医学界新聞

 

1999年ノーベル生理学・医学賞

細胞内の蛋白質輸送メカニズムの解明

藤木幸夫氏(九州大学大学院・理学研究科生物科学専攻・代謝生理学研究室)に聞く


 スウェーデンのカロリンスカ研究所は,1999年のノーベル生理学・医学賞をGunter Blobel氏(米・ロックフェラー大・分子細胞生物学)に授与すると発表した。これは細胞内で合成された蛋白質の輸送メカニズムの解明という業績が評価されたものである。
 本紙では,1979年から6年間ロックフェラー大での留学経験を持ち,氏自身も同様の研究分野に携る藤木幸夫氏に,今回のノーベル賞について話を聞く機会を得たので,ここに紹介する。


シグナル仮説

 正常の細胞は約10億の蛋白質を保持しています。常に数千種にも及ぶ蛋白質を合成し,「オルガネラ」と呼ばれる細胞内小器官など正しい場所に運ぶことは,細胞の基本的な生命活動です。しかし1970年代の初頭まで,蛋白質がリボソームで合成されて,他のオルガネラへ輸送されたり,細胞外へと運ばれるメカニズムはわかっていませんでした。ロックフェラー大のPalade研究室のBlobelらは,このミステリーに挑戦すべく研究を重ねていきました。
 1975年にBlobelらは,蛋白質のN末端に付加された疎水性アミノ酸に富む延長ペプチド配列を「シグナル配列」と名づけて,これが郵便番号のような役割を果たして,蛋白質の輸送先を決定するという「シグナル仮説」を提唱しました。小胞体の膜を通り抜け,細胞外に放出される「分泌蛋白質」をコードするmRNAを翻訳すると,成熟体よりも分子量の大きな蛋白質が合成されます。つまり蛋白質にはそれ自身の他に余分なペプチドがついていることが示唆されました。Blobelは,この余分なペプチドが蛋白質を小胞体の膜へと導き,さらに内部に送る役割をしているのではないかと考えたのです。
 そして,20-40個のアミノ酸から構成されるこの延長ペプチド鎖が,どのように蛋白質を特定の場所に仕分け,輸送する役割を果たすかを明らかにしました(後にこの延長ペプチドは「ZIPコード」,「アドレスタグ」と呼ばれる)。Blobelは,蛋白質が細胞内の特定のオルガネラや細胞外へどのように運ばれるか,その理論を仮説として打ち立て,その証明に深く関与しました。

蛋白の膜透過のプロセス

 その後,Blobelの研究室では,小胞体輸送のプロセスを解明すべく研究を重ね,1980年,ついにこのシグナル仮説を実証することになります。当時大学院生だったWalterが,蛋白輸送のZIPコードを識別するRNA-蛋白質複合体「シグナル認識粒子」(Signal Recognition Particle;SRP)の存在を明らかにしたのです。
 またBlobelは,新たに産生される蛋白がオルガネラの膜を通り抜けるプロセスを明らかにしました。シグナル配列とその受容体の結びつきが小胞体のチャンネルを開き,そこを通って蛋白質が内腔に入っていくことを証明したのです。これは,蛋白合成に伴い,ペプチド鎖がリボソーム上に伸びていくに連れ,リボソームからシグナル配列が露出します。するとSRPと結合し,ペプチド鎖合成中のリボソームを小胞体上に運ぶのです。小胞体の上には膜貫通蛋白質で構成された膜透過装置(Rapoportらが1992年に「Sec61p複合体」を同定)があり,リボソームはこの膜透過装置に直接結合し,翻訳を続けながらペプチド鎖を小胞体の中に送り込みます。こうして組み立てながらチャンネルを通すという方法で蛋白質は膜を透過し,それぞれ必要な場所に行くことができるのです。

1970年代の細胞生物学

 Blobelは母国ドイツでM.D.を取得し,米・ウィスコンシン大学でPh.D.をとり,その後,1967年にロックフェラー大にポスドクとして入局します。当時は,Porter(ウィスコンシン大)や,Blobelが入局するロックフェラー大の研究室にはPalade,Siekevitz, Sabatiniと,細胞生物学領域の世界的なリーダーたちが,ニューヨークの一角に集まっていました。また1960-70年代,ロックフェラー大は細胞生物学のメッカのような存在でした。もともとBlobelは癌研究でウィスコンシン大にいましたが,そこには細胞生物学の草分的存在であるPorterがいて,彼とPaladeが共同研究をしていたことから,ロックフェラー大に移ったようです。
 後にBlobelに大きな影響を与えることになるPaladeは,電子顕微鏡を用いて細胞の内容を見るという,細胞生物学の新しい領域を切り開いた人物でもあります。少しさかのぼると,1952年にミトコンドリアの内的構造を明らかにし,蛋白質を産生する機能を持つ細胞構造リボソームを発見しました。さらに次の10年で蛋白合成から分泌までの基本的パスウェイを,膵臓細胞を用いて明らかにしました。そして,このPaladeとClaude,de Duveの3人は,細胞構造とそれらの機能との結びつきを解明し,1974年にノーベル賞を受賞することになります。
 1966年,Siekevitzの教授就任を期に,翌年Blobelが入局することになる研究室はPaladeとSiekevitzにより運営されるようになりました。「シグナル仮説」の仕事は,当時この2人の新たな関心であった,細胞膜の構造と機能の解明への研究を土台に練られたものと言えるでしょう。
 1975年にBlobelは「シグナル仮説」を発表しましたが,これは当時同じ研究室に在籍していたDobbersteinとの共同研究によりなされたものです。その後,Dobbersterinは独・ハイデルベルグのヨーロッパ分子生物学研(EMBL)に移りますが,両者はSRPの同定などをめぐって激しい競争を繰り広げることになります。一方,1970年代中頃,Milstein(英・MRC分子生物学研)は,抗体産生細胞における免疫グロブリンの生合成過程を研究し,前駆体で合成されることを発見しました。これに関する論文発表はBlobelらより早かったように思います。この意味では,蛋白質輸送メカニズム解明の先陣を切ったのはMilsteinと言えるのかもしれません。しかし,この領域の研究の引き金を引いたのはBlobelで,自身も研究にのめりこみ大きく発展させた点で,彼が評価されたのでしょう。受賞対象となった研究は,小胞体以外のオルガネラにおいても蛋白質輸送の経路を探しだそうとする,その後の研究の方向性を決定づけたと言ってよいと思います。

本研究によるインパクト

 現在,細胞内で蛋白質が合成された後,どのようなメカニズムで各オルガネラに振り分けられ,内部に取りこまれていくのかを,分子レベルで解明しようというのが最大のテーマです。その突破口を開いたのは,BlobelやPaladeだと思います。
 1990代初頭,Rapoport(現ハーバード大)らのグループが,小胞体膜上に膜透過装置「Sec61p」と,リボゾーム-新生ペプチド複合体が存在することを明らかにしています。これらの発見から,小胞体をめぐる蛋白質輸送のメカニズムの研究は大きく発展することとなります。一方,ミトコンドリアではSchatz(スイス・バーゼル大)やNeupert(独・ミュンヘン大)らが世界をリードし,最近,蛋白質が膜を透過して細胞内に入る時の輸送装置として,外側に「Tom複合体」,内側に「Tim複合体」が存在することが明らかになりました。
 一方Blobelらは,細胞の核膜に存在する「核膜孔複合体」(Nuclear Pore Complex;NPCs)に関する研究を進めています。これは核膜孔にはNPCsが付着しており,核と細胞質との間を行き交う物質通過の制御を行なっていることを明らかにしました。また最近,彼の教室では,「karyopherinβ-2」と「Ran」という,核への蛋白質輸送因子の複合体の3次元構造を明らかにしています。
 ここ2-3年の間に,各オルガネラがどのようにシグナル配列を受け取るのかについて,分子レベルでの解明が急速に進み,この領域は世界中で熾烈な競争が繰り広げられています。このように,彼の提示した蛋白質輸送のメカニズムは,その後の細胞生物学研究に大きなインパクトを与えています。それと同時に,現在でも彼自身は細胞内物質輸送研究において,世界のトップを走っていると言えるでしょう。

疾患との関わり

 1985年にBrownとGoldstein(米・テキサス大)は,家族性高コレステロール血症の研究から,血中のコレステロールを体細胞内に取りこむLDL受容体の存在とその異常症を明らかにしてノーベル賞を受賞しました。この研究の根底にはBlobelらの研究の成果があると言っても過言ではないででしょう。細胞内物質輸送の分子機構に障害が起こった時に,どのような表現型が現れるか,人体にどのような病態として現れるかを検討することは,疾患の治療法を開発する上でとても重要な問題です。このような病因解明や病態を理解する基盤としてBlobelらの研究があります。前述のコレステロールと代謝系の疾患だけでなく,先天性疾患,オルガネラや受容体が関与する疾患へのアプローチの基礎となる考え方を提示したと言えます。

Blobelとの交流

 私が留学していた頃,ロックフェラー大には「ブロンクラボ」と呼ばれる7階立てのビルがあり,私のde Duve研究室は7階で,彼は3階にいました。Paladeとde Duveはともにノーベル賞を受賞した仲間だったせいか,Blobelの研究室にはよく出入りしていました。現在Blobel研は隣のハワード・ヒューズ財団の研究棟に移ったそうです。今でも会うとお互いに情報交換などします。昨年,研究室を訪れた際には,彼は初めて核蛋白質の輸送因子の結晶構造が解明できたといって,「CELL」誌の表紙になる予定の写真をみせてくれました。2-3年前まで,私の研究テーマであるペルオキシソームも研究しており,よく論文も目を通してくれていたようです。しかしその一方で,意見が異なる研究者に対してはとても厳しい態度で臨みます。それこそ学会や研究会などでも,発表者に対して「君の考えは間違っている」と,大声で激しい口調で議論を仕掛けます。研究に対する姿勢は本当に真摯であると関心してしまいます。現在でもその姿勢を崩さずに第一線で活躍していますし,優秀な弟子も数多く輩出しています。
(インタビュー:本紙編集室)