医学界新聞

 

東南アジア青年の船に参加して

喜多洋輔(三重大学医学部・3年)


はじめに

 私は昨(1998)年9月末から11月末の2か月間,総務庁が主催する「第25回東南アジア青年の船」(以下,東ア船)という事業に参加した。幸いにも大学の先生方の理解を得ることができ,学校を休むことができた。この事業は,東南アジア9か国(フィリピン,ブルネイ,インドネシア,シンガポール,マレーシア,ミャンマー,タイ,ラオス,ベトナム)の各国約30名ずつの青年と,オブザーバーとしてのカンボジア代表参加青年4人,そして日本代表参加青年32名の合計約330名の青年が2か月間弱,「にっぽん丸」(2万2000トン)という船で寝食をともにしながら,東京(日本)→マニラ(フィリピン)→ムアラ(ブルネイ)→ジャカルタ(インドネシア)→シンガポール(シンガポール)→ポートクラン(マレーシア)→バンコク(タイ)→ホーチミン(ベトナム)→東京(日本)という順に,7か国をまわり,ホームステイや施設見学,各国首相・大統領との接見,文化交換などのさまざまな行事を行ない相互理解を深め,友情を築こう,という事業である。

東ア船とは

 東ア船がうぶ声をあげたのは1974年。当時の田中角栄首相が1月にASEAN諸国を歴訪した際,タイやインドネシアで激しい「反日デモ」に出会ったのが契機となった。田中氏の「同じ釜の飯を食うことではじめて可能になる東南アジアの国々の若者との真の国際交流,相互理解,友情を」という考えをもとにした,「相互理解と友情の増進をはかりたい」という日本政府の提案で,ASEAN諸国との間に青年交流計画に関する共同宣言が出され,さっそく秋から実施に移された。
 25回を超えた東ア船は今までの参加者の総数がすでに5000人近くになっている。職業も研究者,大学教授,教師,学生,官僚,ビジネスマン,弁護士,ジャーナリスト,技術者,医師,会計士,芸術家,…と多種多様。参加時には18歳から30歳の枠がある年齢層も,OBでは50歳代にまで広がり,参加者が各国の政府や民間の企業,団体で,有力な幹部として働くまでに成長している。日本とASEANだけでなく,ASEAN内部の相互理解にも役立っていると思う。何より貴重なのは,各国の文化や宗教,生活様式の違いを知ったこと。この交流を深めていけば,独自の意見を持ちつつ,しかも異民族,国家間の理解不足,誤解を避けることができると思う。
 ASEANでは1人あたりのGDPの差異がシンガポールとカンボジアの間で130倍にもなるという。その点15か国での差異が4倍程度のEUとは違う。それにしてもGDPと人間の素朴さが反比例していると確信を持てるほど,ベトナムやカンボジアの青年と,タイやシンガポールなどの青年は違った。

船上での生活

 キャビンメート(各キャビン3人)がみんな異国の人たちというのは,実におもしろかった。私の場合はタイ人とラオス人だったが,各国の風俗,習慣,文化,教育の違いを語り合い,毎晩寝る時間が午前3時を過ぎないことはなかった。
 夜中のキャビンでタイ製の激辛トムヤンクンカップヌードルを食べながら,カンボジアからの参加青年のポルポト時代の話を聞いた時は,辛さも忘れた。彼の兄はポルポト政権下の強制労働で,過労のため病にかかり,食事や薬も与えられず死んでいったという。彼自身も別のところで収容されていたので,ポルポト政権が瓦解してからそのことを知ったということだ。映画「キリングフィールド」を思い出し,彼の話を聞きながら,思わず涙していた。
 そして夜の飲み会。みんなで無邪気に騒ぎ,国籍の違いなど吹っ飛んでしまった。その時間に,その人の職業,専攻,人生,趣味,将来の夢などを聞いたりもした。このことは,事業ではなかなか見えてこないその人の国での生活や価値観,哲学などを知るのに貢献した。

ハードなスケジュール

 航海中,船上ではフィルム,スライド,パンフレットなどを使って,各国の政治,経済,社会制度の現状と展望を紹介し合う。相互理解と友情を深めるための討論会も催される。レクリエーションでは,お国自慢の歌や踊りを披露し合い,その中で個人的な交際も深めていく。また,停泊中には各国の工場,農村,教育,福祉施設などを見学。ホームステイも行ない,庶民の生活や国づくりの現状を視察する。
 シンガポールで戦時中に日本軍に祖父を殺された家庭にホームステイすることがあり,戦争時の日本の侵略問題を考えるきっかけになったのは印象深い。フィリピンではステイ先の大学生とその地元の友人と飲み明かし,語り合い,意識をなくした。ブルネイでは,国王が国民に無料で開放し運営する遊園地に2日間も行ってジェットコースターに酔った。インドネシアのステイ先では勤務していた銀行が倒産したというお父さんと経済危機の深刻さを語り,インドネシア風楽観的生き方について教えてもらった。マフィアのボスのような外見で,実はやさしいマレーシアの「パパ」。そして日本の女子高生の援助交際について議論したマレーシアの「ママ」。社会人のための大学院にいって働きながらも懸命に夢の実現のために学ぶタイの「お姉さん」。たくさんの人にお世話になった。
 約350名という人が一度に出会って親交を深めるといった機会は日常生活ではまず考えられないことだ。そんな中で,生活習慣,文化,宗教,考え方や言葉が違うことに戸惑ったり,共同生活や団体行動にストレスを感じたり,スケジュールのハードさに精神的に体力的に疲労することもあった。2か月の長丁場の中で多かれ少なかれ「つらい」と感じた時もある。しかし,常に密接な人間関係の中にあって助けられたり助けたりして,人は支え合って生きているんだと実感した。そして,お互いを認め尊重する気風や絆が,最終的には船全体が1つの「家族」として連帯感を持つ源になっていったと思う。

医学生として

 私は,この事業に以前参加した女性の友人からこの事業を知った。人間大好き,何でも食べる,だれとでも話す,という積極的なこの女性は,国際交流とは結局は人と人との交流だと断言した。私は彼女の20代の青春記録,ともいうべき冒険譚に関心を持ち,ぜひいつか東ア船に参加したいと思っていた。
 医学生である私が,2か月も学校を休んで参加したかったのは,アセアン各国の医療従事者(医師,看護婦,公衆衛生専門家,医学生など)と友情を築き,将来そのネットワークを何らかの形でアジアひいては人類の健康増進のために活かせればと思ったからである。ここで意図している健康とは有名なWHO憲章の「健康とはただ疾病や傷害がないだけでなく,肉体的,精神的ならびに社会的に完全に快適な状態であること」というのを意識しており,それはたぶんに科学的,医学的な要素だけではなくて,紛争,貧困などの社会的,政治的,経済的なことも含んでいると思う。したがって研究室で顕微鏡を覗き,試験管を振る(もちろん必須ですが)だけでは世界の健康増進は達成されないのではないかと考えている。私は,東南アジア各国に築いた人的ネットワークを活かして,現在のAMDAのようなNGOとしての形も1つの理想として意識しながら,思考し行動していきたいと思う。そういうものを築き上げていくチャンス,出会いの場として東ア船をイメージしていた。
 船内には医学生や医師,看護婦,公衆衛生関係者,など各国から合計で1割(約30名)は来ていたので,ベトナムから日本までの比較的ひまな期間に医療関係者のミーティングをやり,交流を深めることができた。
 プログラム中は概して忙しく,個人レベルの交流はできたが,理想としていたようなこと,つまり保健医療関係者でグループを作って組織化し,討論し,最後に「東南アジア青年の船宣言~保健版~」を出そうと考えていた計画は挫折してしまった。ただ,これから個人的なネットワークを活かし,事後活動として活動していきたいと思う。私にとってはプログラムが終わったといえ,まだ出発点に立ったばかりなのだ。

“Think globally,Act locally”

 プログラム全体としては,表面的な公式行事の中には多少退屈するものもあったが,個人的な友情をこれだけ築けたことは大変満足している。東南アジアの多様性と共通点を肌で感じ,また,自分自身や日本をあらためて見直し,素晴らしい仲間と出会い,2か月間をともに過ごせたのは本当にいい経験だった。今後,医学・医療に限らず政治・経済,文化,科学技術,経済問題や環境など,さまざまな分野で問題が複雑化する中で,日本と東南アジア各国が協調し協力しあう関係を地域的な連帯感の中で構築することは,ますます重要視されてくると思う。私たちが築いた友情をこれからどういう形で活かしていくのかを考え,“Think globally,Act locally”といった,世界を視野に入れながらも,個人として自分のいる場所からどう行動していくかというのは,これからの私たちの課題だと思う。
 またこの事業を実りあるものにするには,この旅を,単に参加者の個人的な思い出や友情に終わらせることなく,日本とASEANの真の相互理解と前途への協力にまで高めなければなるまい。そのためには,ASEAN各国の国造りの根幹となる「人づくり」の必要を理解し,彼らの幅広い人間形成に貢献することが必要だろう。同時に,この交流の中から,ASEAN諸国の持つ,独特で豊かな文化や思想を学びとる謙虚さも忘れてはなるまい。
 問題は,中身を充実させればさせるほど,期間が長くなって,参加できる青年の層が限られてくることだ。結局,政府や県庁のお声がかりで派遣される公務員が多くなる傾向がある。広く各層の青年が参加しやすいように工夫したいところだ。
 同時に,企業,学校や地域社会は,こうした旅に出たいと考える青年たちを理解し,積極的に応援して送り出してほしいと思う。特に医学生としては私のように低学年でも難しいのが現状であろう。医学生だからといって世界観を広げる必要がないとはいえないと思う。まさに医学知識の増大によって,早くから忙しい生活を送る医学生は視野狭窄に陥りがちなのではないだろうか。早くからの膨大な医学知識の獲得も大切だが,人間として,社会人として,市民として幅広い一般教養とともに,こうした視野を広げる(あくまで主観の問題ですが)体験も重要だと思う。

おわりに

 参加青年はプログラム終了後,日本各地そして母国へ戻った。しかしお互いに「さようなら」を言うのは困難だった。本当に2度と会わないことも考えられる人々には「また会おう!」と言いたかった。その時私たちはどのくらい「友情」について知っていただろうか。笑い・悲しみを分かち合うこと,苦しみ・つらさを助け合うこと,興味・人生を語り合うこと……。本当に多くを学ぶことができた経験だった。
 関係者のみなさまに感謝いたします。ありがとうございました。
 この「東ア船」に参加したい方は,筆者のwebページ(http://www.246.ne.jp/~kita/)をご覧ください。