医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県県民健康センター常務理事・前埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第14回〕がん・痛み・モルヒネ(10)
WHOがん疼痛治療暫定指針の試行(5)

全国から問合せが殺到

 WHOがん疼痛治療指針の試行成績に関する,ジュネーブ発AP電の波紋が大きくなったのは,1985年1月20日付の朝日新聞日曜版に掲載された,高橋真理子記者による「がんの痛み9割は消失・WHOがん疼痛治療指針を作成・3段階で対策示す」という囲み記事によってであった。
 そこに埼玉県立がんセンターの住所も掲載されたことから,全国から問合せが押し寄せ,10日間で手紙が126通,電話が74件あった。その1つひとつに応えるのが,国際機関の仕事に参画している者の責務と考え,私はそれぞれの質問に返事を送った。
 そのうち,88件あった患者と家族からの問合せの大多数が,「強い痛みに苦しんでいる,どうすべきか」との質問であった。その内容からは,患者や家族からの医療者に対する痛みの訴え方が不足気味なのではないか,と感じられた。そこで,WHO方式治療法の基本やモルヒネの安全な使い方などを伝え,これまでの臨床上の慣わしからモルヒネ使用に抵抗感を持つ医師が多いことに留意しながら重ねて主治医と話し合うよう勧めた。その他,医療関係者や学生や製薬会社などからも問合せがあった。
 このような問合せの状況を高橋記者に伝えたところ,「がんの痛みに反響」と題した追跡記事が,同年3月17日付の日曜版に掲載され,さらに問合せが増加することとなった。苦しんだままのがん患者すべてが痛みから解放されるには,全国津々浦々で有効な治療法が実践される必要があることも如実に示したことといえよう。
 WHOが1986年に「がんの痛みからの解放」を出版し,WHO方式がん疼痛治療法を公表し,翌年その日本語版が金原出版から刊行された。この出版が情報伝達を大いに助け,日本のみならず世界の多くの医師がWHO方式治療法について知るようになり,がん疼痛への関心を高めていった。

肺癌患者の普及活動への協力

 「痛みから解放された患者に焦点をあてた,WHO方式がん疼痛治療法の紹介番組を作りたい」との申し入れが,NHK総合テレビの高鳥明ディレクターからあったのは1987年の末であった。治療中の患者さんたちにNHKからの企画依頼を話すと,Sさんが協力すると申し出てくれた。
 Sさんは56歳の男性で,切除不能の肺癌と診断され,病名を告げられないまま放射線治療と化学療法を通院で受けていた。そんなある日,前胸部に急激に増強する痛みが発生し,そのために眠れない夜が続くようになり,がん治療を中断せざるを得なくなった。Sさんは,この状況に不審を抱き奥さんを問いつめ,進行した肺癌であることを知った。真実を知ったSさんは強い痛みの苦しさからは逃れたいと希望し,余命は3か月くらいと予測していた主治医に相談し,その紹介で私の診察室を訪れた。
 診察した私が,経口モルヒネで消える痛みであると説明したところ,Sさんは「末期のように感じてしまうので,モルヒネは使いたくない」と言う。そこで代わりに他の強力鎮痛薬を処方したが,翌日になっても少しも効かないと実感したSさんは,モルヒネを使ってみたいと考え方を変えた。塩酸モルヒネ錠10mgの4時間ごとの服用を始めたところ痛みが軽減したので,2-3日ごとの自宅からの通院治療でモルヒネを漸増することになった。増量のつど痛みが軽くなり,1日量が400mgとなった時に痛みがすっかり消えた(図参照)。モルヒネによって起こるはずの便秘は緩下剤の併用で現れずにすんだ。
 この量のモルヒネ内服を続けながら,Sさんは数回の短期入院によって癌治療にも前向きに取り組む一方,バードウオッチング,カラオケ,音響装置の組み立てなどの趣味を楽しんだ。痛みが消えてからのSさんは,「痛みが消えたのは,がんに勝ったも同然の気分です」と言った。その日常をNHK総合テレビのカメラが追い,「がんの痛みが消えた」という30分番組となり,1988年1月26日に放映された。
 テレビの影響は大きく,翌朝から「どうすればがん疼痛治療は受けられるか」との問合せの電話が,全国から押し寄せてきた。近隣の部屋で執務中であった渡辺孝子副看護部長(当時,現埼玉県立南高等看護学院長)は,大変な数の電話だと気づき対応に加わってくれた。難問を含む問合せの電話に休まずに応え続けたが,夕方までには100件近くになっていた。
 この反響を聞いたSさんは,「病人も少しは役立ちますね」と喜んでくれた。それから1年半後,Sさんにとって最期の日となる前日に,私は病床を訪れた。Sさんは落ち着いた表情で,「いよいよ体力がなくなりましたが,痛みがないので昨夜もトイレに1人でいけました。長い間お世話になりました」と語った。その後も多数のマスコミが情報伝達に力を貸してくれ,多くの人々ががん疼痛には解決策があることを知るようになった。しかしながら,全国的にみると,この解決策を実践している医師の数は未だきわめて少ないという状況が続いていた。

この項つづく