医学界新聞

 

〔新連載〕看護診断へのゲートウェイ

【第1回】看護診断の魅力と責任

 江川隆子(大阪大学医学部保健学科)


 日本看護診断学会が発足して5年。前身の看護診断研究会を含むと設立から約10年が経過し,その活動は徐々に活発になっています。その成果として,日本でも「看護診断」が広く知れわたった感じを受けます。しかし,現実にはこの用語に反発する医療専門家も少なくなく,ある施設では看護診断の使用を制限していると聞きます。そこで,この連載は,そうした看護診断に反感を持つ人に,看護診断を正しく理解してもらいたい,また,看護診断の推進者にも,もう1度看護診断について考え,その現状と将来について語り合いたい,という同士が執筆を企画しました。

この連載のテーマはここから!

 看護診断概念やその分類の開発において活躍しているNANDA(北米看護診断協会)の前身は,1973年セントルイス大学で開催された“National Conference on Classification of Nursing Diagnosis”(全米看護診断分類会議)です。アメリカの看護史において,70年代は次々と看護モデルが発表されたり,ANA(米国看護協会)の看護業務基準の改正が行なわれるなど“看護の独自性”が内外に顕示された時代でした。そのような時機に,全米看護診断分類会議が開かれました。
 会場となったセントルイス大学のあるセントルイス市は,ブルースでも有名ですが,アメリカ開拓時代に,ここが西部への入口であった歴史があります。ここから,夢と希望を抱いて多くの西部開拓者が旅立って行ったことでしょう。そのかつての西部への入口に,「ゲートウェイアーチ」と呼ばれる巨大な門(約192m)が1966年に建設されました。
 第1回の会議に集まったナースたちも,このゲートウェイアーチを訪れて,きっと“看護診断の開発”といった課題を背負って歩き出した自分たちを,開拓者の勇ましい姿にオーバーラップさせたに違いありません。それから四半世紀近くが過ぎた1996年の第13回NANDA学会は,このゲートウェイアーチのあるセントルイスで,新たな決意をもって開催されました。
 その決意には,NANDAを中心とし,他の看護診断分類グループと協同して看護用語の統一をめざすこと,NOC(看護成果分類),NIC(看護介入分類)と協同して,看護診断分類を“看護診断-看護介入-成果”という,実践に即した看護の知識体系を確立させることが含まれていました。こうした看護診断の歩みは,今また,21世紀の目標に向ってゲートウェイをくぐり抜けて行こうとする開拓者の姿に見えてしまいます。

医学と決別するために開発されたものではない!

 看護は,ナイチンゲールから始まったとしてもせいぜい100数年の歴史です。ヒポクラテスから始まった医学と比べると,その歴史さえ比較になりません。ですから,看護は長い間医学の恩恵を受けながら,また医学を手本として発展してきたのは事実です。
 しかし一方では,看護学としての知識の体系化を確立するために,看護は20世紀を駆け抜けてきました。看護理論や看護モデルの登場もこのような活動の中にあって,“看護の独自性や機能を明確にする”という1つの成果であったと考えています。こうした看護理論や看護モデルによって,私たちは看護の構成大概念である人間,社会,健康,看護(実践)について,あるいは看護実践に必要な看護過程や看護視点について,現在の看護学にとって不可欠な知識体系を導かれたのです。
 その中で,看護診断概念は,看護理論やモデルの集大成とも言うべき看護用語の開発に取り組んだものと考えています。しかしそれは,看護理論や看護モデルの中には,看護問題とそれを判断するために必要な情報の記載(症状あるいは状態,原因あるいは原因となる状態)が十分ではなかったからです。
 看護が学問として独立するためには,看護独自の文化や理論,言語が必要です。また,医学や他の専門分野との区別が必要で,同時にどう共有するかについても考えることが重要となります。そういった意味からも,看護診断は看護の独自性を発揮するために必要な言語と考えています。「なぜ医学用語でいけないのか」という人に言いたいのは,看護の視点で患者を観察し,患者の望んでいる看護援助(看護診断)を判断するとき“医学用語”でその現象や行為を表すことが難しいということです。それだからこそ,科学的な医学を手本に,時間はかかりますが看護独自の看護診断分類を作り上げようとしているのです。

実践および教育への影響

 共通用語は,看護実践や看護教育にどのような影響を与えたのでしょうか。
 相対的に言えることは,看護診断を用いることで,看護婦同士あるいはその他の専門家と,患者の状態および看護援助に対する共通理解が得られやすいということ。それと同時に看護,あるいは看護援助に対する評価がより可能になることではないでしょうか。
 臨床においては,複数のナースが共通用語を用いることで同じ看護援助が可能となり,その成果の評価についても共通用語での判断がより可能となるでしょう。このことは,看護実践において,日勤準夜,準夜深夜といったシフト間での申し送りの短縮を可能にし,患者へのケア時間を増加させることにつながるかもしれません。実際に,看護診断を導入したことで,申し送りの短縮化が図られたり,看護観察および看護診断に対する目標,計画,またそれらに対する経過記録などの看護記録の充実につながったという報告も聞きます。
 教育においても看護診断を軸にする,つまり例えば,健康的機能パターンを用いてカリキュラムを構成する,それに関連して科目を導入することで,理論や概念を明らかにしやすくなります。また,科目によってどのような看護診断概念や看護援助を組み入れたらよいのか,その根拠がわかりやすくなったのではないでしょうか。その結果,看護の守備範囲が教えやすくなったというプラスの評価も少なくありません。
 実際に,私の担当している成人・老人看護学では,健康的機能パターンでカリキュラムを構成しています。そして,パターンごとで教授する,看護診断およびその援助技術,またそれらの看護診断を理解するため諸理論と知識は何かを検討し,それぞれの講義を構成しています。このことで,不必要な教育の重複を避けられただけでなく,限られたコマの中で何を重点的に指導すべきかが示唆されたと考えています。しかしながら,このやり方はまだまだ試行錯誤の段階であり,検討の余地が残されています。

看護診断の魅力

 看護診断の魅力は,何といっても従来看護職が行なっていながら言語化されていなかった“看護援助”を“言語化”できたということに尽きるのではないでしょうか。その結果,患者が必要とする看護援助(看護診断)を判断し,その診断に対して目標および看護計画を立案,実施,評価するといった一連の知識体系を導くことが可能になったことです。 言語化によって,私が考えるもう1つの魅力は,看護の守備範囲が明確になり,臨床看護研究の範囲がはっきりしたことです。しかも,根拠を持ってこの診断に対する観察や指標について,あるいはこの看護診断の妥当性について,看護診断の援助技術について,など臨床研究の視点がより明確に示唆されました。といっても,このような臨床研究,特に事例研究が活発に行なわれるためには,先に述べたような看護診断に関連する看護記録の充実が不可欠であり,根拠に沿った看護記録が必要であることを忘れないでいただきたいのです。看護研究による看護診断の開発や妥当性の検証,新しい看護援助を導く研究の発展は,さらに看護をより科学的学問へと導くことになるでしょう。
 しかしながら看護診断を用いての臨床研究は,特に日本では始まったばかりです。そのため,本年7月に行なわれました第5回日本看護診断学会学術大会(7月18-19日,パシフィコ横浜)では「NANDAの紹介コーナー」を設けて外国での研究動向を知ってもらうことを目的に,プローシーリングや大会プログラムなどを展示しました。

看護診断を用いることの責任

 看護診断の登場は,看護にとって“魅力,魅力”と手放しに喜ぶだけではいられません。看護の守備範囲が明確になり,それを言語化したということで,看護援助に対する“責任”について,従来の言語化されなかった時に比べると顕著に批判や評価を受けやすくなっています。それには,患者の状態を判断,あるいは判断しない責任,あるいはその状態に対する看護援助の判断の適切性などが含まれます。それは,看護職者のそれらの判断が,患者に有形無形の不利益を与えると考えられるからです。しかしながら,看護職者が専門職として自立するためには避けられないものです。この“責任問題”は,どの専門職者に問われるものであり,看護だけに限られるものではありません。
 とは言っても,看護診断の推進者の方々は,その責任に耐え得る高度な判断能力や知識,看護援助技術をお持ちでしょうか。持っていないと思われる方,ぜひ看護がより専門職となるために,一緒に努力してみませんか。看護診断の発展は,きっと私たちの究極の目的を助けてくれるでしょう。

看護診断に対する論争と私たちの願い

 看護診断だけでなく,新しいものに対する懐疑的批判や反発はつきものです。そうした批判を無視すべきではありません。むしろ,そうした意見を看護診断の発展の中に活用していきたいと思います。ですから,例えば看護診断を導く過程が「ホリスティックではない」と言うのなら,どのようなアプローチがホリスティックなのか,またアメリカの文化の中で生まれた看護診断が,「日本の看護界にフィットしない」と言うのなら,どのように変えればよいのか,その科学的根拠を示してほしいのです。ぜひ,反論するだけでなく“代案”など建設的な意見を示してほしいと考えます。
 しかし,忘れないでいただきたいのは私たちも,反論している方々も,同じ看護職であり,患者をホリスティックにアセスメントし,適切な援助をしたいと願っている1人であるということです。とにかく,論争は大いにしたいと思います。それが,看護のさらなる発展につながるのなら。
 最後になりますが,私は,日本の看護診断の普及の功労者である松木光子氏(日赤北海道看護大学長)の以下の主張に拍手する1人です。
 「看護診断はいまだに完成品ではない。私は完成品を待つより,看護という目標に向かって創意工夫して,常によい科学的なケアを提供したい。看護診断はその役割の一助となっていると考える」〔松木光子著:『看護診断の現在』(医学書院)より〕
 なお,次回は「看護診断分類の持つ意味」(執筆:名大 中木高夫氏)です。