医学界新聞

〈連載〉

国際保健
-新しいパラダイムがはじまる-

高山義浩 国際保健研究会代表/山口大学医学部3年


〔第8回〕東南アジアに蔓延するエイズ

 タイにおけるエイズの蔓延は深刻である。タイでは,当初,薬物使用者を中心に流行していたが,やがてその性交相手,売春婦(夫)に感染し,さらにその顧客,顧客の相手へと広がっていった。そして,現在,タイのHIV感染者数は報告されているだけでも約6万人にまで急増してしまった。これは世界6番目のHIV流行国ということになる。
 今回は,タイでのエイズ問題に関わる2つのエピソードを紹介してみようと思う。1つは,HIV流行の重要なファクターとされている売春婦について。そしてもう1つは,エイズ末期患者の介護に専念しているある寺院についてである。
 残念ながら,僕はタイのエイズ問題について,何ら結論めいたことを言える知識も経験もない。ただ,僕がわずかに経験した2つのエピソードを通じて,読者とともにこの問題について具体的なイメージが深められたらと考えている

春をひさぐ少女たち

 東南アジアを十数回も訪れていると,さまざまな友人ができる。バンコクの歓楽街で踊り子をしているトゥという少女もその1人だった(断りを入れる必要はないとは思うが,僕は決して買売春に関わって彼女と出会ったわけではない)。トゥやその仕事仲間たちとの出会いは,僕にとって,売春という現実の厳しさ,またエイズという問題が一筋縄ではいかない難しさを教えてくれるものだった。
 まず,彼女たちの労働環境はきわめて劣悪だった。タイでは,そもそも売春が非合法なので,労働規準と呼べるようなものがない。窓のない不衛生な待合室で煙草を吸いながら客を待ち続けるか,さもなくば客がいる限り何時間でも,何人でも相手をし続けなければならない。客がつきにくい少女は,女性器から剃刀を取り出したり,蝋を垂らしたり,吹き矢で風船を割って見せたり,そんなキワ物の芸を毎日舞台で演じ続ける。休日は,月に3日程度。つまり生理の期間だけまとめて休みを取り,あとは働き続ける。ピルの常用を強要され,何か月も休みなく働き続けている少女もいた。
 タイ東北部の農村から,小学校を出ると同時に連れてこられた彼女たちにとって,この生活がすべてである。教育のない彼女たちに,それ以外の生きる選択肢をイメージすることは難しく,現実もそれを許そうとはしないのだ。
 そんな彼女たちにとって,エイズという問題は些細なことである。そんな目に見えぬ問題よりも,もっと多くの苦しみがすでに直接のしかかっているからだ。彼女たちに,「あなたたちの健康のために,コンドームを使用しましょう」と,エイズ教育を試みるのは確かに滑稽なことかもしれない。「私たちが毎日どんな生活をしているのか,知ってて言ってるんでしょうね? お客の健康のためにって,素直に言ったらどう?」こう切り返されて終わりである。
 彼女たちへの定期的なHIV検査は奨励されるべきことである。ただし,彼女たちにとって,陰性証明書は「来月も仕事を続けていいですよ」という売春許可証でしかない。あるいは,経営者にとっての“優良”売春業者証明である。HIV検査には,現実を踏まえた上での健康教育と陽性だった場合のきちんとしたサポート体制が伴わなければならない。そうでなければ,このシステムは保健医療への信頼を損なわせるものとなるだろう。

功徳を積んだ果ての感染

 「こんな生活をしている君にとって,一番不安なことは何なの?」
 こうトゥに聞いたことがある。仏教への信仰心の厚い彼女の答えは,安易に聞いた僕に衝撃を与えた。それは,「不浄な女として地獄に落ちること」というものだった。彼女たちが,なぜ足しげく寺に通い親への仕送り後のわずかな生活費を割いてまでお布施をしているのか,その時ようやく理解できた。生きるか死ぬか,それよりももっと大きな不安が彼女たちにはあったのだ。
 ある日,トゥの仕事仲間が,僕に自慢げにこう言ったことがある。
「ボランティアをしてきたのよ」
「へー,どこで?」
「老人ホームよ。慰問に行ったの」
「ああ,そうなんだ。おじいちゃんたち喜んでたろ。よいことをしたね」
「ええ,みんな私たちのストリップを見て大喜びよ」
「……」
 功徳を積んだと喜ぶ彼女たちの笑顔を見ながら僕は,彼女たちが天国に行けないのなら,天国とはよほど人影もなく寂れたところに違いないと思った。
 そして2年前,トゥはHIVに感染して,バンコクから姿を消した。友だちは村に帰ったか,どこかの寺院に入ったのだろうと言っていた。彼女は16歳だった。

エイズホスピスで働いて

 タイでは,家族のケアが何らかの理由で難しくなった高齢者や末期患者を,寺院がひきとってターミナルケアを施すという伝統がある。近代化と西洋医療の充実に伴なって,しだいにその役割も希薄となりつつあるが,それでもタイの人々の生活に寺院が深く関わっていることに変わりはない。
 バンコクの北,約100キロに位置するロッブリーという街に,パバナプ寺というタイでは有名な寺院がある。ここは,エイズ患者専門のホスピスを運営しているのだという。この噂を耳にした僕は,昨年の夏,国際保健研究会の仲間たちとともにこのパバナプ寺を訪れた。
 このパバナプ寺の規模は意外に大きく,僧侶や看護婦など約40名のスタッフによって運営されていた。とはいえ,境内に暮らす200名以上の患者を前にしては,本当に人手が足りないようだった。僕たちが「働かせていただけませんか?」と申込むと,すぐに寝る場所を提供してくださり,「明日からどうぞ」と言う。翌朝,ホスピス棟へ向かうと,さっそく入口そばの患者が虫の息だった。昨晩,スタッフの僧侶が「ディス イズ ナンバー1 ペイシェント」と彼を指して言っていたが,ナンバー1の意味がその時になってわかった。
 ボーッと死に逝く人を眺めていると,看護婦がやってきて手拭とバケツ,そしてベビーパウダーを僕に渡して,「その一帯の患者を拭いてやんなさい」と指示してくれた。清拭は初めてだったが,看護婦が最初の患者でていねいに教えてくれたので,すぐに要領を得た。要は,服を脱がし,拭けばよい。患者によっては痛いところがあるらしいが,顔色を見ていればそれとわかった。まわりの患者が教えてくれることもあった。もっとも,ベビーパウダーは最後までへたくそだった。決まって患者を粉まみれにしてしまったのである。それでも,ありがたいことに,当の患者もまわりの患者も意に介さず,僕が四苦八苦しているさまをニコニコ見守ってくれていた。
 左目が潰れている患者がいた。目やにがたまって腫瘍のようであった。そこで僕は水で柔らかくしながら,その目やにを取ることにした。すると,別の患者がやって来て,「やめとけ」と言ったが,左目の潰れたその患者はかすかな声で「続けてくれ」と言う。元来,こうした偏執的な作業を僕は好むので,無心になって取り続けた。最後の一片がポロリと取れて,驚いたことに,その奥から澄んだ瞳がパッチリ開き,そこに覗き込んでいる僕の顔が映っていた。
 清拭を5,6人こなしただろうか,疲れて椅子に座り込んでいると,入口そばの患者が亡くなったようだ。同行していた仲間が,看護婦の指示のもと遺体を抱えて通り過ぎ,棺桶に放り込んでいた。

安らぎのうちに迎える最期

 ところで,僕たちは活動前に何の注意事項も受けなかった。また,ミーティングなどもなく,僕たちはやりたいようにやっていた。
 実は,このことは僧侶や看護婦たちも似たり寄ったりで,パバナプ寺のホスピス運営はアジア的混沌そのままに,なんとも雑然と進められているようだった。だから,日本の病院を見慣れた医学生がいきなりパバナプ寺を訪れると,あまりの大雑把な患者の扱いに憤慨するかもしれない。しかし,ここで最期を迎えようとしている患者たちの安らいだ顔は,その非難が必ずしも当たらないことを教えてくれる。
 ここの責任者であるアランコット師は,「安らぎのうちに死を迎えさせる,これが一番大切なのです」と語っていた。そして,「安らぎ」とは完全な医療でも看護によるものでもなく,とにかく傍らにいてあげることが大切なのだという。口のきける患者には耳を傾け,口がきけなくなっても耳の聞こえる患者には語りかけ,口も耳も目も駄目になってしまった患者でも,とにかく体に触れてそばにいることを伝えつづける。つまり,ミーティングの時間をも惜しんで,患者のそばに居続ける。これがタイ流のターミナルケアだったのである。