医学界新聞

 

連載 MGHのクリニカル・クラークシップ

第5回

クラークシップの舞台と役者たち(前編)

田中まゆみ(ボストン大学公衆衛生大学院)


2366号よりつづく

 ハーバード大学医学部(以下,ハーバード医学部)――そこでは世界最高の医学教育が実践されているという。その特徴とは何か?そこで学ぶ医学生とはどのような者たちなのか?
 昨年9月より続く,田中まゆみ氏(ボストン在住)による本連載では,特にハーバード医学部の臨床医学教育(提携教育病院であるMGH〔マサチューセッツ総合病院〕におけるクリニカル・クラークシップ)が臨場感豊かに紹介されてきた。連載は今後も継続されるが,今回と次回の2回にわたり特別に,ハーバード医学部という連載の「舞台」と,そこに登場する「役者たち」(ハーバードの医学生たち)について,わかりやすくご紹介いただくことにした。


ハーバードのクラークシップとは?

 「ハーバード大学附属病院」なるものは存在しない。ハーバード医学部のクラークシップ(註1)は,提携教育病院(註2)で行なわれる。一学年165名の学生たちが,各科をほぼ1か月単位で回るのである。3年生の間に必修科(内科・神経内科・外科・小児科+産婦人科・精神科・放射線科)は必ず回らねばならないが,4年生になれば選択科が主となり,各人が将来の志望も視野に入れながら選ぶ。ローテート先の割り振りは,学籍担当事務官が決める。
 「希望する病院でローテートできないという不満はないのか」と学生たちに尋ねたら,皆「何でそんな質問をするのか」と意外そうな顔で「どこでもほとんど変わらないよ」と否定した。後にほかの病院の教育回診にも参加してみて,学生たちの答えの意味が納得できた。患者層も違い,研修医も違い,指導教官も違うにもかかわらず,教育回診の質は病院が変わってもそんなに変わらないのであった。教育内容のレベルがほぼ同じなのであれば,違う病院を数多く経験するほうがいいに決まっている。「病院ごとのカラーは違っても,医療の本質は同じだ」という体験が学生たちに与えるポジティブインパクトは計り知れない。
 無理を承知で日本でたとえるならば,虎の門病院と三井記念病院が東大医学部の,北野病院と神戸中央市民病院が京大医学部の学生を引き受けているようなものであろうか。日本のようにまず大学ができてその教育のために附属病院を作ったのではなくて,欧米では社会慈善施設としての病院のほうが歴史が古く,その病院へ患者を送ってきた開業医たちが,次世代の医師を育てるために医学部を作り(あるいは設立に協力し),病院も臨床教育の場を提供して医学部に協力してきたという経緯がある(註3)。
 一方で,医学部は,教育への協力の御礼として,臨床医たちに医学部の臨床教授などの称号を贈って報いてきた。だから医学部と各提携病院との関係は,歴史的な紳士協定の色彩が強く,たとえばハーバードとMGHの間には,何もないのはまずいからと1960年代だかに交わされた一通の文書があるだけだという。教育病院と医学部がお互いにまったく独立した関係にあることがこのエピソードからもわかる。ハーバード医学部の卒業生であっても教育提携病院の研修医になれる保証はまったくない。

診療チームの一員としての医学生

 アメリカの教育病院では各専門内科独立の病棟というものはなく(CICU〔循環器科集中治療棟〕等を除いて),呼吸器科であろうと循環器科であろうとすべて内科病棟で内科研修医が入院患者の治療にあたる。入院カルテの指示記録を書けるのは研修医と医学生(研修医のサインを添えて)のみである。専門各科は「コンサルテーション」という形で密接に関わるが,実際にすべての入院診療をになう労働単位は,インターン3名,学生3名の実働隊とそれを率いるジュニアまたはシニアレジデント(チームリーダー)1名,彼らを教育指導監督する教官2-4名からなる診療チームである(註4)。
 MGHでは,内科だけでICUも含め8つのチームがあり,これに救急外来および一般外来を加えて研修医のローテーションが組まれる。1チームで20名前後の入院患者を受け持つ(ICUは6名前後)が,重症患者が多い上,早期退院への経済的圧力が強いため,多忙をきわめ(平均入院日数は約6日間),医学生もチームの戦力としてフル稼働する。
 医学生はインターンに1対1で張りついて実地医療を学ぶわけだが,高い授業料(註5)を払った上に下働きまでさせられて,と,クラークシップ制度に対する学生側からの水面下の不満はかなり強い。しかし,何といっても診療手技は実地に学ばなければ身につかないし,研修医への準備にもなるし,研修医に応募するとき必要な教官推薦状の内容もクラークシップ中の評価で決まるので,志望科のローテーションともなればみんな身を粉にして働く。病院側にとっても,有名医学部との提携は病院の格を上げ優秀な研修医の応募を増やすことになるし,まじめで優秀な学生の存在は研修医の教育上も相乗効果があるばかりか,研修医の雑用を減らす労働力としても大切なのである。

ハーバードの医学生とは?

 このようにMGHの医療チームの底辺を支えるハーバードの医学生とは,どんな人材なのであろうか。
 ご存知のようにアメリカでは医学部(メディカル・スクール)は法学部(ロー・スクール)などと同様に大学院大学(グラデュエート・スクール)なので,医学生たちは4年制大学を卒業して,多くは1-2年の社会人経験をしてから医学部に進学してくる。MCAT(Medical College Admission Test)という医学部受験用の共通一次試験の点数と,自分をよく知る大学時代の教授や職場の上司などからの推薦状と,志望動機や自分のことを書いた随筆とを添えて願書を提出する。書類審査に合格すると厳しい面接試験があり,それにも合格してやっと医学部に入学できる。MCATの点数がどんなによくてもそれだけではダメで,ユニークな経歴や強い個性,病人への共感や使命感,研究への情熱といった視点から合格者を選ぶので,つけ焼き刃でない全人的魅力が問われることになる。
 知り合いのハーバード卒業生は,ハーバード医学部で実験助手として2年間働き,立派な論文まで書き上げて教授の推薦状ももらいハーバード医学部に応募したところ面接さえ受けさせてもらえなかったが,こんなに優秀で人柄もすばらしい人物を落とすとは,一体どういう審査基準かと驚いてしまった。

多様な人材を混ぜる

 どのくらいユニークでないといけないのか。私が知り合っただけでも,内戦たけなわのナイジェリアから15歳でアメリカに単身留学してきたハーバード大卒の女子学生を筆頭に,インドからの移民で授業料のいらないMD/PhDコースに入学し,論文がnature誌に載ったという学生やら,日本語ペラペラの「ヘンな外人」風学生やら,南アフリカで1年間医療ボランティアとして働き,民主化後の白人医師の国外流出による医療制度の崩壊をつぶさに見てきた女子学生やら,世界を股にかけたスケールの大きさには圧倒された。かと思うと,根暗でオタク風な貧乏学生もいたし,やたら明るいおっちょこちょいもいた。大学での専攻科目も理系だけでなく文系・芸術系(美術・音楽・舞踊等)と色とりどり,成績もストレートBの学生だっている。
 とにかく画一的にならないよういろいろ混ぜているということだった。講義の時に学生たちの構成を調べてみたが,どのローテーションでも,男女は半々,白人6割弱,アジア系3割強,黒人・ヒスパニック1割強といった割合であった。

ハーバードの自慢

 病棟では7時半(病棟によって異なる)から2回の回診(すべての入院患者を診る病棟回診〔work round〕が10時まで,続いて教育的症例に焦点をあてた教官回診〔attending round〕が12時まで),12時半から1時半までは合同の内科ランチセミナーを受け,午後は学生向けの臨床心電図や臨床検査の講義に出席し,3-4日に1度は研修医と一緒に当直(on call:オンコール)して入院患者1-2名のカルテを仕上げ,翌朝の回診で症例提示(プレゼンテーション)する。レジデントチームに土日はなく交代で月1回の週末休みをとるだけだから,インターンほどではないにしても学生の肉体的負担は相当きつい。
 すべてが初めての経験の連続である上,態度や習得度が患者やインターン・教官に評価されている(週に1度は自分のpreceptor〔アドバイス役の個人教官〕と会ってクラークシップでの状況を相互報告しなければならず,各ローテーションの終わりには科によって異なるが試験がある)わけだから,精神的緊張も大変なもので,皆「疲れた」を連発していた。それでも,選抜の仕方がよいのか入学後の面倒見がよいのか,165人中卒業できないのは例年1人か2人に過ぎないのがハーバードの自慢である。

(註1)メディカルクラークシップの歴史は古い。医学部教育よりはるか以前から存在した徒弟制度(何年間か医者の内弟子になって修業を積んで免許をもらう)から来たものだからだ。昔は,患者から病歴を取る学生のことをクラークと呼んでいたが,現在では医学生を「クラーク」と呼ぶことはあまりなく,3・4学年で臨床経験を積むことを,制度として「クラークシップ」と呼んでいる。
(註2)MGH,ブリガム&ウィメンズ,ベスイスラエル,ディーコネス,ダナ・ファーバー癌研究所,チルドレンズ(小児科のみ),マクリーン(精神科のみ),ケンブリッジ(精神科のみ),そして最近加わった復員軍人病院とマウント・オーバンの10病院が中心。外来ローテーションは,これらの病院の外来部門や提携地域保健センターで行なう。最近は,マネジドケアの中で競争に勝ち抜くため,続々近隣病院を他大学医学部系列から引き抜いて傘下に入れている。
(註3)ただし,ハーバード医学部は基礎医学研究を中心に基幹提携教育病院なしでスタートした(1782年設立)。MGHが1811年に設立されるまで(実際に患者を受け入れ始めたのは1820年),臨床教育に苦労したエピソードが伝わっている。MGHは医学部とはまったく独立に設立されたもので,医学部教育には協力するが附属病院ではない。
(註4)卒後1年目(PGY〔post-graduate year〕1),2年目(PGY2),3年目(PGY3)は伝統的にそれぞれインターン,ジュニアレジデント,シニアレジデントとよび慣わされている。
(註5)授業料は年3万数千ドル。親が裕福か,奨学金がもらえなければ,学費はローンを借りることになる。医学生は1人平均約5万ドルのローンを抱えているという(ローンのある学生に限れば平均7万5千-15万ドル;1994年の統計)。