医学界新聞

 

新春随想
2・0・0・0

21世紀の地域医療

森 功
(医療法人医真会理事長)


 西暦2000年が20世紀のけじめなら,2001年からの地域医療は新装開店といったところか。けじめとはそれまでを反省し,とりあえず良きも悪しきもガラガラポンでちゃらにしなければならない。しかし,戦後50年培われてきた医療界のCorporate Negligenceはそう簡単にけじめをつけさせてくれそうにない。
 1995年に発足した医療事故調査会は日本ではじめて生まれた「Peer Review Organizationであり,かつMedical Errorの分析,防止活動を行なう団体」である。当初28人のメンバーであったが,現在では教授,医療センター部長などの協力医20名を含めて60人で運営している。総依頼数は1500件を越え,鑑定終了300件を数え,その8割は医学的に過誤であると判定されている。
 それにしても日本の医療事故は一般裁判制度で対処されている。その結果,裁判期間が一審で3-5年という長時間を要する状況であり,たとえ勝訴したとしても,これはもう原告にとっては第2の被害に等しい。高裁,最高裁となれば耐えがたい時間を要する。そもそも医療専門家の診療作業結果を非専門家が検証し,判断するということ自体に無理がある。われわれの組織はこのスタートから極端なハンディキャップのあるシステムを多少なりとも公平に進め得るように努めている。そのことを被告側代理人によって一方に荷担しているがごとく主張されるのは法廷操作であるとしても認めがたいものである。裁判と医学的鑑定との関わりなど多くの問題があり,異なった対処法が望まれている。基本的人権を考え,なおかつ医療がお互いの信頼関係の下に行なわれるものであればこそ,スウェーデンのように医療被害救済が理由の如何を問わずに行なわれることが21世紀には必須であろう。
 医療裁判に関わって明らかになったことは,現状のような医療裁判によって医師を訴追し,医師が敗訴に至っても,その結果,その医師と周辺の品質保証に幾ばくかの進歩があるのかと問えば,NOと言わざるを得ないことである。欧米のような再教育指導はない。賠償保険で事足れリとなり,忘却の世界に入るだけである。日本の医療のルーツであるドイツでは医師の訴追を避け,被害者救済をするために「公正中立な鑑定委員会方式」を取っている。残念ながら過去50年のNegligenceは,日本で同じような組織を生み出しえない体質になっている。

エラー管理と医療の質

 医療の負の部分である医療過誤は,正である品質保証の程度に影響される。品質保証がなければ限りなく増加する。言うまでもないが品質保証はあくまでも全関係者を対象とし,義務的に強制されなければ実効が上がらない。昨今,院内でも「診療工程設計・管理・評価の実践」をやかましく語っている。患者との挨拶に始まり,情報収集から病態解析と初期診断,検索,確定診断,治療法実践を経て退院を迎え,臨床指標を報告するまでの工程にいかほどの科学的根拠,インフォームドコンセント,論理的解析記述,チーム作業が注ぎ込まれているのかが問われる。このような論理性のある診療姿勢はエラー管理からも逆行性に学ぶことが可能である。東京電力株式会社原子力発電所での危機管理方式は,医療現場のエラー管理にも応用可能である。発生したエラーの持つ問題点を時系列,担当者別に整理し,問題点を抽出することから始まる。それをm-SHEL法,すなわち,管理,手順,設備,環境,ヒトとのインターフェイスで多面的に分析し対応法を考える訓練は,診療工程設計のフィードフォワードな思考に役立つ。従来の診断学,診療指針とはいささか趣を変えた思考法を導入したく思っている。深刻な構造的欠陥である縦割り職制の払拭,医療テーマに対する対等な雰囲気を持つチーム医療,医師の診療責任と看護職の療養管理責任の対置など根本的解決策に結びつくものであろう。
 日本の医療事故・過誤はHuman Attribution Errorの生み出す「非難のサイクル」で処理されることが多い。それが当事者の排除と単純なスローガンでエラー回避努力を済ませるという安易さに逃げることになる。病院を含む施設,地域にオーディットシステムを持ち,常に検証しながら進めることが肝要であろう。情報開示法制化などはそれを保証する第一歩でもある。日本の医療の90%が地域第一線医療機関に担われているとすれば,その品質保証を行なわずして21世紀の医療は見えてこない。