医学界新聞

 

第28回北米神経科学会に参加して

鍋倉淳一(九州大学医学部・第2生理学講座)


 1998年11月1日に米国に向けて福岡を旅立った。同年10月下旬から福岡-米国西海岸(ポートランド)直行便が就航したため,出発時刻2時間前に家を出ればよく,しかも夜行便のためひと眠りすればポートランドに着き,昨年までと比べ非常に楽であった。

ポートランドからロサンゼルスへ

 学会の前に,Oregon Health Science UniversityのAndressen博士との共同研究のためポートランドに4日間滞在した。プロジェクトは循環中枢,特に心房内圧受容器からの情報の延髄孤束核への上行性入力様式をin vivoin vitroにおいて解明しようとするものである。研究内容に関しては別の機会があれば紹介させてもらうことにする。
 ポートランドは緑の町であり,川の両側に森があり,その中に街が広がっている。さらに紅葉がみごとな時期と一致し,自然と一体となって人の生活が悠然と送られている。まさに,人間は自然の一部であることが実感される。
 ポートランドに数日滞在した後,今年の第28回北米神経科学会の開催地であるロサンゼルスに空路で向かった。ポートランドを飛び立ち眼下に一面の森の緑,遠くに白い雪帽子を被ったロッキー山脈を見ながら南下すること1時間,赤茶けた地面がところどころに見え始めた。次第に緑の割合が減少し,遂には赤茶一面になってしまった。しばらくすると突然赤茶けた地面にパッチ状の緑が現われ,その中に家らしき集団が整然と並んでいる。さらにひと山越えると突然大都市が現われてきた。まさに砂漠と海に囲まれた人工の都市,言い換えれば自然の中に割って入った人工産物という感を受ける。この点でポートランドとの対比はおもしろい。ロサンゼルスではリトル東京の治安悪化のため,近年新しい日本人街になっている郊外のGardena地区に滞在した。道の広いことと車が右側を走っていることを除けば,この地域はまるで日本のどこかの都市の郊外である。

学会会場事情

 会場のコンベンションセンターは近年再建されたばかりで,内部は広く非常に快適であった。しかし,ダウンタウンの少々危険な地域にあるため「ちょっと気分転換に辺りを散策」というわけにもいかず,おかげで期間中朝から夕方まで会場の内を走りまわる羽目になった。昼食もまた例年通りレストランが会場内および付近にほとんどなく,朝起きてサンドウィッチを作り昼休みにフロアに座り込んで食べる毎日であった。「今回は余裕をもって参加したい」という出発前に抱いた希望は今年もはかなく消えてしまった。この5年ほど毎年この学会に参加しているが,あいかわらず体力を消耗する学会である。
 学会期間(1998年11月7-12日)のうち,初日はワークショップと参加登録にあてられているため実際は5日間である。参加人数3万人以上,演題数1万数千,セッション数865,口演会場18,ポスターは1日2交代制で計1万題余り。広い会場内を行き来するため,学会前にウォーキングシューズを履き慣らしておく必要がある。目的および計画を立てずに参加するとパニックである。あまりの人の多さおよび人口密度の高さのため,同行した大学院生数人が学会場内でダウンしてしまった。

学会で得たこと

 私は学会における目的を,参加する前にいくつか設定することにしている。(1)現在進行形の研究の発展,(2)共同研究の確立を視野に入れた特定の研究者との話し合い,(3)新たな分野の勉強,(4)新たなプロジェクトの発掘,(5)利用可能な新しい技術の導入の検討。北米神経科学会では,(1)はもちろんだが,(4)と(5)に重きを置いて例年参加している。この学会においては,いわゆる「大御所」のレクチャーは彼等が書く本や雑誌を読む機会のために聞かずに取っておくことにしている。
 私たちの研究グループの現在進行中の主なテーマは,「中枢神経系機能の発達変化に対する内的外的環境の影響と機能再建を視野に入れた傷害後における神経細胞の興奮性の変化の検討」である。具体的には,(1)発達および神経傷害時におけるグルタミン酸受容体および抑制性アミノ酸受容体応答の変化に対する神経回路活動の役割,(2)発達および傷害後に起こる過剰シナプス連絡の形成および脱落のメカニズムの検討,を行なっている。今回は,これらについて4題の発表をさせていただいた。聴覚系経路をモデルに用いて,ガンマアミノ酪酸(GABA)やグリシンの作用が,発達に伴い興奮性から抑制性に変化するメカニズムについて,細胞内クロールイオン調節機構の機能的変化という観点からの発表に対し,多くの研究者とディスカッションすることができた。その結果,近年クローニングされた2種類のクロールイオントランスポーターの発現変化という“物的”変化とわれわれの有するグラミシジン穿孔パッチ法を利用した“機能”の発達変化を対応させるため,カリフォルニア大学のPayne博士,ヘルシンキ大学のKaila博士,およびニューヨーク大学のSanes博士とわれわれ主導型のプロジェクトを組めたことが,今回の学会における大きな収穫の1つであった。
 また,生体内において傷害を受けた神経細胞内クロールイオン濃度は上昇し,抑制性伝達物質が興奮性として作用することも今回報告した。これに対する細胞メカニズムの解明に関する共同研究のグループ作りも行なうことができ,日本に帰ったら非常に忙しくなることを覚悟した。細胞内クロールイオン濃度は細胞のおかれている種々の環境によって簡単に変化する。そのため,代表的抑制性伝達物質と考えられているGABAやグリシンの作用は生体内では細胞の状況によって案外簡単に抑制性と興奮性の間をスイッチしているようである。
 一方,しばらく中断していたステロイドホルモンの中枢作用,特に神経細胞の興奮性に対する長期および短期的作用についてのプロジェクトを立ち上げるため,今回の学会の目的の1つに中枢神経細胞の興奮性に対するステロイドの作用についての発表をカバーすることがあった。性ステロイドが関連する男女差や環境ホルモン,傷害時に大量投与する副腎皮質ステロイドの中枢作用など面白いテーマであるが,この分野の報告はあまり多くなく,かなりの発表を網羅することができた。核受容体に関する研究の飛躍的進歩に対し,幸か不幸かステロイドの神経細胞の興奮性に対する研究は,この10年あまり大きな飛躍は見られていないようであり,少々ホッとする一方,がっかりしたのも事実である。

最新の情報

 あらかじめ下調べをした発表を見た後,ポスター会場を歩き回る時が一番ワクワクする。あまり人の群がっていない発表をat a glanceしてまわる。時々Preliminaryであるが非常に興味深いものが見受けられる。内容が正しいか否かは別として,どの雑誌にも掲載されないようなものが堂々と発表されているのもこの学会の特徴の1つである。その中におもしろいものを見つけたときはエキサイティングである。
 神経科学の分野においては最も規模が大きくまた最新の情報が集まる学会なので,さぞや神経科学の現在および近未来の方向性がわかるであろうと予想する方もあろうが,あに図らんや,手法や分野があまりにも多岐にわたりすぎて私のような流行に鈍感な人間には動向はさっぱりわからない。しかし,10年前私が初めて北米神経科学会に参加した時の頭を殴られたようなショックは最近感じられない。私の感受性が鈍くなっているのではなく,日本の研究事情や学会における発表内容がこちらと大差なくなっているのであろう。分野によっては日本のほうが先を行っていることも実感される。しかし,多くの分野において日本がリーダーシップをとれるかどうかはこの数年間のわれわれのような若手(?)の努力次第であることは間違いなさそうである。

分子と機能

 “物”としての分子の探究,その機能の評価法としてのノックアウト動物を用いた行動,画像解析および電気生理が相変わらず盛んであり,中には,あまりにも見事にそれぞれの結果が一致しており眉に唾をつけたくなるような発表も見受けられた。一方,in vivo,特に神経機能のシステム的理解において現在何が注目されているのか,残念ながら勉強不足のため私にはわからなかったが,ここ数年in vivoを用いた発表の数の増加も著しい。分子的探索が急成長しつつあった90年代初め,私が留学していたセントルイスにあるワシントン大学の神経科学プログラムのChairmanがCowan-Fischbachという分子的探究を中心としていた研究者たちからシステム的研究のvan Essenになり,生物学の最終目的は生体における現象の解明であることを再認識したことを思い出した。以前は生命現象の解明および説明のための“物の探究”であったと思われるが,この10年は受容体,伝達物質や構成物質などの“物の発見(関連する生命現象の発見)”という「分子」主導型研究であった。しかし,ここ2-3年この学会を見回していると,年々「機能」主導型の発表の数がようやく増加しつつある感触を受ける。
 もはや神経生物学においても生理,生化,解剖などという垣根はなくなっていることは事実であり,実際私たちもクローニングこそはしないものの各方面の分野の研究者に共同研究をお願いしている。しかし,臨床医学および生理学にアーリーエクスポーズしたものとしては,最終目標は生体における新しい生命現象を見つけることであることを再認識させられた学会であった。

おわりに

 最後に,今回の学会参加に際し多大な援助および学会感想記を書く機会を与えて頂いた金原一郎記念医学医療振興財団に,紙面を借りてお礼申し上げます。