医学界新聞

 

「スピリチュアルペイン」をめぐって論議

第23回日本死の臨床研究会開催


 第23回日本死の臨床研究会年次大会が,さる9月17-18日の両日,形浦昭克氏(札幌医大),皆川智子氏(同)の両大会長のもと,「終末期における心の癒し」をテーマに,札幌市の北海道厚生年金会館,他で開催された。
 本大会では,チームアプローチ,インフォームドコンセント・告知など39セッションから145題の一般演題発表が行なわれた他,12題の事例検討,特別講演2題,教育講演6題を企画。また,シンポジウムは,「Spiritual Pain」と「悲嘆ケア」がテーマにあがった。本号では,同研究会として初めてスピリチュアルペインを正面から取り上げ話題となった,前者のシンポジウムの模様を報告する。


 「スピリチュアルペイン(以下,SP)」は,これまで「霊的痛み」「宗教的痛み」と訳されてきた。WHOは,「霊的とは,人間として生きることに関連した経験的一側面であり,身体的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。多くの人々によって,『生きていること』が持つ霊的な側面には宗教的な因子が含まれているが,『霊的』は『宗教的』と同じ意味ではない。霊的な因子は,身体的,心理的,社会的因子を包含した人間の『生』の全体像を構成する一因として見ることができ,生きている意味や目的についての関心や懸念とかかわっていることが多い。特に人生の終末に近づいた人にとっては,自らを許すこと,他の人々との和解,価値の確認などと関連していることが多い」と定義づけている。

今後の議論のために

 シンポジウム「Spiritual Pain」(司会=阪大 柏木哲夫氏,富山医薬大 澤田愛子氏)では,柏木氏が「スピリチュアルという言葉に適切な日本語はない。シシリー・ソンダース氏(英・聖クリストファーホスピス)は,1997年の来日の折りに『人生の,意味や,価値観に関する痛み』と表現したが,わかりにくさが存在する」と述べ,「難しいがゆえに結論が出ることではないが,概念の持つ内容をshare(共通に分かち持つ)し,今後の議論のスタートにしたい」と開催主旨を解説。シンポジストには臨床現場で患者と直に接している,前野宏氏(東札幌病院),田村恵子氏(淀川キリスト教病院),沼野尚美氏(六甲病院),木曽隆氏(長岡西病院)の4氏が登壇した。
 前野氏は,SPに関する医師への意識調査の結果を報告。それによると「SPという言葉を知っている」と答えた一般医は10.1%にすぎず,「知らない」が62.3%であった。これに対し「SPに関心がある」と答えた緩和ケア関連医は82.4%であり,93.2%の関連医が「スピリチュアルケア(以下,SC)は必要」と回答。これを踏まえて前野氏は,「(1)すべての人には霊的領域がある,(2)医療者は患者の霊的苦痛の緩和に努めなければならない,(3)霊的苦痛を緩和するにはいかなる手段にも限界があるが,医療者は最後まで人間(隣り人)として存在することは可能である」と結んだ。
 また,田村氏は看護の視点から発言。SPについて,アセスメントを行なった末期癌患者から得た結果を,「(1)病気になったことで自分を責めたり自業自得と思っている,(2)死を視野に入れて生きているが,死への恐怖を感じている。死後の世界は認めているが,具体化されていない」など6項目にまとめた。その上で,「末期癌患者にとってのSPは,自らが生きることの意味を探究し,死をも超えて存在する真の希望を見出したいとの願いである。患者が病気や苦難の体験の中に意味を見出すように援助することが看護職の責務であり,傾聴することがSCにつながる」と述べた。
 また,六甲病院で緩和ケア病棟のチャプレンを務める沼野氏は,「末期患者の最後のリクエストは『自分を一番大事にしてほしい』である。SPは,患者の言葉から推察するもの。SCはチームケアであり,必要に応じて宗教家がかかわれることを医療者は知ってほしい」と述べた。
 僧侶である木曽氏は,一般市民が「暗い」「死」をイメージさせる仏教ホスピスが,どのように「安らぎの場」として市民に認められるに至ったのか,その取り組みと経過を解説。その上で,「SPやSCには,患者の苦悩に気づかなければ意味がなく,傾聴の気持ちが大切」と述べた。
 その後の総合討論の場では,「SPは,患者の日常の言葉の中に含まれておりダイレクトには表出されない」,「ペインを『痛み』と表現するよりは,『根源的な叫び』と理解したほうがよいのではないか」などの意見が出された。
 司会の柏木氏は「SPは痛みよりも,広い意味での『苦悩』『実存的な苦しみ』として考えたらよい」,澤田氏は「SPは意味を求める魂の叫び」とまとめたが,研究会として初めて取り上げたテーマは,今後の議論の礎となったことを確信させた。