医学界新聞

 

特別寄稿

ALSと人工呼吸器
-その誤解と伝説

近藤清彦(公立八鹿病院・神経内科部長)


 昨(1999)年11月1日付の本紙(2361号)に掲載された松井和子氏の「人工呼吸器使用者の事故はなぜ頻発するか」の記事を拝読し,筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者のケアにかかわっている者として共感するところがあった。ALSにおける人工呼吸器の事故云々ということではなく,医療者側が根拠のない“思いこみ”や“常識”にとらわれてはいけないという点についてである。もっとも,古い常識にとらわれすぎてはいけないという点では,ALSのみならず医療全般に言えることかもしれないが。

「生きていてもしかたがない」のは本当か

 ALSは四肢筋,球筋,呼吸筋を侵し,平均3年で呼吸筋麻痺をきたす神経難病である。従来は,呼吸筋麻痺は終末期の症状と考えられていたため,積極的な呼吸管理が行なわれることは少なかった。ALS患者に呼吸器装着が少なかった理由として,人工呼吸器の不足,長期入院によるベッドふさぎ,呼吸器につながれたままの状態での本人の苦痛,介護者の身体的・精神的・経済的負担,介護量の多さなどがあげられてきた。
 著者が神経学を学び始めた二十数年前は確かにそのような状況があった。しかし,現在でもそうであろうか。
 ALSの病態は確立されているようでいて未知の部分も多い。特に呼吸器装着後の情報は乏しい。例えば,「ALS患者には褥瘡ができない」と教科書には書かれている。それは呼吸器装着までの患者についてはほぼ正しいが,呼吸器を装着し,長期療養を行なっている患者では褥瘡に悩まされることが少なくない。またその他にも,滲出性中耳炎や腸管麻痺が,ALS患者の合併症として多いことも知られていなかった。
 最も重要な選択である呼吸器装着については,
(1)気管切開をすると声を失う
(2)呼吸器を装着すると何も飲み込めない
(3)呼吸器を装着すると寝たきりになる
(4)呼吸器を装着すると一生入院生活となる
(5)呼吸器を装着した生活ではQOLが保てない
 「そんなことなら生きていてもしかたがない」とか「かわいそう」と本人や家族が考え,“自らの選択”として呼吸器を拒否している現実が少なからずみられる。そして,その傾向は専門医の多い大病院でむしろ目立つ。そこには「呼吸器をつけると本人はつらい思いをするし家族には負担がかかる」といった20年以上前からの“伝説”が強く残っているように思われる。

気管切開では声を失わない

 気管切開で声を失うというのは誤解である。球麻痺が強い場合には気管切開の有無にかかわらず発声不能となるが,構音筋が保たれ気管切開の数日前まで発声可能な状態であったなら,気管切開後も発声させることは可能である。
 もっとも,発声可能かどうかは使用するカニューレの材質に大きく左右され,カフ部分の材質が硬いものでは発声が困難となる。国内では数種類のカフ付きカニューレが入手可能だが,製品によって発声のしやすさは大きく異なる。実際,カニューレの種類を変更したとたんに発語が可能となったALSの患者がいた。
 発声の方法としてカフエアを減量し口腔へのエアリークを利用する方法,スピーキングバルブを回路内に接続する方法,スピーキングトラケオストミーチューブを使用しカフと声帯との間に外から空気を注入し発声する方法がある。カナダALS協会のパンフレットには,「気管切開後の発声法の指導」の項目がある1)
 自験例では,気管切開を行なったALS患者21名中12名がその後も3か月から53か月,平均19か月の間,会話による意思伝達が可能であった2)。そのほとんどは,カフエアを減量ないし全部抜き,カニューレ孔を指で閉鎖して発声したり,呼吸器に接続したまま吸気時のエアリークを利用しての発声であった。
 声を失うことを心配しすぎて気管切開の時期を逸し,呼吸不全や低酸素脳症にならないようにしなければならない。
 気管切開後の嚥下機能もしかりで,気管切開後21名中14名で平均15か月,最長53か月間,経口的に食事摂取が可能だった2)

人工呼吸器使用によって立位や座位が可能に

 呼吸器は装着後も間歇的に離脱可能となることが多く,下肢筋力が保たれている例,特に上肢麻痺や球麻痺で発症した例では歩行機能が維持されることが少なくない。
 これまで,呼吸器を装着した患者の身体を起こすことはあまりされていなかった。呼吸器をつけていると重症感があり,ICU患者のように安静にしているのが普通と考えられていたのかもしれない。
 筆者は1985年に,呼吸器装着後のALS患者が理学療法士の熱心な訓練で座位から立位が可能となり,半年後に再び歩行可能となった例を初めて経験した。当院においても呼吸器装着後も積極的なベッドサイド訓練を行なったところ,21名のALS患者のうち15名で呼吸器装着後も独力ないし介助歩行が可能となった。屋内での介助歩行が可能であった期間は,3か月から29か月間(平均12か月)に及んだ2)
 呼吸器使用によって呼吸状態が安定すると再び立位や歩行が可能となった例が約半数にみられたことから,低酸素ないし努力呼吸による脱力感・倦怠感が筋力低下に関与していたと考えられる。

在宅人工呼吸療法による入院短期化

 在宅人工呼吸療法を行なうALS患者が年々増加してきている。当院では,この10年間で呼吸不全に至ったALS患者が22名あり,全員が呼吸器装着を選択,うち18名が在宅人工呼吸療法を希望した。医師,看護婦,理学療法士,作業療法士,言語聴覚士,栄養士,薬剤師,歯科衛生士,臨床工学技士,医療ソーシャルワーカー,訪問看護婦による「ALSケアチーム」がサポートし,退院指導と退院後の訪問を通じて療養を支援している。
 保健所を中心とした地域関連機関のネットワークが次第に強化され,介護者への支援は増大してきている。間歇的なレスパイトケア(介護者の方の休息を目的とした一時的な入所・入院)をくり返すことで在宅療養が可能となっており,長期入院を必要とするALS患者は2割以下である。

外に出はじめたALS患者

 先日,ALS協会近畿ブロックの患者交流会が当院で開催された。24名の患者を含む160名が参加したが,和歌山,徳島,淡路島,大阪,姫路,舞鶴などの遠方からも車で3-4時間かけて呼吸器装着者が集合した。コンパクトな呼吸器や外部バッテリーの普及で,車椅子に呼吸器を搭載することが容易となったこと,どんどん外出したいという意欲のあるALS患者が増加したことのあらわれであろう。
 最近では,呼吸器をつけて毎週外出する行動的なALS患者もまれではなくなった。「呼吸器を装着すると寝たきりになる」「QOLが保てない」という従来の“常識”の殻をALS患者自身がどんどん壊していっているのである。
 確かに,ALSにおいては呼吸器装着後も四肢麻痺は進行し,意思疎通も困難になってくる。したがって決して楽観的なことは言えないが,20年以上前に作られた“伝説”をいつまでも引きずっていることには大きな問題がある。
 呼吸器装着をめぐるインフォームドコンセントにおいても,第1に呼吸器を装着した後の状態はどうなるかを(医療者も患者も)正しく理解すること,第2に在宅療養を希望する人にはその支援体制を準備し長期入院を希望する人にはその体制をつくることが先決である。そのうえで,呼吸器装着についての「自らの選択」をしてもらうのがフェアではないかと考えている。

〔参考文献〕
1)ALS society of Canada : Resources for ALS Healthcare Providers. 1994, p56.
2)近藤清彦他:呼吸器装着ALS患者の四肢・球筋機能の予後の検討.厚生省特定疾患「特定疾患に関するQOL研究班」1998年度報告書(印刷中)

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近藤清彦氏
1976年信州大学医学部卒業。
同第3内科助手を経て1982年佐久総合病院神経内科医長。
1985年からALSの在宅人工呼吸療法に取り組む。
1990年から現職。鳥取大学脳神経内科非常勤講師,日本神経学会認定医,厚生省「特定疾患患者のQOL向上に関する研究班」研究協力者。
著書に『神経疾患の臨床-今日の論点』(中外医学社刊)(共著)