医学界新聞

連載
経済学で医療を診る

-医療従事者のための経済学

中田善規 (帝京大学医学部附属市原病院麻酔科講師)


第3章 需要と弾力性
 -患者はどうして医療機関にかかるのか?

患者の来る理由

 病院・診療所には患者がやってきますが,そもそもどうして患者は病院・診療所に来るのでしょうか。すなわち,なぜ医療サービスを購入しようとするのでしょうか。こういうことを言うと,「患者は病気になったから,怪我をしたから病院・診療所に来るに決まっている」と言われそうです。しかし本当にそうなのでしょうか。最近,保険医療費の本人負担分が従来の1割から2割へと値上げされました。この影響で患者の来院数はどう変化したのでしょうか。今回はこの値上げを考えながら,医療機関にかかる患者の行動を分析してみます。
 上の問題を考えると,大きく分けて次の2つの考え方があります。
(仮説1)「患者は病気になったから,怪我をしたから病院・診療所に来る」
 逆に病気や怪我をしない限りは来ない。この考えは常識的にもっとも受け入れやすいものです。このとき医療サービスの価格は需要される量に関係ありません。
(仮説2)「患者はその価格で医療サービスを買いたいから病院・診療所に来る」
 この考え方では医療を需要する条件(病気・怪我)に加えて,医療サービスの価格が重要な要因になってきます。
 この2つの考え方のどちらが現実に近いのでしょうか?ここで今回初めて「需要の弾力性」という新しい概念を導入します。

需要関数

 医療サービスのみならず,一般に経済学では財(経済学ではモノのことをこう呼びます)・サービスXが需要される量はいろいろな要因(独立変数)によって決定されます。そのいろいろな要因とは,
  (1)その財・サービスの価格(Px
  (2)その個人の所得(Y)
  (3)他の財・サービスの価格(Po
  (4)その個人の嗜好その他(E)
です。個人によって需要される量(QDx)はこれらの関数として表現されます。すなわち数学的には,
  QDx=f(Px,Y,Po,E)
と表現されます。この4つの変数のうちY,Po,Eを一定としてQDxとPxの関係を価格を縦軸,量を横軸にとったグラフに描くと,一般に右下がりの曲線になります(需要の法則)。前回出てきた市場の需要曲線は,これらの個人の需要曲線を横軸方向に加算したものとなります。

需要の弾力性

 経済学では,上の需要関数が各変数に対してどのように反応するかを分析することがよく行なわれます。例えば医療サービスの価格が上がれば,医療サービスの需要される量はどのくらい減少するのかといったことが問題になります。それぞれの要因の変化に対するこの反応性を表現するのに“弾力性”という概念を用います。
 弾力性とは「ある独立変数が1%変化した時に需要される量が何%変化するか」で定義されます。例えば需要の価格弾力性Epは次のように定義されます。
  Ep=(需要される量の%変化)÷(価格の%変化)
この時,価格以外の独立変数(Y,Po,E)は一定とされています。ここでは簡単にするため需要の価格弾力性をその絶対値で表現します。例えば価格が10%上昇した時に需要される量が20%減少したとすれば,この時の需要の価格弾力性(の絶対値)Epは,
  Ep=20÷10=2
となります。
 この弾力性の概念を用いると財・サービスのさまざまな性質が明らかになります。

弾力性の応用

 さてこの需要の価格弾力性の大小で財・サービスを分類してみましょう。

1)「需要の価格弾力性が0(ゼロ)」の場合
 これは上の医療サービスについての(仮説1)の場合に相当します。この場合,価格が変化しても需要される量は変化しないことになります。すなわち需要される量は価格と独立に決定されるので,価格を縦軸,量を横軸にとったグラフに描くと需要曲線は垂直になります(図1)。

2)「需要の価格弾力性の絶対値が0から1」の場合
 これは需要の価格弾力性が比較的小さい場合を示します。すなわち,価格が変化しても需要される量があまり変化しない場合です。例えば価格が2倍になっても,需要される量は半分にまでは減少しません。こうした財・サービスの例として食料品などがあり,これらは「必需品」と呼ばれます。価格が上昇しても買わざるを得ないものです。この時の需要曲線は図1と同じ目盛で価格を縦軸,量を横軸にとったグラフに描くと比較的垂直に近い右下がりとなります(図2)。

3)「需要の価格弾力性の絶対値が1以上」の場合
 これは需要の価格弾力性が比較的大きい場合を示します。すなわち,価格が少し変化しても需要される量が大きく変化する場合です。例えば価格が2倍になっても,需要される量は半分以下に減少します。こうした財・サービスの例として宝石・ゴルフ用品などがあり,価格が上昇すれば買わずにすませることのできるものです。この時の需要曲線は図1と同じ目盛で価格を縦軸,量を横軸にとったグラフに描くと比較的水平に近い右下がりとなります(図3)。

医療サービスの価格弾力性

 さて,話を医療サービスに戻しましょう。医療サービスは上の3つのどれに相当するのでしょうか。結論からいうと医療サービスは,「価格が上がれば需要される医療サービスの量は減少するが,その減り方は小さい」ことがアメリカなどでの実証研究から明らかにされています。この時,需要曲線は垂直ではありませんが,図2のように比較的垂直に近いものになります。直感的にいうと,医療サービスの価格が上昇すれば,風邪などの軽症の病気では病院にかからなくなりますが,重症の病気になれば価格に関係なく医療サービスを需要せざるを得ないということです。したがって上の(仮説1)は誤りであるといえます。すなわち病気になれば価格に関係なく医療サービスを購入するというのではありません。
 これはどういう意味を持つのでしょうか。最近実施された医療費自己負担の増額を例にとって考えてみましょう。保険医療費の本人負担分が従来の1割から2割へと値上げされました。しかし診療保険点数制度には大きな変更はありませんでした。この時医療サービスを提供する側(病院・診療所)と医療サービスを受ける側(患者・家族)はこの政策に対して反対の声を上げるべきだったのでしょうか。
 話を簡単にするために,患者の支払う医療サービスの価格がすべて2倍になったと仮定します(モデル化)。価格がp1からp2になった時,もし図1のように需要曲線が垂直であれば需要される量はq1のまま変化しません。医療サービスを提供する側は需要される医療サービスの量に従って収入を得ているので(診療保険点数制度),医療サービスを提供する側の収入には変化が起こりません。つまり図1の場合には医療サービス提供者は反対する理由がありません。しかし図2や図3の場合には医療費自己負担の増額で需要される医療サービス量が減少し,それとともに医療サービス提供者の収入も減少します。現実には図2のように需要曲線が右下がりであるので,医療サービス提供者は自分の収入を減らさないためには医療費自己負担の増額に反対するべきです。
 さて患者側はどうすべきでしょうか。もし需要曲線が図3のようになっていたとすると,価格が2倍になっても需要する量をq1からq3まで大きく減らすことになります。患者の自己負担総額は医療サービスの価格と需要される医療サービス量の積となるので,図では四角形の面積として表わされます。この場合,患者の自己負担総額は図3の四角形Oq1Ap1からOq3Dp2へと変化し結果的に減少します。こうなれば,患者側は値上げによって医療費自己負担総額を減少させることになります。しかし,図2の場合には価格が2倍になっても,需要する量はq1からq2までわずかしか減少させることができません。その結果,患者の自己負担総額は図2の四角形Oq1Ap1からOq2Cp2へと変化し結果的に増加します。おそらくこうした事情をふまえると,医療費の自己負担総額を増やさないためには,医療サービスを受ける側(患者・家族)も自己負担値上げに反対するべきとなります。

まとめ

 今回は需要と弾力性について考察しました。価格と需要の関係は一見簡単そうに見えますが,現実はそうではありません。上に述べましたように需要とはさまざまな変数によって決定される関数です。価格と需要の関係を取り出すには価格以外の変数を一定にしなければなりませんが,これが実際にはとても難しいのです。上の医療費本人負担値上げの考察ではモデル化の過程でこうした困難をすべて省略しました。
 次回は供給について考えたいと思います。