医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県県民健康センター常務理事・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第7回〕カンボジアのがん疼痛治療・緩和ケア対策見聞記(2)
カンボジアのがん医療の現状

現地での活動開始

 WHOの現地駐在ピーターセン代表とヴァンダーバーグ博士から,「カンボジア保健省がさまざまな施設への訪問を要請すると思うが,訪問先のすべてに新しい知識と技術を率直に伝えてほしい」と指示された。保安警備についてはWHOが配慮するので,WHO公用車以外は使用しないようにとの注意もあった。また,「時には理解を越えることにも遭遇するでしょう」との意味深長なヴァンダーバーグ博士の言葉で概況説明が終わった。
 私の仕事は保健次官への表敬訪問から始まった。保健次官は私と同年輩で,その時に「1970年代のポルポト時代の後に生き残っていた医療の専門家は,私を含め49名。そのため,教育を担当できる人材の不足が国の大きな問題。緩和ケアは大切な項目と理解しているので協力を要請した」とおっしゃった。
 後から聞いた話では,多くの現役知識人が家族をポルポト時代の虐殺によって失ったという辛い体験を持っており,予防医学局次長のPiseth女史は,一家の中で唯1人の生き残った方だと教えてくれた。このような話から,「ポルポト犯罪博物館」との名称で保存されている虐殺の現場となった,代表的な収容所跡を日曜日に訪問。そこでは悲惨さをつぶさに味わい,悲しみと怒りとをカンボジアの友人たちと分かち,犠牲者の冥福を祈った。
 保健省から示された私の主な行動予定は,(1)プノンペン市内の国立大学医学部,(2)国立医療技術学院看護学科,(3)5つの国立病院,(4)プノンペンから40-70km離れたカンポンチナン省と,かつて自衛隊が駐屯したことがあるタケオ省の2つの省の中央病院等の視察,そしてその後に,(5)2日間の国主催のワークショップを主導することであった。その折に,私の秘書係として保健省の非感染症対策課の課長補佐セン・ロターナ博士を紹介された。彼はいつも私のそばにいて世話をしてくれることになった。

がん医療の実情

 各地を訪問するにつれ,この国のがん医療の現況が判明してきた。主要病院での診療実績から,がんの増加は確実なものとして認識できたが,全国規模の統計資料は未整備であった。がんの外科治療は多くの病院で実施されており,肝・胆・膵の手術も行なわれていたが,カンボジア国内では放射線治療機器が1台も稼働しておらず,抗がん剤に至っては,ごく限られた種類と量が一部の病院で使えるにすぎなかった。
 がん患者の大多数が末期になってから発見されるという,発展途上国での現象がここカンボジアでも顕著であった。しかし,がん疼痛治療と緩和ケアとを認識している医師は2-3人にすぎず,私の訪問により初めて知ったという医師ばかりであった。それでも,世界の他の国々にはがん疼痛治療や緩和ケアという概念が確立しており,その実践が進んでいることを,一般国民の多くが衛星テレビを受信しているために,マスコミを通しての国際情報が入手できるというお国柄からか,情報としては知っていた。

国民のがんに対する姿勢

 カンボジアでは,進行がんであると病院の医師から知らされ,あるいは示唆されると,大多数の患者は死が近いと悟り退院を急ぐという。家庭に帰り,自分の地域の「クルウ・クメール」と呼ばれる無資格の民間療法士に民間療法を求め,病院に戻ることがないというのだ。都会から離れた村では,医師の診察を受ける機会もなく,死に至っているがん患者も多いと推測されていた。
 在宅患者への「訪問看護」という制度はなかったが,時として患者と家族がヘルスセンターの看護婦の訪問を私的に求めることがあるとの非公式な情報が寄せられていた。がんに対するこのような国民の姿勢の背景には,医療従事者にも行政担当者にもがん疼痛治療法と緩和ケアの概念や方法論を認識する機会がなかったこと,必要な薬が入手できないことなどの状況があった。

末期がん患者に対する医師の姿勢

 一部の医師は末期がん患者を診療したがらず,時には「診療を拒否することがある」と指導的立場の医師が話してくれた。病院には疼痛治療の知識や緩和ケアの知識と技術がなく,国の政策や指針がないことが原因だと彼は指摘する。患者が痛みをがまんして,訴えようとしないこと,加えて医療側に痛みとその治療法に対する関心が欠如していることの双方が,この状況を作りあげていた。
 カンボジアでのがん患者の痛みは,他の国と同様に,著しく強度で持続性であることを,私は現地の医療の現場で確認した。しかしながら,がん患者が痛みから解放されることは皆無に等しかった。がん疼痛治療と緩和ケアに関するWHOの戦略や方法論を,初めて耳にした医学および看護学の教育担当者も多かった。しかし彼らは,私の話を聞くうちに関心を示し,導入に意欲を示してくれるようになった。

この項つづく