医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 ある編集者の訃報に思う

 加納佳代子


 ある編集者が昨年末に急逝した。
 昨年の8月末,彼は若い編集者を連れて,私が転職した病院を訪ねてきてくれた。前年の12月に胃癌の手術をした後,職場復帰したと伝え聞いていたので,この訪問はとてもうれしかった。
 私は,この病院の今を見てほしかった。そして感じたままを教えてほしかった。組織には漂う空気がある。どんな匂いなのか,流れはあるのか,よどんでいるのか,からっとしているのか,柔らかいのか,張りつめているのか,温かいのか,冷たいのか,何かが支配しているのか,別な香りが放たれるゆとりがあるのか,そんなことを肌が感じるものである。だからこそ組織の外にいる人間に,今の空気を覚えておいてほしかったのである。そして5年,10年たって,彼にまた来てもらい,その空気がどう成熟したのか聞くことを私の励みにしようと思っていた。
 彼は,なぜ私が突然民間精神病院に行くことにしたのかを知りたくて訪ねたと言う。公的病院一般科の臨床で髪を振りみだして働き,基礎教育や卒後教育に熱心に関わってきた者が,急に50歳を前にして精神科でいったい何をしたいのですかと。
 「精神科は,昔から好きだったし,最後には行きたいと漠然と思い描いていたのだけれど,なぜ今なのかというと,なんだかもう降りたくなってしまったの」と答えたような気がする。
 とりあえず乗った急行列車の行く先が見えた時,「あれ,あたしって本当にこの列車に乗りたかったんだっけ」と考えてしまい,今なら降りられる,降りて別の鈍行列車に乗り換えられると思った。目的地に着くことが目的なのではなく,その列車で旅をもっと楽しみたいと思ったのだ。
 彼は私の話によく耳を傾けてくれた。そして,ここというところで聞き直す。答えながら,「ああ私はこういうことを考えていたんだ」と気づき,ほっとしたものだった。
 私がほんの少し垣間見た彼の仕事のスタイルに,何よりも自分たち看護職が学ぶべきものがあると感じていた。書き手におもねたり,編集者の好きなように書かせるわけではない。書き手が好きなように書くのだけれど,構成に黒子に徹する彼の主張がある。そこには読み手と時代のニーズを感じ取り,編集者としてのモラルと使命が滲み出る本質的なテーマがていねいに拾われている。彼はケアを職業とする者が学ぶべき,そういう職業的スタイルを見せてくれた。
 手術をして1年後,亡くなる直前まで働いていたその彼が,昨年12月2日に急逝した。痛みがひどく前日に緊急入院し,そのまま帰らぬ人となったという。まだ56歳であった。
 私もいい仕事がしたい。だから5年後,10年後,ぜひ見に来てほしい。今でもその思いは変らない。