医学界新聞

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県県民健康センター常務理事・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第4回〕がん・痛み・モルヒネ(4)
WHO協議会初日

WHOがん疼痛救済プログラム

 1982年10月14日午前9時。イタリア・エルバ村のホテルにおいて,3日間の予定でWHO協議会(WHO Consultation)が始まった。会議への出席者は自国を代表するのではなく,1専門家としての立場から意見を求められる会議であった。
 会議では,WHO本部のがん部門の責任者,スウェーデン出身のJan Stjernsward博士が開会を宣言した。出席者紹介ののち,議長にSwerdlow教授,副議長にVentafridda教授を選出した。Stjernsward博士は,WHOがん疼痛救済プログラムの背景を次のように述べた。すなわち,「世界全体では2千万人以上のがん患者が苦しんでおり,毎年6百万人ががんと診断されている。がんは発展途上国においても大きな問題となっている。WHOは1981年から82年にかけてがんに関するプログラムの改訂作業を行ない,がんの予防の推進,早期発見法の改善,不治となったがん患者への痛み治療の提供,の3点を主要課題とした。この中で痛み治療の提供は特に緊急を要する新しい課題であるために,WHOはがん疼痛救済プログラムをスタートする」。
 またこの協議会の目的について,「(1)がん疼痛治療の実地的なガイドラインの草案を作ること,(2)WHO加盟国のがん疼痛と治療の現状を検討すること,(3)ガイドラインの試行方法案を提案すること,(4)ガイドラインの完成に向けての阻害因子を同定することを任務とし,プログラムの目標は今世紀中に世界の全がん患者の痛みからの解放」と述べた。
 次いでBonica教授が,がん疼痛についての総論と治療についての世界の現状を示し,「その改善が可能である」との見解を述べた。医療資源の豊富な先進工業国においても痛みに適切な治療対応を受けていないがん患者は著しく多く,がん発生も増加し始めている発展途上国では,初診時にがん患者のほとんどが末期に至っているのに,痛み治療さえ受けていない。痛み治療を阻害している主な因子は,医学部のカリキュラムにがん疼痛治療が含まれていないことと精神的依存への強い恐怖心の存在であると,Bonica教授は解説した。そして,医師は鎮痛薬処方を不適切量にとどめ,看護婦は薬の投与回数を減らしていることも強調した。
 痛みについての疫学的調査報告は少ないが,信頼できる調査報告があってこそWHOが動き出せたのだと改めて認識した。Bonica教授は,私にがん患者の全経過の記録を調べてみるよう勧めた。埼玉県立がんセンターの一定期間の死亡退院がん患者200名分の全経過を病歴における医師と看護婦による記録から調べてみると,90%以上がいずれかの時期に痛みを訴えたと記録されていた。術後痛を含めると,すべての患者のカルテに痛みの訴えが記録されており,その記録の多くは実は看護婦によるものであったのである。

ガイドラインは薬を中心に

 ガイドラインは,鎮痛薬に主眼をおいて作成することで意見の一致をみたが,その時,隣りに座ったインドのDesai博士と私とは顔を見合わせた。東半球からの出席者はDesai博士と私の2人だけであり,しかも2人とも外科系の医師であったからである。
 「私たちが外科系の医師で,鎮痛薬治療法の専門家ではないのはご承知の通り。どうして私たちが招集されたのか」と私が発言した。するとSwerdlow座長は,「薬についての専門分野からの意見への批判もWHOは必要としている。薬に主体を置く会議となるが,薬以外の治療法を軽視するする会議ではない」と対応された。私たちは薬の専門家を批判する立場なのかとDesai博士と再び顔を見合わせた。
 患者がどこにいても使え,各診療科の医師が処方でき,その上に当時の日本の医師には想像できないくらい高率に有効であり,費用も少なくてすむことなどが薬の長所であり,しかも限られた種類の薬で十分であった。痛みの訴えへの最初の対応法である鎮痛薬治療が十分な効果をあげること,それが全世界のがん患者にとって大きな利益をもたらすことに誰も異存はなかった。しかし,大きな阻害因子が存在していた。これを打破するにはWHOの関与が必要と誰が着想したのであろうか。
 私はBonica教授であったと思っている。故人となられた今,Bonica教授に確かめることができないが,直接質問したとしても多分,「大事なことは誰からみても大事なことなのさ」と言ったのではないかと思う。WHO協議会の第1日目の午前は,総論的な審議に続き,Ventafridda教授,Twycross博士,Foley博士などが用意したworking papers(討論資料)に基づいて痛みのアセスメント,非オピオイド,弱オピオイド,強オピオイド,鎮痛補助薬へと討議が進み,その途上で,Swerdlow議長の「紳士諸君はワインを控えるように」との言葉で2時間の昼休みに入った。

この項つづく