医学界新聞

 

 ミシガン発最新看護便「いまアメリカで」

 刻み込まれた「言葉」
 [最終回]

 余 善愛 (Associate Professor, Univ. of Michigan School of Nursing)


 私が,1970年代に聖路加看護大学に入学した時,副学長だった日野原重明先生(現同大学理事長)が,私を含めた40数名の新入学生に向けて,次のようなことを言われたのを覚えています。
 「この1年は,あなたたちのこれから4年間の大学での,勉強を始めるための1年ではありません。この1年は,あなたたちのこれから40年間の勉強の初めの1年です」
 この言葉を聞いた時に私は,これは単に自分の生き方に対する姿勢について言われたのだと思っていました。漠然と生意気にも「そんなことは当り前だ」と理解していました。あれから20数年が過ぎ去りました。そして日野原先生が言われていたことが本当だったと,私は毎日のようにアメリカの中西部で実感しています。

勉強,勉強,そして勉強だった

 私は,聖路加看護大学を卒業した時に,実家のある京都に帰るものと信じていた父に,長い手紙を書いて「あと2年だけ東京で勉強したい」と説得し東大大学院に行きました。結果的にはそのまま6年間,平山宗宏教授(当時東大,現大正大人間学部教授)の教室に居続けることになったのですが,ここで博士号を取った時には,「もうこれで勉強はしなくていい」と思いました。
 思うことがあってアメリカに移ったのですが,この地でも2年たらずでまた大学院に入りました。ミシガン大学に就職した時も,「これからは学生を教えていくのだから,自分は勉強しなくていい」と思ったものです。しかしながら,何のことはなく自分が学生と同じだけの知識を持っていなかったり,持ってはいても,必死に勉強してやっと学生の半歩先をどうにか歩いている程度だと自覚するのに,そうたいして時間はかかりませんでした。
 そして10数年が,必死に勉強している間に,それこそあっという間に過ぎ去りました。この10数年間は「勉強の仕方が足りない」と,もう私が立ち上がれなくなるほどズタズタになるような「コメント」と称する雑誌審査員の手紙や,研究金申請書査定委員会の手紙を受け取りました。中には延々と5-6頁にもわたるコメントで,ありとあらゆる角度からいかに私が「バカ」であるかということを書き綴ってくれるものもあり,このような「リジェクションレター」が,私のファイルキャビネットの1つをびっしりと埋めています。しかし,そんなコメントをもらう度に,「それじゃ,もうちょっと勉強してみよう」と考えてしまうのは,私が単純なのか,それとも大学に入った時の日野原先生の言葉の暗示にかけられ続けたのかは定かではありません。

21世紀に花開く学問

 日野原先生がおっしゃた言葉の意味が,このようにして少しずつ鈍い私にもわかってきました。勉強するということは,努力して何かを自分の知識の中に取り入れるということなのです。ですから,その内容も毎回どんどん難しくなっていくわけです。そして知識を取り入れることは力を得ることでもあるのですから,私たちはその魅力に引かれてどんどんその中に引きずり込まれていくのです。この得体の知れないエネルギーが学問というものの正体なのかもしれません。
 私は,「看護は21世紀に花開く学問」だと信じています。看護の本質だけはコンピュータでは置き換えられません。この置き換えられないものを綿密に描き出していって,看護に社会的価値を与えられるか,はたまた,看護の本質が他の専門分野に組み入れられるかは,私たち看護に携わる者が「科学」を通してどれだけ力を得られるか,そしていつまで勉強していけるかにかかっているような気もします。

 この連載を始めて,あっという間に2年が過ぎました。この間,読者の方々からいろいろなお便りをいただき,逐一楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。アンアーバーにおいでの時は,ぜひ一言お知らせください。それでは皆さまお元気で,また会える日を楽しみに。

〔編集室より〕
 2年余にわたり,オーストラリア・シドニー(瀬間あずさ氏)とアメリカ・ミシガン(余善愛氏)から,それぞれの国の看護情報をレポートいただきました。読者の中には,両氏に直接コンタクトをされる方もあったようで,ともにその出会いを喜んでおられました。
 なお,次回からの海外レポートは,東南アジアの看護事情について,NGOにて活躍中の近藤麻理氏が,これまでとは一味違った報告をします。どうぞご期待ください。