医学界新聞

 

連載
アメリカ医療の光と影(6)

学習する患者たち(2)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


医師と患者の共同学習

 昨年,筆者は『インフォームド・コンセント』という小説を翻訳出版した(学会出版センター刊)。物語の前半では,大学病院に勤める内分泌科医師が,患者(医者嫌いの弁護士)の信頼を得るまでの苦労が描かれる。後半に入り,主治医を信頼するようになった患者が「自分の病気についてもっと知りたい」と頼み,主治医は患者を医学部図書館に連れて行き,2人で共同して文献を読み漁ることとなる。医師と患者が病気について共同学習するという設定が題名の「インフォームド・コンセント」という言葉に新鮮な意味を与えることになったのだが,それだけにとどまらず,医師と患者の共同学習という設定がこの小説の筋の中で大きな伏線を成しており,小説技法上のトリックとしても巧みに使われている。原著者ニール・ラヴィンによると,この小説はカナダのある医科大学で医師-患者関係の学習の教材に使われたとのことである。
 医師と患者が病気について共同学習するというこの小説の筋立ては,発表当時(1983年)新鮮な驚きをもって迎えられたものだが,今や,患者が自分の病気について情報収集をすることはごくありふれたこととなっている。患者が学習することについて「素人に何がわかる」と嫌う医師が多かったのは昔の話で,今は逆に,医師も患者が学習することを奨励している。医師が患者の学習に追いつくことができなければ,医師の方こそ患者から半可通扱いされる時代となったのである。

相次ぐ患者学習センターの設置

 学習を言葉で奨励するだけでなく,多くの病院で「患者学習センター」が作られ,患者が学習することを実質的に支援する体制が作られている。
 ボストンの大病院の中で初めて患者学習センターを院内に設置したのはベス・イスラエル・ディーコネス病院であり,1996年のことであった。その後,ダナ・ファーバー癌研究所にも同様のセンターが作られ,今年になって,マサチューセッツ総合病院(MGH)にも患者学習センターが開設された。
 どのセンターにも各臨床科の代表的な教科書・教育ビデオなどの他に,インターネットへのアクセス・文献検索が可能となるように数台のコンピュータが置かれている。また,司書や看護婦や元患者のボランティアなどがヘルパーとして常駐し,患者の情報検索を手伝っている。ちなみに,MGHの患者学習センターの責任者は,患者アドボカシー室室長のサリー・ミラー女史が兼任しており,患者学習センターの設立も患者アドボカシー活動の一環として位置づけられていると言えよう。
 患者学習センターは,患者が情報を収集するのを単に手伝うだけでなく,医師からの情報発信の場としても使われている。例えば,ベス・イスラエル・ディーコネス病院の場合,各種疾患についての教育用パンフレットの作成も行なわれ,これまで肝炎,乳癌,気管支喘息のパンフレットが作成されている。各疾患の診断・治療に関する最新の知識が簡単にまとめられているだけでなく,学習センターに置かれ利用可能な教科書・ビデオのリスト,さらに,インターネットの関連サイトもリストアップされている。

積極的な情報提供の背景

 患者が情報へアクセスすることがこれ程簡便となった時代に,医療側が「どうせわからないのだから余計な勉強などするな」という対応をするとすれば,それは時代錯誤以外の何物でもない。各種患者団体のホーム・ページ,国立衛生研究所・学会など公的機関による患者情報サイト,医療機関による患者情報サイト等,患者がインターネットで自分の病気について調べることはまったくありふれた光景となっている。
 既存の治療法に多くの望みが持てない癌患者の場合,進行中の臨床研究をインターネットで検索し,一番望みが持てそうな治験に被験者として志願するということも行なわれている。97年6月に,ナショナル・ライブラリー・オブ・メディスンが,メドライン(900万件の医学文献情報を有するデータベース)をインターネットで無料公開したが(http://www.ncbi.nlm.nih.gov
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),現在,1日当たりのアクセスは百万件を越えているという。また,患者からのリクエストに応じて,有料で医療情報の検索・ふるい分けをするビジネスも登場し,アーカンソー州に本拠を置く「ヘルス・リソース」社では,1件当たり350ドルで検索業務を請け負っている。
 患者が医療情報にアクセスすることを制限するなど不可能であり,逆に,医療サイドが積極的に患者への情報提供に協力しなければ患者に信用されないということで,あちこちの病院に患者学習センターが開設されるようになったのである。
 マネージド・ケアのもとで医療内容に保険会社が介入する時代となり,「主治医は本当に自分の最善の利益のために働いてくれているのか?保険会社のいいなりになってコストを抑えることばかり考えているのではないか?」と医師に対する不信感がとりわけ強くなっていることが,患者や家族が病気についての自己学習に力を入れる背景となっているのだが,医療不信の時代だからこそ,医療側が患者の情報収集に協力せざるを得なくなったと言えよう。
 そもそも,やましいことがない限り,患者が自分の病気について勉強することを医師が迷惑がる理由は何もないはずなのだから……。