医学界新聞

 

連載
アメリカ医療の光と影(3)

患者アドボケイト(3)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


権力濫用を防ぐシステム

 Checks and balances(権力の抑制と均衡)はアメリカ社会の根幹を成す大きな原則の1つである。特定の個人・機関に権力が集中し濫用される危険を防ぐための仕組みが社会の諸相に制度として張り巡らされている。権力を握る立場にある人間が常に人格高潔であるとは限らず,権力を握ればそれを濫用したくなるのが凡人の常である。ならば,権力の濫用は制度によってこれを防がなければならないという考え方である。このことは医療においても例外ではなく,病を得てただでさえ弱い立場にある患者に対して,医療者がその権力を濫用することを防ぐシステムが取り入れられている。
 医療者のほとんどは患者の最善の利益のためにその職業倫理に忠実たらんと不断の努力をしている。しかし,いかに例外的とはいえ,水準に満たない医療を施して恥じない医療者,患者に対してハラスメントを行なうような心ない医療者が存在することは否定し得ない。このような医療者に遭遇するという不幸な目にあった患者が泣き寝入りせずにすむように,アメリカでは医療者による権力濫用を防ぐシステムが行政制度として確立されている。悪質な医療から患者を守る「患者アドボケイト」としての役割が行政に担わされているのである。

ボードの活動

 医師免許は州ごとに管轄されており,各州の「ボード」(委員会)が医師免許とともに,問題ある医療行為を行なった医師に対する調査・処分をも管轄する。州により制度の違いはあるが,以下,ニューヨーク(NY)州を例に取り,ボードの活動の実際を紹介する。
 NY州では6万人強の医師に免許を発行しているが,毎年5千件前後の苦情がボードに寄せられる。半数以上が患者や家族からの直接の苦情であるが,医師は同僚の「問題」行為を州に報告する義務を科されており,問題行為を見て見ぬふりをすること自体が処分の対象となる。また,医療機関が内部処置として医師に処分を行なった場合もボードに報告することが義務づけられている。
 92年から96年までボードに寄せられた苦情件数には大きな増減がなかったのにもかかわらず,医師に対して処分が行なわれる件数は年々増加している(92年;124件,96年;311件)。特に,免許剥奪・返上という重い処分は3倍以上に増えている(92年;59件,96年;184件)。96年の数字でいえば,NY州では300人に1人の医師が処分を受け,処分を受けた医師のうち2人に1人が免許剥奪・返上という重い処分を受けている勘定である。92年から96年の4年の間に悪質な医療行為の数が3倍に増えたとは考えにくく,処分の基準が医師に対し厳しくなっている傾向が伺える。ちなみに,ボード構成委員の大部分が医師であり(96年の数字で229人中180人),問題行動を行なう悪質な同業者を排除しようという医師たちによる自浄努力が強まっているといえるだろう。また,処分結果は公の情報として公開されることが定められており,NY州医療局のホームページには毎月の処分結果が医師の実名入りで公開されている。

処分された医師

 どのような医師・医療行為が不適切・悪質として処分の対象となるのか,以下にNY州のボードが例示している実例を示す。
◆診断・治療の誤りを繰り返し,その能力に問題のある医師
◆処方量を誤ったり,副作用の危険を予測しなかったりなどの注意義務違反
◆患者に対し性的に不埒な行為に及ぶなど道徳性に問題のある医師
◆虚偽の診断書を作成し犯罪に加担する
◆アルコール・薬剤などの影響下に医療行為を行なう
◆緊急の処置を要する患者を放置する
◆患者の弱みにつけ込んで,治療サービス・器具・薬剤などを売りつける
◆人種・宗教などを理由にした診療拒否
◆絶対に治すと保証する
◆患者の同意を得ていない医療行為を行なう
◆患者に対する意図的ないじめや嫌がらせ
◆患者や他の医師からカルテ・X線写真などの貸与を求められた時に拒否する
◆有資格者に限定されている医療行為を無資格者に行なわせる
◆停止中,あるいは無効の免許で医療行為を行なう
◆患者の情報を許可なく外部に漏らす
◆患者の病態を正確に反映する記録を残していない
 ちなみに,患者に対する医師のマナーが悪いこと自体は,ボードによる処分の対象とはされていない。しかし,患者とのコミュニケーションに問題があることは,より深刻な問題へと発展する危険があると,NY州のボードは厳しく警告している。敬意と思いやりを持った態度で患者に接し,説明には十分に時間をかけることが何よりも大事だと,きわめて当たり前のことを強調しているのである。

この項つづく