医学界新聞

 

〈連載〉

国際保健
-新しいパラダイムがはじまる-

高山義浩 国際保健研究会代表/山口大学医学部3年


〔第12回〕難民キャンプにおける医療システム

 冷戦後,地域紛争が多発するにつれて,「難民キャンプ」という言葉が連日のように紙面をにぎわしている。最近のコソボ危機においても,数多くの難民が発生したことが伝えられた。彼らのほとんどが陸路で国境を越え,周辺各国の難民キャンプに収容されている。中には海路でイタリアへ逃れた人々もいたようである。
 ところがメディアからは,その「難民キャンプ」という場のイメージがなかなか伝わってこない。そこで今回は,ネパールに作られているブータン難民キャンプから,難民キャンプが具体的にどのように運営されているのか紹介してみようと思う。

ブータン難民発生の背景

 ブータンは世界の秘境として知られ,独自の伝統を保持していることを観光資源としている。そのため,国民はゾンカ服という伝統衣装を身に着けることが義務づけられ,家もゾンカ風,言葉もゾンカ語を話すことが求められている。近代化をがむしゃらにめざしがちな途上国にあって,このような伝統を守ろうとする姿勢はめずらしく,最近ブータン観光は秘かなブームとなりつつあるようだ。しかし,その影で,ブータンからネパールへと続々と難民が流入している。ゾンカ風というのは,ドゥクパという多数派民族の文化であり,少数派民族のロチャンパスはゾンカ服を身にまとわず,ゾンカ語を話せないため異端として迫害され,国を追いやられているのである。こうして,現在約8万人のロチャンパスが難民としてネパール国内に生活している。

難民キャンプが整備されるまで

 難民が大量に流入しはじめると,流入された国は,難民が国内に拡散してしまわないように防衛する。国際条約により,難民を追い返してはならないことになっているために,生活できるだけの空間を提供すると,あとは周囲にバリケードを築いたり,兵士を配して監視するのである。
 ブータン難民に流入されたネパールも,ブータンに近いダマクという町の郊外に難民キャンプを設営し,難民の動向を監視していた。1991年9月,難民の数が5000人に達した時に,政府は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)へ正式に通報した。
 UNHCRがまず行なったのは,難民の登録である。その登録によって,詳細な統計情報が得られ,UNHCRやその他の支援団体が,的確に援助を行なうことが可能になるのである。
 次いで,UNHCRはネパール政府と共同で援助計画を策定し,キャンプ内のインフラ整備,必要な援助物資のリストアップ,そしてこれらの管理方法などを検討する。さらに,これを担当できる国際協力団体に割り当てていく。こうした援助の管理は,難民キャンプの運営でも重要なものである。そして,効率のよい組織的な救援を展開するためには,援助団体が勝手に出入りできないように管理しなければならない。思いつきで訪れたような援助団体は排除される。原則として,これまでの実績が認められ,国連に登録されている団体だけがキャンプ内での活動を承認されるのである。

難民キャンプにおける医療活動

 キャンプ内での診療活動は,イギリスのNGOであるセーブ・ザ・チルドレンが担当することになった。日本をセンターとしているアジア医師連絡協議会(AMDA)もキャンプ内での活動を希望していたが,セーブ・ザ・チルドレンに一本化された。AMDAは,ダマク市内に難民キャンプの後方支援病院を建設。キャンプ内診療所ではケアできない重症例を引き受けることになった。
 患者はまず基礎的な医学知識を持ったヘルスワーカーがいるBHU(Basic Health Unit)を訪れる。これは8つある難民キャンプにそれぞれ2つ,もしくは3つ作られているが,そこで専門的な治療が必要だと判断されると,医師のいるキャンプ内の病院へと紹介される。各キャンプに1つずつある病院には入院病棟があり,簡単な手術もできるようになっている。しかし,より重篤なケースはキャンプの外にある,さらに大きな病院へ運ばれる。これには,AMDAが建設した病院も含まれている。
 それでは,現在この医療システムはどのように機能しているのだろうか。僕が,約1万人が収容されているキャンプ内の病院を訪れた時に調べた内容を整理しよう。
 病院は,5m×20mほどの平屋建木造が2棟。スタッフは,医師とCHPM(Camp Health Program Manager)が1人ずつ,さらにMCH(Maternal & Child Health)カウンセラー,看護婦,ボランティアなど,実に総勢89人がかかわっていた。1日の外来患者数は,130人前後だという。
 主な健康問題は,下痢,急性呼吸器感染症,寄生虫性疾患で,特に5歳未満児が多い。キャンプには,井戸があり,安全な水が供給されている。煮沸も不必要ということだ。にもかかわらず,下痢が減らないのは「子どもたちが泥水で遊ぶため」と医師は話していた。キャンプ内の環境衛生の向上が今後の課題のようである。

難民の健康問題

 また,難民キャンプ独特の健康問題に,精神保健がある。精神疾患の外来患者は,キャンプ人口の1.4-1.5%程度で,不安,ストレスによるうつ症状がみられている。日本の0.35%という数値を比べると,この問題の深刻さがうかがえる。ブータン難民は,市民権や財産権の剥奪,差別,迫害,拷問,強姦など,さまざまな弾圧を受けたと言われている。こうした体験に由来するPTSD(心的外傷後ストレス障害)が根強く残っているようだ。
 精神的な不安定をもたらす要因は,難民キャンプでの生活そのものにもある。ブータン難民は一時的保護という形で,ネパールに居住しているが,8年も経過しているのに本国帰還の見通しが立っていない。また,キャンプ内には安全な水,食料,医療,教育などがそろっているとはいえ,家は狭く,収入による格差を防止する目的で労働は禁止されている。
 これはつまり,「日がな1日,何もせずにキャンプ内でぶらついていなさい」というようなものだ。旧ユーゴスラビア難民への精神カウンセリングをしていたスロバキア人の心理学者リディア・ザコバは,次のように語っていた。「3年間何もしないで過ごせば,戦争に行かなくても気が変になる」。難民キャンプでの医療救援においては,このようなストレスについても対応しなければならない。

難民キャンプの人口問題

 MCHカウンセラーを中心とし,家族計画プログラム(後注)も行なわれていた。避妊普及率は15%(1995年)だったが,30%(1996年)に増加している。主な避妊方法は,ホルモン注射(Inplant)だという。多産は母親の健康問題を引き起こし,無制限な難民人口の増加は,受入国であるネパールや,UNHCRの財政を逼迫させる。出生数を適切なレベルに留めることは,難民キャンプの運営において大きな関心事となっている。しかし,ブータン難民の流入がほとんどおさまった現在でも,その難民人口は増大しているのが現実である。理由は簡単。出生数が多かったのである。
 難民の家族が子どもをたくさん産もうとするのには,いくつかの理由がある。
 まず第1に,高度な医療と教育が無料で施されているため,難民キャンプにいる間に,なるべく多くの子どもを育てておきたいと難民たちが考えるからである。2番目の動機は少々複雑だ。これは,配給量が年齢を問わず同じだということに起因している。例えば,難民1人あたり米1kgの配給があったとしよう。つまり,幼児も大人も同じ量が配給されるのだ。ということは,乳幼児が多い世帯であればそれだけ米が余り,多く食べることができるし,余剰分を売ることで現金を手にすることも可能なのだ。これが,世界各地の難民たちが子どもを多く産もうとする動機になっている。
 年齢別に難民人口を管理し,配給量を決定する作業は確かに煩雑であろう。しかも,常に統計情報を更新しなければならなくなる。しかし,人口を適切なレベルに維持することは,キャンプを運営する上でも,また帰還後の本国への人口圧力などを考える上でも,真剣に考えるべき課題である。

危機管理としての難民キャンプ

 こうした難民キャンプの運営について,日本の保健医療が学んでおく必要が日に日に迫っているといえる。それは,日本の国際的な役割が増しているから,というような単純な理由からではない。
 朝鮮半島情勢がいま,きわめて不安定に推移していることは誰もが認めるところであろう。北朝鮮では飢餓が深刻化し,崩壊という劇的な事態に直面せずとも,同国から難民が発生するのは時間の問題と考えられている。米国のシンクタンク平和研究所は,北朝鮮難民の脱出ルートとして,(1)中国への越境,(2)韓国への南下,(3)船舶による日本への脱出。この3つの可能性を指摘している。そして,日本を除く周辺各国は準備を開始している。
 中国は北朝鮮との国境地帯に難民収容施設の建設を進めているという。収容所は延辺朝鮮族自治州などに数か所建設されており,収容能力は計5-10万人とのこと。韓国も,その具体的内容は明らかにされていないが,年内には難民収容施設を完成させる予定だと聞いた。
 難民キャンプの医療システムについて今回紹介したが,これはボランティアという甘い言葉が香る遠い世界の話ではない。それは,日本の保健医療にも求められている必須の危機管理体制なのである。

注)近年は,出産は女性の権利であるとの観点から,「家族計画」ではなく「リプロダクティブ・ヘルス」という概念が定着してきているが,ブータン難民キャンプではこのように表現されていた。