医学界新聞

 

連載
アメリカ医療の光と影(12)

医療過誤防止事始め(6)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


 生後2か月の乳児ホゼ・マルティネスがジゴキシンの過剰投与で亡くなるという痛ましい事件が起こった当時,ハーマン病院は医療施設評価合同委員会(JCAHO)の定時監査に向け病院をあげて準備をしているまっ最中であった。
 ホゼ・マルティネスの死亡事故をJCAHOに報告するかどうかが病院上層部で議論となったが,報告義務はないにもかかわらず,今回の事件をありのままに報告するという決定が下された。その結果,ハーマン病院はJCAHOから監察処分を受け,過剰投与事件の「根本原因」を分析し,再発防止策を講じることが義務づけられることとなった。

根本原因と再発防止策

 ハーマン病院が講じた再発防止策の第1は診療の質を改善するための「performance improvement」部門を新設することであった。薬剤事故の防止を目的に,処方・投薬の誤りが発見される度に,誤りの原因が分析されるようになった。その結果,誤りの3分の1は「コミュニケーションの齟齬」に,そして半分が「定められた手順を遵守しなかった」ことに原因があることが明らかとなった。また,薬剤事故は週末・休日に起こる率が高いことも判明した。
 これらのデータに基づき,処方・調剤・投薬・投薬後の患者観察の全段階についてプロトコールの見直しが行なわれた〔TQM(total quality management)あるいはCQI(continuous quality improvement)は,本来アメリカで開発され,日本の産業界が発展させたものであるが,米国では80年代末から医療の分野にTQM/CQIを導入することが盛んとなっている。管理医療など支払い側からの「コスト削減圧力」に応えると同時に,消費者(=患者)により安全な医療サービスを供給するということを目的としている〕。

薬剤副作用の発生防止

 ハーマン病院が講じた再発防止策の第2は,過剰処方を防止するためのコンピュータ・プログラムを導入したことである。
 薬剤副作用(adverse drug events,ADE)の発生を減らすためにコンピュータ・プログラムを導入する病院は多く,その有効性は証明されているといってよい。例えば,ブリガム&ウィメンズ病院(BWH)では,ADE防止を目的にオンライン処方システムを導入したが,ADEの発生率は入院1000日当たり10.7件から4.9件に減少した(JAMA,280巻1311頁,1998年)。
 BWHで導入されたプログラムは,医師がオンラインで処方する際に以下の薬剤および関連情報が提供されるという。(1)同一薬効の採用薬品のリスト,(2)至適投与量,(3)処方薬剤に関連する患者の検査データ(例;フロセマイド処方時の血中カリウム値),(4)処方後に必要となりうる検査(例;アミノグリコシド処方時のアミノグリコシド血中濃度測定),(5)アレルギー情報についての確認,(6)薬剤相互作用に関する確認,などである。

「医師の指示が絶対」というカルチャーは医療過誤を産み出す

 ハーマン病院の過剰投与事件では,薬剤師・看護婦(士)など多くのスタッフが投与量に疑問を持ち,ダブルチェックを繰り返したにもかかわらず過剰投与が防ぎ得なかったのであるが,「チーム医療」の不徹底がその一因となったことが「根本原因」分析の中で指摘された。投与量に疑問を抱いたのにもかかわらず実際に投与を担当した看護婦は,実は「看護婦が医師にクレームをつけることはもとより,女性が男性に対してクレームをつけることが難しい」国の出身者であり,彼女が「遠慮」しなければ不幸な結果を防ぎ得た可能性が指摘されたのである。
 前々回(2350号),筆者は医療過誤を防止するための方策の第1は「誤りから学ぶ」ことにあり,そのためには医療の現場に「blame free(個人を責めない)」というカルチャーを打ち立てる必要があると述べた。同様に,過誤防止策の第2は「チーム医療」であり,「医師の指示が絶対」というカルチャーは医療過誤を産み出す最良の土壌となることを強調したい。
 今年の7月にマサチューセッツ総合病院からJAMA誌に報告された論文は,チーム医療の徹底が医療過誤を防止する効果があることの格好の証左となっている。病棟に薬剤師を常駐させ,患者の回診に参加するなど診療チームに加わらせることで,ADEの発生率が3分の1に減少したのである(JAMA,282巻267頁)。
 1998年11月,カリフォルニア州ランチ・ミラージュで「医療における過誤を減らし患者の安全を増進させるために」というカンファランスが開かれた。カンファランスを主催したのはアメリカ医師会の全米患者安全基金(NPSF),JCAHO等の5団体であった。このカンファランスでハーマン病院のCEOターンブルが「薬剤事故を減らすための方策」について報告した。生後2か月の乳児,ホゼ・マルティネスをジゴキシンの過剰投与の結果死なせてしまうという悲劇的な事件が起こってから2年後,ハーマン病院におけるADEの発生率は,過剰投与事件当時の40%にまで減少したのであった。

この項つづく