医学界新聞

 

[連載] 質的研究入門 第3回

ブラックボックスを開く(3)

――保健医療サービス調査研究部門の廊下での議論
“Qualitative Research in Health Care”Appendix(付録)より

大滝純司(北大医学部附属病院総合診療部):監訳,杉澤廉晴(同):訳,
藤崎和彦(奈良医大衛生学):用語翻訳指導


(前回,第2359号よりつづく)

社会学者(以下,) 事務所の職員や外科医は,入院患者を選ぶために患者をとどめておく場所としてリストを使っていて,実際に非常に緊急を要するのであれば,ずっと前から手術の順番を待っている人ではなく,最近リストに追加した患者を,外科医があえて選ぶことがあるのです。
主任研究者(以下,) それは正当な選び方かもしれません。
 あるいは,単に彼らがその患者を覚えていたからと選ぶこともあるのです。そこにはさまざまな種類のプロセスがあり,単純な列とは異なるものなのです。そして管理者はそのことを知るべきなのです。
 あなたの意見は受け入れるとして,国際的に議論になっている問題についてはどうなのでしょうか。胆嚢切除術や子宮摘出術のように,一般的な手術の実施率に地域や国間でのばらつきがあることについてはどう説明できますか。McPherson1)やWennberg2)らによって行なわれる量的方法では,そのばらつきを説明できるのです。
 ということは,あなたは同じことをもっと繰り返して,ばらつきのわずかな違いについて研究したり,違う場所で同じことが起こっていることを示したり,統計的モデルに少々の説明変数を加えたりしたいのでしょう。
 うーむ,ええ。
 しかし,臨床上のばらつきはまた新たな疑問を生むのです。私たちが本当に今しなければならないことは,これらの手術実施率が個々の臨床医の活動の中でどのようにして生じているかを明らかにすることです。Wennbergが示した外科的決裁という概念,すなわち外科医が行なう外科的診療のさまざまな特徴を記述するのに用いられた概念を取りあげてみましょう。私たちが知らなければならないことは,どのようにしてその決裁が行なわれたか,なのです。それを知るにはプロセスに注目しなければなりません。手術に関するばらつきのパターンができる前に起きている一連の出来事を知る必要があるのです。
 それではあなたのアプローチでは,何がわかるのですか。
 1つには,ばらつきがどのようにして構築されたのかがよくわかります。扁桃腺アデノイド切除術におけるMick Bloor3)の質的研究がまさによい例です。彼は,耳鼻咽喉科の診療所で観察研究を行ない,専門医間で患者の診断手順に構造的なばらつきがあることを示しました。それは個々の決断方法に専門医間で違いがあることに基づいています。もしあなたが,そのような研究と量的なデータとを結びつければ,どのようにしてばらつきが起こるかを説明できるでしょう。

部外者から見た社会学

 プロセスを見ようとするあなたの考えはとてもすばらしいのですが,しかしこれはまさにあなたたち医療社会学者が無視してきたものです。医療社会学は,医療のプロセスを調査することをずいぶん前にあきらめてしまいました。病的な医師-患者関係に振り回されたり,つまらない議論に終始していたではありませんか。
 おそらく,その理由は保健医療サービスに関する調査研究の土壤のせいかもしれません。イギリスでは,これらの研究は医師によって行なわれているので,社会学者のためのポストはそれほど多くないのです。あなたは,どのような研究に予算がつき,誰が研究計画を評価するのかご存知ですか。これまで話してきたような,質的研究の入りこむ余地はほとんどないのです。もしもその余地があったとしても,すでに存在する研究のデザインや面接に助言を与えたり,患者のQOLに標準的なものさしを用いるために,社会学者が参入させられることが多かったのです。
 研究資金を確保できなかったからといって,私を責めることはできないでしょう。Medical Research Council(前回参照,イギリスの公的機関)は医療社会学者に研究費の申請を勧めないのですか。
 勧めますが,評議会にあなたのように申請を査定する人がいるようですね。あらゆる研究を実験的科学のものさしで測ろうとし,質的研究について何も知らない人がいるのは困ったことです。
 なるほど,確かに私はあなたの立場で議論することはできません。私のやり方しか知らないのです。
 と言っても私の計画について考え直してはくれないのでしょうね。
 決定はすでに下されました。では,こうしましょう。別の研究申請書を持って2-3週後に私のところへ来てください。今日の議論のおかげであなたが何をしようとしているのかほんの少し理解できたような気がしますよ。
 それはすばらしいことですね。
 最後にもう1つだけ提案してもよろしいですか。
 あなたの研究申請書は,審査者にとって読みやすいとはいえません。医療経済学者の場合よりもひどいかもしれません。私が研究を始めた頃は,誰も医療経済学のことなんて聞いたことがありませんでしたが,今では保健医療サービスの提供者なら誰でもそれを必要としています。医療経済学者や疫学者さえも世の中から必要とされるようになったのは,彼らが自分たちの持っている道具でブラックボックスを開けられると,管理者や医師に誇らしげに見せたからです。尻込みしたり,遠巻きにして泣き言を言ったりしていたら,医療経済学者が今の地位を占めることはなかったでしょう。もしもあなたが主張するように,医療社会学やあなたのエスノグラフィックな方法論が,プロセスという領域に分け入って「ブラックボックス」の中で何が起きているのかを本当に明らかにすることができたら,その時はあなたの先駆者としての評価はうんと高まるでしょう。このことにかかわっている間は,名前をパンドラへと変えたらどうですか。そうすれば人々も多少は興味を持ってくれるかもしれませんよ!
(BMJ, 30, Jan. 1993掲載)

※注1)N. Engl. J. Med. 1982, 307:1310-4
2)Scientific American 1982, 246:100-11
3)Sociology 1976, 10:43-61

by Catherine Pope, Nicholas Mays