医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 結婚式にて-ある愛の形

 馬庭恭子


 先日,友人の娘さんの結婚披露宴に出席したが,アットホームの雰囲気でなごやかなひとときが過ごせた。久しぶりの晴れやかな場へ身を置くと,周囲は彼女の若い友人でいっぱい。私は花嫁の父兄代表といった感で,優しく遠くから眼差しをおくる……という役割である。
 思えば23年来の付き合いで,4歳の頃からその成長を側でみてきた娘さんである。
 たくさんの想い出がある。仕事で忙しい母親に代わって,2人でサーカス見物に行った。熊の曲芸を見ながら,
「ねえ,あの中に人がはいってるの?」
「ううん。本物の熊」
「えー,熊が自転車に乗るの?」
「そう。おりこうだね」
「じゃ,幼稚園にも行くんだね。」
 こんなことまで思い出されて,なぜか年月の早さを実感。今ここにいる彼女の笑顔が急にぼやけてしまった。胸ジーン,眼ウルウルである。
 親ではないが,なるほど親の気持ちというものはこんなものなのかなと思った。ひとしきりウルウルした後,気持ちを切り替えて宴の食に舌鼓。
 同じテーブルに花婿のご両親がいた。温厚で,笑みを浮かべているお父さん,シャキシャキで目配り,気配りのお母さん。育ってきた雰囲気がなんとなく伝わってきた。その横には,しっかりものの妹さんがいて,デザートを口に運びながら,いろいろ話しが弾む。
 「最近,ヘルパー2級の資格をとったんです。今も役立つし,将来も役立つと思って。看護婦さんの学校は仕事しながら,通えないですものね。
 でも,父には負けます。父は1人で,京都にいる99歳のおばあちゃんを世話しているんです。頭がしっかりしていて,足が弱いだけですけれど。自分の家から離れたくないらしくって,それなら,最期までこの家ですごさせようかということになって。
 食事の味付けなんか,私が作ったものなんかよりも全然。もう,そりゃ父がおばちゃん好みにね。ばっちりですよ。あと1年で100歳でしょ。もう,張り切ってますわ。
 母も自分の母をみてるんです,神戸でね。ちょっとボケているんですけど。80歳過ぎれば誰でもボケますよね。私は神戸と京都を行ったり来たり……。
 今日は,父母が会うのは久しぶりなので,これから2人で信州旅行なんです。神戸のおばあちゃんはショートステイ。京都のおばあちゃんは,これが終わってから,私が世話に行くんです」と明るい。
 こころは1つだが,3人3様の介護を離れた場所で繰り広げられている様子が浮かんだ。もう1度,ご両親の顔をじっくり拝見するとまた違った顔にも見える。

 披露宴の黄色い手づくりの案内状には,真中に天使が笛を奏でているイラストと,「愛は寛容であり,愛は情け深い。愛はいつまでも絶えることがない〈コリント人への手紙13章〉」と記されていた。