新春随想
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“老人の選挙権剥奪”
大塚宣夫(青梅慶友病院長)
老人優遇制度

急速に衰えているとはいえ,儒教思想の名残りが強い国では,政治も社会も,老人への手出しは,初めは気分がいいから,結構純粋な動機,まったくの善意から安易に始められる。
しかし,ほどなく,それでは手を出す側の日常生活や社会活動が立ち行かなくなることがわかってくる。と同時に,どっと疲れが出てきて,これは本来,社会が見るべきであるといった論が浮上する。
一方,急に放り出された側は,もっと大変である。自分で望んだり,助けを求めたわけでもないのに,相手の自己満足から始めて,すっかり我が身を委ねたところで,突然もう限界だから自分でやれと言われるようなものだからである。
政治家の人気取りの先にあるもの
今日の高齢者対策の大部分は,本人が要求したというよりは,政治家が人気取りのために申し出,行政が形にしたといっても過言ではない。その先にあるものがどういうものか等,一寸冷静に考えればわかっていたことである。今になって,お金がないからこの先は自分でやってくれ,ついでに今までやってあげた分はすべて借金として残してあるから,自分で払ってくれ,と言われても,そりゃあんまりだ,と怒るのも無理はない。第一そんな政治家は落としてしまえということになるから,政治家は自分の口からは言わない。
一旦,依存的になってしまった国民を前に,この流れを変えることは不可能に近い。何故なら,老人の比率の上昇は,選挙の時のパワー増大につながり,自分たちの既得権を守ってくれる勢力に投票し続ける可能性大だからである。
老人優遇制度はどんどんエスカレートしていくだろう。犠牲者は当然のことながら,強者として負担を求め続けられる次の世代ということになるが,結束して反抗しようにも多勢に無勢である。私もあと6-7年でその恩恵に浴する側に入るから,大変楽しみでもある。
しかし,泣き所は若者の国外脱出にある。こうなったら,若者にはパスポートを与えないこととし,強制的に引き止めよう。さらに大胆な対策は,65歳以上の選挙権剥奪であろうか。