医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県県民健康センター常務理事・前埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター長)


〔第15回〕がん・痛み・モルヒネ(11)
WHOがん疼痛治療暫定指針の試行(6)

国としての政策の検討

 1987年夏,厚生省から2つの連絡があった。1つは健康政策局からで,「末期医療に関するケアの在り方検討会」の委員なってほしいとの要請であった。もう1つの連絡は薬務局からで,「がん末期医療の在宅ケアのための麻薬製剤に関する研究班」への参加要請であった。WHOは,がん疼痛治療の円滑な推進には国の政策的な取り組み,教育研修の推進,オピオイド規制の改善という3つの柱が必要で,いずれが欠けても計画は進行しないと勧告していた。国が政策的な取り組みを着手することになったのは,大きな前進の前兆であった。
 末期医療に関するケアの在り方検討会は,森岡恭彦東大教授(現日赤中央病院長)を座長に,日本医師会代表を含む医療職(医師と看護婦),医学者,法学者,弁護士,哲学者など13名の委員で構成された。同検討会は,各界の意見を聴取しつつ,慎重な審議を重ね,1989年に報告書をまとめた。この報告書は,日本の末期医療の実践を大いに促進させる原動力となり,医療全体に緩和医療の重要性を認識させる契機ともなった。この報告書を反映した施策の中には,緩和ケア病棟入院料の点数化,全国8都市での末期医療に関する講習会の毎年の開催などがあげられる。
 この検討会では,末期医療に関する教育アプローチ強化手段の1つとして,プライマリケアで使えるマニュアル作成の必要性を指摘した。これに応えて厚生省は,専門家を主体に「プライマリケアにおける末期医療のケアの在り方研究班」を編成し,マニュアルの作成を進めた。その結果として,医師の白衣のポケットや往診鞄に入る大きさのマニュアルが,厚生省と日本医師会共同で刊行された。この小冊子「がん末期医療に関するケアのマニュアル」は,痛みの治療,痛み以外の症状の治療,精神面や生活面のケア,家族のケアなどの章に加えて,告知のあり方と方法論を示し,がん患者への告知を推進する初の公式文書となった。痛みに関する章の草稿作りは私が分担したが,告知に関する草稿は永瀬正己日本医師会代議委員会議長(当時)が担当し,先見性のある内容の草稿を起案した。永瀬先生からは教えられるところが多かった。
 一方,がん末期医療の在宅ケアのための麻薬製剤に関する研究班は,厚生科学研究班に位置づけられ,私が主任研究者を委嘱された。
 在宅で麻薬投与を行なうための剤型や管理のあり方について,医療機関から問題点と改訂を希望する点などを聴取する一方,痛みに対するモルヒネの使用と精神的依存の発生との関連,モルヒネ処方量や処方日数の制約因子とその改善の検討も行ない,1989年3月に報告書をまとめた。同時にモルヒネの使用法,調剤法,医療機関内での管理に関する3つのマニュアルも作成。この報告書は,医療用麻薬の規制条件の簡素化を目的とした法改正や日本薬局方の改訂(極量記載の削除)に反映された。またがん疼痛緩和におけるモルヒネ適正使用の講習会の全国数都市での毎年の開催にもつながり,昨年までの受講者は延べ2万5000人を越えた。

モルヒネ徐放錠の導入

 日本には麻薬の種類と剤型が少なすぎるとの議論が聞こえ始めた1984年に,海外からモルヒネ徐放錠(MSコンチン錠)に関する詳細な学術情報が入ってきた。4時間ごとの経口モルヒネ投与が12時間ごとですむようになる徐放錠は,患者にもケア担当者にも大きな利便をもたらすと欧米の国々で好評であったが,医療用モルヒネ年間消費量が50kg前後と少なかった当時の日本の麻薬製薬業界には,導入しようとの姿勢はみられなかった。
 しかし,この状況に変化が起こった。1985年に塩野義製薬が国民医療に必要なら採算を度外視して徐放錠を生産すると企画したのであった。この企画は多方面から歓迎され,治験から製造承認までの全経過が円滑に進み,日本初の徐放錠が1989年に発売された。しかし,発売直後に予期しないことが起きた。用意した生産能力を超える注文量が塩野義製薬に押し寄せたのである。がん疼痛治療における,モルヒネの有用性についての関心が急速に広まり始めたことを反映した歓迎すべき出来事であった。

医療用モルヒネの年間消費量の増加

 このようなさまざまなことから医療用モルヒネ年間消費量は年々増加を続け,1998年には757kgを消費するまでになった。10年前の4倍に,20年前の70倍という増加である。これはがん疼痛治療法普及の成果と国際的に注目された。世界各国で医療用モルヒネの大部分ががん患者の痛み治療に用いられているため,WHOとINCB(国連国際麻薬統制委員会)は,モルヒネ年間消費量の増加はがん疼痛治療の水準を示す指標と考えている。
 増加を続けている日本での,1998年における医療用モルヒネ年間消費量を単位人口あたりで各国の消費量と比較してみると,実は増加した現在でも先進国中で最下位の量なのである(図参照)。
 知識の普及の余地が大きく残されており,モルヒネについて医師が持っている古い概念を一新する努力が,今後もなおいっそう必要な状況が続いていることを端的に示しているといえよう。

(この項おわり)