人に3人は治癒できます。もちろん,人間はいつまでも生きることはできませんが,同じ癌では亡くなりません。また,現在成人癌で用いられている治療には,小児癌の治療からわかってきたものがあります。
樋野 病因だけではなく,癌治療のプロトタイプにもなるわけですね。
Meadows ある意味ではそうです。しかし.成人癌は遺伝子の変化が多いですし,複雑ですから,小児癌でよく使われている化学療法は効きにくいですね。

小児癌は治療,成人癌は予防

樋野 小児癌では化学療法は効果があると言われましたが,成人癌は遺伝子変化も複雑ですから,治療に抵抗するものがあるということですね。
Meadows 両者は生物学的に違います。小児癌では癌が広がっているとわかる以前にすでに広がっています。成人癌の場合は早めに診断し,治療をすれば治すことができます。しかし,小児癌の場合はそれはできません。早期に診断して手術のみで治せる小児腫瘍はきわめて少ないですね。
樋野 それは面白いですね。小児癌で転移が早く起こるのは,成人癌と小児癌の生物学的な違いによるものですか。
中川原 そうですね。小児癌は発見しにくいです。患者が幼いので,症状を説明できない場合が多く,また病気の進展がとても速いです。
Meadows 化学療法は増殖している細胞を攻撃しやすいですから,小児癌では効果がありますね。小児癌の場合,癌細胞は増殖できなければ死にます。薬はその増殖を防ぎます。

小児癌の治癒率は70%

樋野 小児癌は現在,何%くらい治すことができますか。
Meadows 30年前は10%でしたが,現在は70%ですね。新薬の開発はそれほど進んでいませんが,その使い方が改善されました。癌が広がらない前に使いますと,もちろん効き目は上がります。また服薬量を多くしたり,1回で多種の薬を服薬させます。成人癌の治療でも,同じような方針を取り入れています。乳癌,睾丸腫瘍,リンパ腫では転移が進む前に薬で治療しています。投与期間中,患者をサポートできますので,薬の量を上げて治療しています。
中川原 骨髄移植の治療の効果については,どう思われますか。
Meadows 新しい治療の中でも骨髄移植の占める割合はわずかだと思います。
樋野 遺伝子治療はどうでしょうか。
Meadows 遺伝子治療については,まだ結果が出ていません。
Knudson RBの話に戻りますが,その遺伝子が初めてクローニングされた時に,驚いたことがありました。
 1986年のことですが,初めその遺伝子は,ある特定の癌にのみ大切であると思ったのですが,この遺伝子は細胞分裂をコントロールする遺伝子の中の最も重要なものの1つだということがわかってきました。例えば,肺癌ではRB遺伝子異常があるケースが多いです。その遺伝子の役割は何か,またどうすれば癌細胞を修正できるかということがわかれば,RBだけでなく,多くの種類の癌にも応用できると思います。非常に珍しい腫瘍から一般の癌についても学ぶことができます。

成人癌における2ヒットセオリーの意義

樋野 肺癌の場合は,RB遺伝子は起始ではありませんよね。
Knudson おそらく起始ではありません。RBの標的になる細胞は胎生期の細胞で,大人にはなく,乳児や胎児の期間だけ存在しています。そのわずかな細胞から何百万,あるいは何千万の細胞を作ります。その後,網膜芽細胞は存在しませんから網膜芽細胞腫は発生しません。ですから,例えばstem cellが10個から何百万,何千万の細胞になる間に突然変異が起これば,ただちにワンヒットを持っている大きな細胞集団になるわけです。その多数の1stヒットを持つ細胞集団のうちに,さらに2ndヒットを受ければ腫瘍になります。
 成人癌の場合では,組織はそれほど増殖しませんので,標的細胞数はそんなに増加しません。しかし,突然変異によってその細胞が通常以上に大きくなると,胚の組織に似ている状態となり,良性腫瘍が発生するものと思います。それを手術で取り除けば大丈夫ですが,時にはその良性腫瘍は悪性腫瘍に進展するものもあります。
 よく知られている例をあげますと,特に日本でよく研究されているポリープです。結腸に出てくるポリープは,結腸癌の原因になります。ある人は何千もポリープを発生させる病因遺伝子を持っています。しかし,そのうち高々2-3個しか癌は発生しません。このポリープはAPC遺伝子の2ヒットによりますが,悪性ではなく良性腫瘍です。また,RB遺伝子はおそらく成人腫瘍発生のrate limiting stepでないと思われます。
中川原 これは非常に大切なことだと思います。私の経験と研究によりますと,小児癌を発生させる標的遺伝子は,正常の発育の調節にも関係があり,また分化の調節の働きがあります。

癌化の標的細胞の増加の重要性,良性腫瘍と悪性腫瘍の違い

樋野 標的細胞が増えるということは,キーイベントですね。
Knudson 基底細胞癌という皮膚癌を考えてみますと,特に日光浴をする白人の場合,小さな腫瘍は悪性度は低く,普段は心配する必要はありません。しかし,特定の遺伝子はすでに2ヒットを持っています。また,遺伝性の場合もあり,同じ遺伝子に最初のヒットを受け継ぎ,後で2ヒットを受けています。多くの成人の発癌の場合,良性腫瘍の段階で起始遺伝子に2ヒットが起こっています。しかし,そのような良性腫瘍からは癌はそれほど発生しません。
樋野 もちろん良性と悪性の腫瘍は病理学的には異なります。しかし,生物学的には,良性腫瘍と癌細胞の間は継続的であるとも言えます。発癌は多段階にわたるということですね。
Meadows ポリープや良性腫瘍を発生させる起始のイベントは,悪性のイべントより早く起こることになります。標的組織が増大するまで悪性のイベントは起こらない。悪性腫瘍の段階に入る前の腫瘍は,手術で治せます。しかし,小児癌の場合は標的組織があまりに早く成長するために,手術では治りにくいのです。
Knudson 小児癌はとても速く増殖します。腎臓に出てくる小児のウィルムス腫瘍は,数日で2倍くらいに大きくなります。バーキットリンパ腫も同様です。しかし,成人癌の増殖はゆっくりとしています。

神経芽細胞腫のマス・スクリーニングから学んだこと

樋野 現在日本で神経芽細胞腫のマス・スクリーニングがなされていますが,何かご意見はありますか。
Meadows カナダ,英国,ドイツと日本の研究によりますと,マス・スクリーニングで発見される腫瘍はほとんど退縮するか,自然になくなります。致死的な神経芽細胞腫になりません。手術で取れる腫瘍です。そういう結果が出たので,アメリカではマス・スクリーニングの経済的な価値はないと考えて,行なっていません。
樋野 中川原先生はどう思われますか。
中川原 科学的な結果は,Meadows先生が言われた通りです。しかし,日本ではマス・スクリーニングがすでに全国的に行なわれています。いずれ,スクリーニングシステムを変えるか,縮小することになると思いますが,ものごとは始める時よりも引く時のほうが難しいですね。
Meadows マス・スクリーニングによって,神経芽細胞腫で亡くなる人の数が減ると信じている人はまだいますが,私はそうではないと思います。

小児癌と成人癌の相違

治療と予防のストラテジー

樋野 ここで小児癌と成人癌の根本的な相違について,Knudson先生のご意見をお聞かせ願えますか。
Knudson すでに述べましたが,小児癌の場合は遺伝子変異の数が少ないですが,発生母地の性格により,増殖のスピードはとても速いです。成人癌の場合は,成長していない組織から発生してきますので,多くの遺伝子変異が必要でしょう。悪性になるまで良性腫瘍は長い間そのままです。
 アメリカでも日本でも,ほとんどの結腸癌はポリープから発生します。コロノスコピーのスクリーニングをして,ポリープを取り除けば,結腸癌の治癒率や死亡率に大きな影響を与えます。50歳以上のすべての人が皆コロノスコピーのスクリーニングをし,また5年後に同じ検査をすれば,ほとんどの結腸癌をなくすことができます。
 成人癌では腫瘍細胞に遺伝子変異を含めheterogeneityがあり,小児癌より治療は抵抗性があって難しいです。小児癌は治療は比較的簡単ですが,しかし一方で,予防は大変難しいです。

神経芽細胞腫の自然退縮

Meadows 中川原先生が先ほど言われたように,小児癌のもう1つの相違は,発生分化異常があり,それは通常の分化のプロセスの中での不全かもしれません。ですから,神経芽細胞腫は自然退縮するのでしょう。後で分化し,神経細胞になるかもしれません。
Knudson 胎児の死体解剖では,どのような結果があるのですか。 Meadows 400人に1人は神経芽細胞腫と言われるぐらいの細胞の集まりがありますが,発育の過程でこれらの病変はほとんど退化することになります。
Knudson 1歳で別の原因で亡くなる子どもの死体解剖では,病変の発生率はどれぐらいありますか。
Meadows ほとんどありません。
樋野 それは分化したのですか,あるいは瘢痕になっていますか。
Meadows 瘢痕ではなく,分化のプロセスです。また,排除されることもあります。
中川原 しかし,こういう腫瘍でも,遺伝子などの異常があるのは不思議ですね。例えば,染色体が3倍体になっています。どう思いますか。その腫瘍自体は小さいし,その後退縮しますが,こういう退縮する腫瘍の中に,遺伝子異常のイベントは実際に起こっているのですね。
Meadows ですから,さらに研究する必要があるわけですね。

自然退縮のメカニズム

樋野 自然退縮の機構を研究している研究者は多いと思いますが,現在の知見はどうなっていますか。
中川原 これは難しい問題です。人によっていろんなことを考えています。私自身は退縮する良性の腫瘍は,真性の腫瘍だと思いますが,遺伝子の異常は少ないし,また正常の生物学的特性は持っています。ですから,正常胎児組織で起こっている分化やアポトーシスを引き起こす潜在的能力があり,そのために癌であっても治っていくのかもしれません。
樋野 たとえすでに遺伝子のレベルで突然変異があっても,分化させることができるわけですね。いわゆる,“ドリー”のリセットですね
Meadows しかし,全能性は持っていないでしょう。
中川原 良性腫瘍は遺伝子の異常は少ないようです。つまり,予後の良い腫瘍は正常の発生・発達能力をより強く持っていて,しかも遺伝子異常が少ないので,正常発生機構における分子レベルの制御機構がより強く働いています。
樋野 もう1度確かめたいことは,大きな神経芽細胞腫があるとしますね。その場合,自然退縮するということは,その腫瘍のクローンは残っているけれども,分化して一見正常に見えるということですね。
Meadows いいえ,完全に無くなります。
樋野 ということは,このクローンは排除されたということですね。
Meadows ええ,死にます。
Knudosn 説明はいろいろ可能ですが,1つにはこういうことが考えられます。
 細胞は増殖するため,ある刺激するものに反応する力があります。刺激を与えるものは,われわれが自分で作っている成長因子,もしくは増殖因子と言われるものです。胚の細胞を増殖させるための因子は胎児が作っていますが,大人にはそういう因子はありません。時が経ったらそういう成長因子はなくなります。細胞を増殖させる1つの方法は,増殖因子を与えることです。
 先ほど中川原先生が説明された最初の変化は,増殖因子がある間だけ効果的に細胞を増殖させるものでしょう。しかし,成人になると,その成長因子がなくなり,変異細胞はそういう状態では増殖できず,死んでしまいます。
 しかしながら,より悪性腫瘍の中では増殖因子の受容体に,突然変異があるというケースが考えられます。この受容体は「増殖因子は持たなくてもよい,私は増殖因子を持っている」というメッセージを送ります。ですから,いつまでも増殖できると考えられるわけです。これはとても悪性の腫瘍です。神経芽細胞腫の場合,必ずしもこういう状態であるとは申しませんが,ある変化によって,悪性度の低い腫瘍になり,さらに他の変化によって悪性化する,と説明している研究者はこのような考え方を持っています。
樋野 つまり条件付きですね。

神経芽細胞腫のマス・スクリーニングから学んだこと

中川原 ところで,先ほどマス・スクリーニングは必要ないと言われましたが,スクリーニングから多くのことを学んだことも事実ですね。
Meadows そうですね。われわれは日本の試みを高く評価しています。われわれもこのマス・スクリーニングから多くのことを学びました。
中川原 マス・スクリーニングから学んだ最も大切なことは,神経芽細胞腫は少なくとも2つのサブセットに分けられることだと思います。ところで,予後のよいサブセットは本当に変異は少ないと考えてよいでしょうか。
Meadows そうです。他の変異を受ける前に細胞が死にます。これはマス・スクリーニングからわかってきたことで,とても重要なことです。
Knudson ですから,マス・スクリーニングがあったことを喜ぶべきでしょう。
中川原 では,そういう神経芽細胞腫のサブセットには,悪性化の変異はどうして起こらないのですか。
Knudson その問題については,1日中議 論しても解決はしないと思います。

小児癌の告知とサポート

樋野 ところで,現在の小児癌の治癒率は約70%というお話でしたが,治療中や治療後,どのように生活したらよいのかということを患者さんに教えなければなりません。腫瘍学には患者への教育は大切だと思いますが,わが国では非常に弱い分野だと思います。
Meadows 小児癌の生存者は他の癌,つまり治療した癌ではなく,別の癌に罹る可能性が高いです。また,致死的な可能性のある病気の治療ですので,精神的なものを含め,いろいろな問題が出てくることが予想されます。
 致死的な病気になると,どうしても精神的な問題が起こります。ですから患者に治療について,またその病気についてよく説明することが大切です。また治療後,その治療の副作用をよく理解している医師に定期的に診てもらうことも大切です。
 癌になった子どもに,その病気の予後や自然史について教えることは大切なことです。例えば,癌を治療するためにある薬を飲んでいた女性も,子どもを生むことはできますが,普通の女性より妊娠可能の期間が短くなるかもしれません。本人がこのことを知っていれば,子どもを生むのは博士号をとる前のほうがよいと思うでしょう。
樋野 つまり,医師もそういう教育をすべきだということですね。
Meadows アメリカではそれを実践できるよい看護婦さんとよい医師はいますが,もっとたくさん必要です。小児癌に関しては,小児科で予後や自然史これを教えています。しかし成人癌の場合,アメリカでも何をすべきか,何を教えるべきかまだよくわかっていません。

小児癌治療から学んだこと
治療法の改善,生存者のFollow up,患者に対する生涯教育

Knudson 1つ質問をしてよろしいでしょうか。以前は治療できなかったある種の癌も,現在は治癒率が高くなってきました。神経芽細胞腫以外のほとんどの小児癌にそれは見られますし,神経芽細胞腫も以前よりよくなってきました。化学療法も放射線療法も外科的手術も行なわれています。しかし,これらはみなある程度の副作用を持っています。副作用を軽減するような治療の可能性は考えていますか。これはとても難しいと思いますが。
Meadows それはさほど難しいことでありません。この15年間で多くの小児癌を治せるとわかってきましたから,効果がなくならない程度に,少しずつその治療を減らしています。放射線治療も減少しています。また,2次白血病を生じさせる薬を別の薬に換えています。副作用を減らせるということがわかってきました。
 アメリカでは,臨床試験が全国レベルで行なわれています。すべての子どもは,同一のプロトコールによって治療を受け,その結果は5年先にわかります。
Knudson アメリカでは,25歳で小児癌の生存者の割合はどれくらいいますか。
Meadows おそらく1000人に1人は小児癌の生存者です。
樋野 小児腫瘍学では患者に対する生涯教育が大切ですね。
中川原 Meadows先生は患者と家族にすべてを説明しますか。
Meadows はい。両親にすべてを説明します。治療法に承諾してもらう前に,可能性があるすべての副作用のリストを読んでもらい,それからサインをしてもらいます。
中川原 遺伝子も含めて,将来,癌が発症する可能性がある問題も説明しますか。
Meadows ええ。まだ1970-80年代に治療した子どもたちですので,さらに小児癌の生存者をfollow upしているわけです。

RBの2次癌と成人癌

Knudson RBの話に戻りますが,現在は治癒率が95%になりました。そこで現在,その生存者に2番目の癌が出ています。RBを生じさせた遺伝子は,ある種類の成人癌も生じさせることがわかってきました。
Meadows 放射線治療を例にあげますと,成人癌になるリスクは2倍になります。RBの患者が放射線治療を受けると,2番目の癌を倍の確率で生じさせます。最近の10年間で,ある薬を使いますと,放射線の治療は減らすことができるとわかってきました。ですから,最近ではほとんどの遺伝性癌のケースは,最初にまず化学療法をしています。これによって2番目の癌の数をもっと減らせる自信は持っています。
Knudson 後で出てくる腫瘍の原因は,あるものは治療によるもの,あるものは1番目と2番目の腫瘍を生じさせた遺伝子によるもの,またあるものは両方の相互作用によります。

小児癌の遺伝子診断

樋野 今日はいろいろ貴重なお話がありましたが,残念ながらそろそろ時間になりました。最後に,小児癌の遺伝子診断についてお聞きしたいと思います。
Meadows 小児癌のための遺伝子検査は知りません。
Knudson 知ってるでしょう。例えば,遺伝性のRBに罹っていた小児が成人して子どもを生みますと,50%は網膜芽細胞腫になりますね。眼を診察すれば,腫瘍を早めに治療できます。
Meadows しかし,眼は取り外すことはできません。遺伝子の場合ほとんどは両眼です。眼は取り外せないから突然変異はわかりません。
Knudson そういうことではなくて,そのように生まれた子どもを遺伝子診断すれば,例えばその子どもには親にあった遺伝子変異がないですから心配はありません,と言うこともできます。遺伝性の場合,血液検査でわかります。
Meadows 血液検査をしても,突然変異を見つけるのはとても複雑なプロジェクトです。
Knudson しかし,それはよくやります。
Meadows あまり実用的な検査ではありません。
樋野 例えば,Li-Fraumeni症候群はどうですか?
Meadows テストすることは無理です。
樋野 p53は?
Meadows できません。p53遺伝子変異を持たない家系もあれば,p53という突然変異を持っている人でも,ある人は癌になりません。小児癌の中の3%はRBで,その3分の1は遺伝性です。ですから,小児癌の中のわずか1.5%がRBです。
Knudson 例えばvon Hippel-Lindau症候群は,腎臓癌や副腎癌,あるいは盲目を引き起こす網膜に出現する腫瘍を生じさせますが,この人たちは,成人してから本当の問題が出てきます。多くの場合,成人になってから診断されているのです。その人は子どもを生みます。眼にある小さな腫瘍はレーザー療法で治せますが,網膜を破壊してしまうほど腫瘍が大きくなると困るから,この子どもがその遺伝子を持っているのかどうかを知りたいわけです。なければそれでよいのですが,持っていれば治せますから定期的に検査をしてもらいます。
Meadows 5%以下の癌は遺伝性で,遺伝子検査はできますが,病因遺伝子のスクリーニングは不可能です。
Knudson 危険に晒されている人をスクリーニングするのですか。それとも一般の人をですか。
Meadows 検査とスクリーニングは違いますよ。スクリーニングは無理です。特定の遺伝子を検査することは可能かもしれませんが。

終りにあたって

樋野 本日は小児癌研究のユニーク性についてお話しすることができました。2ヒットはもちろんRBから発見されました。これは非常に珍しい病気ですが,成人癌にも適用される一般法則の発見につながりました。これは大切なことです。また,小児癌は遺伝子変異は少ないが,発育は早いので,成人癌の治療とはストラテジーが異なります。つまり小児癌は化学療法はよく効きますが,成人癌の場合は遺伝子変異もたくさんあり,発育もゆっくりしていますから,化学療法に対して,抵抗性があるということです。ですから,成人癌では予防の効果が大きいことになります。
 また,30年前は10%だった小児癌の治癒率は,現在は70%であるというお話でした。薬そのものはあまり変わっていませんが,薬の使い方が改善されてきたとのことです。一方,日本では神経芽細胞腫のマス・スクリーニングは大きな転換期を迎えています。最後に,遺伝子診断についても触れられました。さらに,小児癌はDNAチップの使用も成人癌より利点があるとのことで,ゲノム時代の発癌研究のためにはこれを強調しなければなりません。
 本日は長時間どうもありがとうございました。