医学界新聞

 

新春随想
2・0・0・0

「介護のあした」を考える

川渕孝一
(日本福祉大学教授)


 最近,信濃毎日新聞社編『介護のあした』(紀伊国屋書店)という本を読んだ。本当にわが国の介護のあしたは大丈夫なのだろうか。先の国会で行なわれた公的介護保険の議論を見るとますます将来が不安になる。安易に介護保険法案を2年前に成立させた「ツケ」が回ってきていると言える。本当に介護保険を導入すれば,要介護者は今よりも「Happy」になるのか。さらには,「家族介護」をめぐって無理心中や殺人事件まで起こっている中で果たして「介護の社会化」は実現できるのだろうか。
 本書はまさにこのテーマに挑んだ書と言える。具体的には信濃毎日新聞が65回連載企画したものを柱に書籍化したものだが,本書を読んでみると「取材をふりかえって」にもある通り,30歳前後の介護体験のない記者たちの孤軍奮闘ぶりが強く感じ取れる。まさに1999年度新聞協会賞に値する書と言えるだろう。
 本書は全部で6部から成るが,全体を通じて感じたのは,「私自身,本当の長野を知らなかったなぁ」ということである。というのはわれわれ医療経済学者の世界では,長野県は1人当たりの老人医療費が全国一低く,他の都道府県が,「範とすべきである県」と考えていたからである。実際,長野県の老人医療費が低い要因として,(1)医療期間数・病床数・医師数とも少ない,(2)平均在院日数が全国最低,(3)自宅での死亡割合が全国最高,(4)65歳以上の単独世帯の割合が低い,(5)持ち家比率が高い,(6)65歳以上の就業者率が全国最高などの点が指摘されるが,これはあくまでも表面的なことでしかない。病院数や医師数が少ないことが果たしてよいことなのだろうか。これはひょっとすると,老人病院や介護スタッフが少ないため,家族介護や「嫁」の犠牲に頼らざるを得ないことを意味しているのではないだろうか。また,長野県民は健康で長生きし,入院してもすぐ家に帰り,亡くなる時は自宅でコロリと逝く,いわゆる「P・P・K」(ピン・ピン・コロリ)が徹底しているというが,本当に「満足いく最期(さいご)」をお年寄りは送っているのだろうか。また,その時の家族や「嫁」の胸中はいかに。
 物事にはすべて「光の部分」と「影の部分」があるわけで,本書はその双方にスポットをあてている。超高齢社会はもうそこまで来ている。今年の4月から導入される介護保険をきっかけに,老いも若きも今一度,「介護のあした」を考え直す時期にきたと言える。