医学界新聞

 

連載 クリニカル・クラークシップ
-新しい医学教育への挑戦 第5回

学生は「大人の学習」ができるか


差が開いて当然のシステム

 「クリニカル・クラークシップと,かつて行なわれていたポリクリとはどこが違うのですか?」
 田中彰さん(東海大6年生)に取材をしていたら逆にこんな質問を受けた。東海大では田中さんが4年生の時にポリクリを廃止し,クリニカル・クラークシップ(以下,クラークシップ)を開始した。したがって,田中さんたちはポリクリとはどのようなものか知らない。
 「いわゆるポリクリは見学実習と小講義が主体。それに対してクラークシップでは,医学生が責任ある診療チームの一員となり,実際に患者さんを診療することを通して学ぶ。ここが決定的に違うのではないですか」
 田中さんは少し考えた後,こう答えた。 「必ずしもチームの一員になれるわけではありません。教育体制が変わったからといって,現場の先生はどの学生にも診療(その一部であっても)を任せるわけではないのです。積極的に質問する。紹介された論文をしっかり読む。いろいろな形で診療の中で学んでいきたいという意欲を見せなければ,いつまでもたってもチームの中へは入れない。ただのお客さんで終わってしまうのです」
 だから,「クラークシップとは学生のやる気の上に成り立つ教育システムであり,(学習の)差が開いて当然のシステムでもあります」と田中さんはクラークシップの厳しい一面を指摘する。
 なるほど,クラークシップでは受身の学習からの脱却が求められる。だが,初等教育の段階から「教えてもらう学習」(Passive Learning)に慣れきっている学生たちに,いきなり「大人の学習」(Adult Learning;能動的で,自立した学習)を求めるのは難しいのではないだろうか。

学生の一部は不安に

 「クラークシップでは落ちこぼれが出るのではないか」ある大学教員はその導入に慎重な姿勢を示す。「(クラークシップの導入の学年が)早ければいいというものではない。卒前ではまず,小グループ指導やベッドサイドラーニング(ポリクリ)で基本的な臨床技能を教えたほうがいい」
 東海大内科講師の阿部好文氏は,「それはそれで一理ある」と考える。見学主体であろうとベッドサイドで学生に教えることは大切なことだ。しかし,日本の大学では,学生の授業・実習への出席率はおしなべて悪い。普段は大学へ行かず,試験対策をするだけで進級していく学生も少なくない。
 「少なくともクラークシップで患者さんを担当させることにより,学生は毎朝必ず病棟に来るようになる。医療者をめざす者としての自覚を喚起するにはこれほどよいものはない」
 「また,誤解しないでいただきたいのは,クラークシップの最大の狙いとは,早くから手技を学ぶということではなく,まず,患者さんとしっかりコミュニケーションをとることができるようになること。それを通して自分から学習していく癖をつけていくことなのです」阿部氏はこう強調する。
 ただし,自然とそれができる学生ばかりではない。クラークシップ導入初年度,学内で開催された「学生の意見を聴く会」では,こんな意見が相次いだという。
 「何をどう勉強していったらいいのかわからない」
 「こんなことをしていて国家試験に受かるのだろうか」
 一部の学生たちが不安感をあらわにしたのだ。

先生たちの役割とは?

 「いきなり海に連れていかれて,釣り竿を持たされた。しかし,釣り方も何もわからず,ただ,ぼーと海を見ていた。こんな経験をした学生がいたのかもしれません」
 不安を持った学生たちをこのように喩える阿部氏は,「学生たちもちょっと情けなかったが,準備が十分でなかった教員たちにもかなりの当惑があったようだ」と当時を振り返る。
 「釣具だけ持たされてぼーっと見ているだけではおもしろいわけがありません。せめて餌のつけ方ぐらいは教え,いかにも学生の力で釣り上げたような経験を1回くらいはさせてあげることが必要です。そういう準備を教員の側がしていかなければなりません」
 東海大学では昨年からFD(Faculty Development)委員会を組織した。クラークシップが有効に機能するためには,「何をどう教えたらいいのか」教員側が問い直す必要があるからだ。学生が変わる前に,まず教える側が変わらなければならない。
 次回は,クラークシップ導入後の教員側の反応,改善への取り組みを紹介する予定である。