医学界新聞

 

ハーバードレクチャーノート

新連載 第1回 ポリオ撲滅に向けて

浦島充佳(ハーバード大学公衆衛生大学院)


 ハーバード大学医学部に隣接するチルドレンズホスピタルにはEnders Roomという講堂があり,ここでは毎週のようにすばらしい講演を聴くことができます。Endersはチルドレンズホスピタルの教授で,ポリオウイルスの大量培養に成功しワクチンへの橋渡しをしたことによって1954年にノーベル賞を受賞しています。ポリオ撲滅の歴史,そこにはドラマがありました。

ウイルスの培養

 昔,ポリオは10万人に20人の発症率で,3-4人に1人は呼吸筋麻痺を合併して死亡,生存しても麻痺を残すことの多い恐ろしい感染症でした。ポリオウイルス自体は1908年LandsteinsとPopperらによって発見されていましたが,ウイルスの培養に成功したのは28年後,すなわち1936年になってからです。Albert B. SabinとOlitskyはヒト胎児の脳細胞を用いてポリオウイルスの培養に成功しましたが,神経細胞以外では不成功に終わっています。
 その後多くの科学者が培養を試みていましたが,1949年,John F. Enders,Thomas H. Weller(post doctorate fellow in public health),Frederick C. Robbins(senior fellow)〔Science 109:85,1949〕によってヒト胎児脳以外の組織あるいはヒト以外の組織でも培養可能なことが初めて示されました。彼らは比較的短いサイクルで培養液を交換しかつ長期に培養することによってこの“Breakthrough”を生み出したのです。当時ポリオには I,II,III が存在することが知られ,グロブリンで予防可能であり,ウイルス培養方法も確立し,ワクチンが開発されさえすれば優れた効果が期待されていました。

ワクチンの開発

 1953年,National Foundation for Infantile Paralysisの援助のもと,Stalkによってホルマリン処理により不活化されたポリオウイルスワクチンが開発され,さらに1954年,Thomas Francis指揮のもと,このワクチンの大掛かり(182万9,916人)でプラシーボ(偽薬)を用いた本格的臨床試験が行なわれ,1955年にその有効性(70%に抗体価の上昇を認める)が確認されました。報告の数日後にはワクチンとしての正式な認可が下りるという異例の早さであり,ここにBench to Bedside,Science to Societyの連携をみることができます。しかしワクチンを施行しているにもかかわらずポリオに罹患する例が認められ,ワクチンの有効性に疑問を持つ声もありました。しかも認可後カッター社の作ったロッドでワクチンを受けた人の中の206人にポリオの発生をみるという惨事がありました。そのうち94人はワクチン中のウイルスの不活化が不十分であったために発症し,他はワクチンによって十分な免疫反応が得られずに自然感染していたのです。
 その頃,最初に試験管でポリオウイルスの培養に成功したSabinは何とか生ワクチンを作ろうと努力していました。彼はポリオの自然感染を受けたものは終生免疫を得ることができること,不活化ポリオワクチンでは効果が不十分であることにより生ワクチンを作るべきであると考えたからです。

生ワクチンの効果を家族に試す

 彼はEndersらの“長期にポリオウイルスを神経以外の組織で培養していると神経親和性の減弱する株がある”という報告に着目し,努力の末,神経親和性のない変異ポリオウイルスを創りだすことに成功したのです。成人ポリオ既感染ボランティアにこのウイルスを経口投与したところ,特別な副作用もなく腸管内でウイルスが増殖し,便中に排泄されるのを確認しました。しかし,さらにこのワクチンの有効性を確認するには,ポリオ抗体価陰性のヒトに投与して免疫反応を確認する必要があります。そこで彼は自分の妻と5歳,7歳の子どもが抗体価陰性であったため,新しい生ワクチンの効果を試したのです。その自信と情熱には心を打つものがあります。結果は大成功でした。わずか1回の投与で十分な免疫反応を得ることができたのです。ジェンナーが自分の子どもに生ワクチンを投与したのと同じです。しかし,Sabinがポリオワクチンを自分の家族に試した話は意外に知られていません。

医学・社会・公衆衛生の連携

 もちろん本当の安全性を確認するには多くの人に投与してみる必要があります。しかし不活化ワクチンの有効性が世界的に認められており,数人のデータだけでは従来のワクチンに取って代わる理由にはなりません。彼はNational Foundation for Infantile Paralysisの主任科学者のTom Riversに相談しましたが,「そんなものは捨ててしまえ」と足蹴にされてしまいます。しかし1957年,WHOのポリオ担当官より臨床試験を進めるよう要請があり,小さなスケールながら研究が始まったのです。シンガポールでは1957年,ソ連では1960年,日本では1961年,アメリカでは1964年に生ワクチンの広域同時投与が始まり,ポリオの発症頻度は不活化ワクチンのさらに100分の1程度まで激減したのです。私などはSabinの生ワクチンの恩恵にあずかったわけです。
 Endersの研究からわずか10年でワクチンが開発され,多くの人々がポリオという恐ろしい病気から守られたのです。そこには医学,社会,そして公衆衛生のみごとな連携がありました。未だにoutbreakはあるものの,2000年までにポリオ撲滅に向けて多くの人が努力しています。
(次回は“核廃絶運動のその後は!?”です)


連載を始めるにあたって

 医学と社会の関係は密接です。ある方法や概念が確立すると,それを用いて新しい医学的事実が明らかにされ,これを応用して病気を治し,人々の健康に役立てられます。医学は論文を書くためのものでなく,社会の役に立ってはじめて価値を持つのではないでしょうか。
 日本は優れた医学者を多く輩出していますが,残念ながら西欧と比較して医学を社会の役に立てる心意気に欠けているように思われます。これから日本はもっと医学と社会を結合させる公衆衛生の考え方が必要なのではないでしょうか?私はそんな思いもあってハーバード大学公衆衛生大学院(Harvard School of Public Health: HSPH)に留学しました。
 ボストンのダウンタウンから車で15分くらいのところにMission Hillという小高い丘があります。そこには大理石で作られたハーバード大学医学部講堂が聳え立ち,威風凛々とした姿はそれだけで畏敬の念にかられます。ハーバード大学医学部(Harvard Medical School: HMS)は未来の医学をめざして1782年に創立され,7000人以上の職員と,18の関連病院,施設を有し,735人の医学部生,470人の理学博士,170人の医学博士コースを併設し,教育,臨床,研究を3本柱として,U.S.Newsの発行するBest Graduate SchoolsのMedical部門で常にトップにランクされています。HMSを中心としてハーバード医療関連施設が集中する175エーカーの広大な敷地はLongwood Medical and Academic Area(LMA)と呼ばれています。
 HMSに隣接するチルドレンズホスピタルは,1869年に創設された小児病院で,325床のベッドを持ち,年間25万人の外来患者が受診する世界でも屈指の病院です。ブリガム&ウィメンズ病院は女性の健康医学,出産に力点を置きながらも,循環器病学と心臓,肺,腎臓,骨髄移植を中心とした臓器移植病院として有名です。ダナ・ファーバー癌研究所は附属癌センターで,白血病を初めて化学療法で治したSydney Farberが創設しました。他にマサチューセッツ総合病院(MGH,HMSから少し離れている),ベス・イスラエル病院,ディーコネス病院,ジョスリン糖尿病センター,ジャッジ・ベイカー小児センター(Ment health),歯学部(Harvard School of Dental Medicine)などの巨大病院が集まっています。

すばらしい講義を世に伝えたい

 LMAの東の隅にHSPHがあります。HSPHは予防医学,衛生医学の教育,研究目的で1909年に創設されたアメリカ最古の公衆衛生学部(post graduate school)です。倫理,生物統計学,臨床疫学,環境医学,社会行動医学,国際保健,母子保健,医療経済,病院経営など,習う内容は多枝にわたります。
 このエリアでは常にどこかで素晴らしい講義を聴くことができます。また発見の陰にはドラマがあります。私がここで知った“いい話,すごい話,耳よりな話”は自分の中だけにしまっておくよりは世に広めて価値が出るものです。この連載では,私がハーバードで勉強したことを徒然なるままに読者の皆さんに紹介しようと思います。


浦島充佳氏
1986年東京慈恵会医科大学卒,1986年ロンドン大学セントトーマス病院留学,1988年慈恵医大小児科助手,1993年医学博士,1996年ハーバード大学医学部内科インストラクター,1998年日本血液学会評議員,1999年ハーバード公衆衛生大学院在学中。専門は骨髄移植の臨床と白血病病因論についてであり,現在の興味は胎児期の環境因子が子供の病気の発症にどのように関与するかと,非病原性サルモネラ菌をベクターとした新しい遺伝子治療の開発である