医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県県民健康センター常務理事・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第12回〕がん・痛み・モルヒネ(8)
WHOがん疼痛治療暫定指針の試行(3)

がん疼痛の包括的マネジメントに関するWHO会議

 1982年にミラノで開かれたWHO協議会に続く第2回会議「がん疼痛の包括的マネジメントに関するWHO会議」は,1984年12月11-14日にジュネーブのWHO本部で開催された。
 今回の会議開催の目的は,がん疼痛治療暫定指針の最終検討とがん疼痛救済プログラムの普及活動方針の立案であった。フランス,ドイツ,デンマーク,フィンランド,ソ連邦,ナイジェリア,スリランカ,中国を新たに加えた17か国からの専門家,および国際対がん連合(UICC),国際疼痛学会(IASP),国際製薬業協会連合会(IFPMA)などの代表も招かれた。さらに,痛みの基礎医学の長老であるAnderssen教授(スウェーデン),痛みの臨床医学の長老であるJohn Bonica教授(米国)も招かれていた。私にとって初のWHO本部での仕事であり,緊張してジュネーブに向かった。
 議長にニューヨークのSloan-KetteringがんセンターのFoley博士,副議長にインドのTataメモリアルがんセンターのde Souza博士とスリランカのJayasuriya博士,報告書作成責任者にオックスフォードのTwycross博士を選出して会議が始まった。その席上,私は4か月前にシアトルの世界疼痛学会で発表した埼玉県立がんセンターでのWHOがん疼痛治療暫定指針の試行成績(前回参照)を全出席者の前で紹介した。
 初の試行成績となった私の報告が完全除痛率86%と,期待通りに良好だったことから全出席者から感謝され,またBonica,Anderssen両教授からは,「よく早く結果を出してくれた」と夕食に招かれ,ワインを飲みながら,世界の学術情報を直接教えてもらうよい機会となった。
 この時にお2人から聞いたところでは,すでに米国のがん疼痛治療のレベルは現在の日本のレベルに達していた。一方スウェーデンでは,オピオイドの時刻を決めた規則正しい経口投与ががん疼痛治療の主軸と理解されるようになり,1975年からの7年間にモルヒネとメサドンなどの年間消費量は17倍に増加していた。
 このWHO会議には中国から初めての出席があり,当時の話題であったハリ麻酔の効果について発言を求められたが,中国の医師からは,「がん疼痛にはハリ麻酔は効果不十分」との率直な答えが返ってきたため,ハリ麻酔への期待は一挙にしぼんでしまった。

がん疼痛治療成績不振の国際的な理由

 この討議では,がん疼痛が十分に治療されていない理由を次のようにまとめた。
1.満足な除痛を得る方法が確立している事実を多数の医療担当者が知らないこと
 効果的ながん疼痛治療法が確立して間もないためであったが,重大な事実であった。
2.多くの政府が関心を欠いていること
 各国のがん制圧プログラムは予防,早期発見,がん病変の治療法には熱心だが,末期患者対策,特に痛みの対策を取りあげていなかった。
3.世界の多くの地域でがん疼痛治療に必要な薬が入手できていないこと
 貧困な財政や強すぎる薬剤規制が主な理由であるが,薬が供給されていても理解不足の医師が処方しないため,必要としている患者に薬が届かない状況が多かった。
4.オピオイド鎮痛薬が簡単に処方されると依存症になるとの恐怖心があまりにも大きすぎること
 痛みの治療のためにモルヒネを反復投与しても精神的依存は起こらず,身体的依存と耐性が臨床上の問題とならないことが広く理解されるに至っていないのであった。
5.医学生,医師,看護婦,その他の医療担当者にがん疼痛治療の系統的な教育が行なわれていないこと
 教える人々の多くが効果的な痛み治療法について知識がなかった。
 このような理由の1つひとつを克服していくには,相当な努力で普及活動を行なっていくほかあるまいと出席者は感じていた。だからこそ,WHOのような強力な国際機関が大きな声を出し,活動する必要があったのだ。

WHO方式癌疼痛治療法確立へ

 翌日からの分担討議で私は,Foley博士やTwycross博士などと鎮痛薬の使用指針の見直し担当グループに所属し,レストランでの夕食時にも話題にするほどだった(写真)。そして私たちは,鎮痛薬の分類と投与法の基本原則も審議し,変更を加える必要がないことを確認した。最終日には,各グループが分担起草した報告書草案を,全出席者で総括討議して一部を修正,Twycross博士に完成を委ねて4日間の会議が終了した。
 この報告書は,1986年に『がんの痛みからの解放』と題しWHOから刊行されたが,この本によってWHO方式癌疼痛治療法を公表し,がん疼痛治療を重視した政策をとるよう各国政府あての勧告も行なった。日本語版は翌年に金原出版から出版,続いて世界21の言語に翻訳され,ベストセラーとなった。このWHO方式治療法は,世界各国のがん疼痛治療のスタンダードとなり,がん疼痛に対する考え方の改革に大きく貢献したのである。


ジュネーブ駅近くの日本レストランで和食をとりながらのひととき。左から,Dr Robert G Twycross,Dr Kathleen M Foley,筆者(1984年12月15日)

この項つづく