医学界新聞

〔連続座談会〕

脳を守る III.遺伝子治療

藤田道也氏
浜松医科大学
第2生化学教授(編集)
豊島久眞男氏
大阪府立成人病センター総長
 
伊藤正男氏
理化学研究所脳科学総合研究
センター所長〈司会〉

小澤敬也氏
自治医科大学分子病態治療研究
センター教授
中福雅人氏
東京大学脳神経医学神経生物学
助教授


遺伝子治療の現状

伊藤(司会) 遺伝子治療全般は進歩し,アメリカではすでに3000例実施され,遺伝子損傷による疾患が現在6000種類ほどあり,その半分は脳関係だという話もあります(表1)。しかし,脳神経系の疾患のほとんどが遺伝子の損傷や異常に原因がありますので,遺伝子治療は一番根本的な治療法ですが,技術的に大変難しい。そこで,連続座談会の第3回目として,脳神経系の遺伝子治療の現状と今後の展望,およびわが国はどのように推進したらよいのか,ということについて伺いたいと思います。

脳への適用と治療対象の遺伝子

中福 遺伝子治療の中で,脳腫瘍を除けば脳神経固有の疾患を対象としたものは最も遅れている部類に入ると思います。逆に言うと現在急速に進みつつある分野でもありますから,最初に遺伝子治療全般についてある程度現状を把握した上で,脳神経疾患という特定の問題を取りあげて話を進めますと,伊藤先生が言われたように,海外では3000例の臨床例がありますが,脳神経疾患に対するものは限られています。
小澤 脳腫瘍の例は200-300はありますから,これを含めるとかなりになります。
中福 現在考えられている対象疾患として,8つのカテゴリーがありますが,狭義の意味で脳神経疾患に対する遺伝子治療の主要なものは,おそらく脳腫瘍,神経変性疾患,脱髄性疾患の3つだと思います(表2)。その中で小澤先生がご指摘のように,圧倒的に脳腫瘍に対する治験例が多いのは腫瘍(癌)が遺伝子治療の最も大きな標的になっているからです。ここにあげたカテゴリーは質的にまったく異なる疾患ですので,異なる治療を考える必要があると思います。それに対応して,遺伝子治療の対象となる遺伝子もまったく異なります。
 次に対象となる遺伝子を分類すると,表3のようになります。最初の「神経伝達物質あるいはその合成酵素」を用いる方法は,変性疾患,特にパーキンソン病のような少なくとも病態という点では理解されている疾患に対するものとして最もストレートフォワードな方法であるかもしれません。 
 神経変性疾患は細胞が死んでいくわけですから,細胞の変性を抑える神経保護作用のあるものを投与するのが,次の「神経栄養因子」に関するものです。これは癌に対するサイトカイン療法と同様,外から栄養因子そのものを補充するわけですが,表3にあげた因子はすべて臨床投与も試みられ,全身投与した場合,副作用があまりに激しいためにほとんどの場合は治験が中止になっています。それを,逆に遺伝子を使って局所的に与えることによって問題を解決しようしているのが現状だと思います。
 3番目の脳腫瘍の場合は,基本的には腫瘍細胞をいかに取り除くかということですから,外科的な治療で取り除いた後に,残存したものの再発や転移を防ぐために細胞をいかに殺すかという問題になります。これまでの治療プロトコールでは,HSV-TK(単純ヘルペスウイルス-チミジンキナーゼ)遺伝子のように腫瘍細胞を殺傷するもの,rasなどに対するアンチセンス遺伝子,p53やRBなどの抑制遺伝子,免疫増強因子の遺伝子,血管増殖因子の変異体遺伝子の導入などの方法が試みられています。

遺伝子治療の技術と方法論

ベクター

中福 標的となる疾患も遺伝子の種類も違いますから,それに合わせてどのような遺伝子をどのように投与するかという問題が,個別の事例で扱われないといけませんが,その前に小澤先生からベクターについてお話しいただければと思います。
小澤 私どもの研究室は,パルボウイルスの一種であるAAV(Adeno-Associated Virus)をベースにしたベクターの開発研究に力を入れています。AAVは非病原性であるために,研究はあまり進んでいませんでしたが,遺伝子治療用のベクターへの応用という点では,そのことが利点になります。最大の特徴は安全性が高いことですが,非分裂細胞にも遺伝子導入ができ,神経細胞や筋肉細胞が標的になることがわかってきたので,神経系の疾患の遺伝子治療への応用が検討されるようになりました。
 ウイスルベクター全般について説明しますと(表4),オンコウイルス由来のレトロウイルスベクターが開発されたのが1980年代初頭で,臨床研究でも過半数のもので用いられています。ただこのベクターは,分裂細胞にしか導入できませんので,神経細胞を標的にするのは難しいです。脳腫瘍の場合は別として,神経系の遺伝子治療の実験に使う場合には,線維芽細胞などに体外で遺伝子導入して,それを移植するという方法が試みられてきました。
 その次に開発されたのがアデノウイルスベクターで,非分裂細胞にも効率よく遺伝子を導入できるので,神経系の場合にも研究面ではよく使われます。このベクターの問題点は発現が比較的短期間なことで,あまり長期の遺伝子発現は期待できません。腫瘍性疾患には問題ありませんが,神経変性疾患など長期間の遺伝子発現を期待する場合には使いにくいと思います。
 最近注目されているのが,レトロウイルスの中のレンチウイルスに由来するベクターです。HIVベクターに代表されますが,オンコウイルス由来のベクターとは異なり,非分裂細胞にも遺伝子導入できるという点で脚光を浴び,神経系への遺伝子導入に使えるのではないかと期待されています。ただし,現在主に開発されているものはHIVをベースにしているので,安全性が少し気になります。このように見てきますと,神経系で遺伝子長期発現させるにはAAVベクターかレンチウイルスベクターがいいと思います。

非ウイルスベクターとプロモータ

伊藤 DNAの直接投与という問題についてはいかがでしょうか。
小澤 一番よく行なわれているのは,プラスミドDNAをそのままで(naked DNA)筋注する方法ですね。
伊藤 小さな金粒子にDNAをつけて,細胞に打ち込む方法がありますね。あれも神経系でできますか。
小澤 遺伝子銃を使う方法ですが,細胞のダメージも大きく,遺伝子の発現期間も短いようですので,DNAワクチンの場合には利用価値はあっても,神経変性疾患の遺伝子治療に用いるのは難しいと思います。
豊島 リポソームの場合も,その細胞ではそう長く保たないことが多いですね。しかし,脳細胞のように腫瘍ではない場合には増えないから,かえって安定するのではないでしょうか。
中福 これまで,脳室内投与あるいは脳の実質内投与をリポソームで試みた例はわが国でもありますが,基礎実験の段階では,ほとんどのケースでグリア細胞に発現がパラパラと見られる程度で,数か月以上は導入遺伝子の発現が続かないです。何らかの形でウイルスベクターを使い,発現の長期化を狙うほうが現実的ではないかというのが,神経系をターゲットにしている研究者のコンセンサスだと思います。
小澤 リポソーム法では,癌細胞にはある程度入っても,正常の神経細胞にはたぶんうまく入らないでしょうね。
豊島 もう1つの問題は,何か特異的なプロモータを使われるかどうかです。例えばAAVを使うにしても神経特異的なプロモータの開発を考えていますか。
小澤 現状では,多くの場合ごく普通のプロモータを使っています。ただし,戦略が高度化されますと,特定の神経細胞に特異的なプロモータを使う試みが増えていくと思います。もちろん,それが必要な場合とそうでない場合がありますが。
中福 in vivo法は5種の病気に適用されています(表5)。ex vivoの遺伝子導入の場合は,プロモータの選択性を考えた基礎実験も結構進みつつあるとは思います。私自身は神経系に存在する幹細胞の研究が専門ですが,実際に幹細胞で働かせる場合,あるいは神経細胞に分化したものを標的にしたケースはある程度基礎実験としては進みつつあると思います。
豊島 例えば,幹細胞に入れておいて体に戻すことができれば,かなり特異性は残るわけですか。
中福 それはかなり高いです。逆に,分化してしまった細胞では発現しないようにする方策も考えられます。分化してから初めて発現させることは,基礎研究のレベルでは容易になっているので,それを実際に臨床にどう応用するかは,移植と兼ね合わせた遺伝子治療に関しては,むしろ遺伝子を直接扱うよりもはるかに基礎研究が進んでいると思います。
藤田 世界的にどちらが主流ですか。
小澤 確実に遺伝子導入できますし,きちんと評価してから体へ戻すことができますので,最初はex vivo法から始めるのが妥当だと思います。しかし,対象の患者数が増えてきますと,体外で遺伝子導入してまた戻すという煩雑なステップを踏んでいたら数をこなせません。直接的に遺伝子をin vivoで入れられるのでしたら,そのほうが簡単で多くの患者さんに行なえますので,流れとしては,ex vivo法からin vivo法へ移りつつあります。

「遺伝子を治療する」時代から「遺伝子で治療する」時代へ

伊藤 それでは,ベクターに背負わせる遺伝子の問題をお話しいただけますか。
中福 遺伝子治療の基本的な考え方は「遺伝子を治療する」ことで,壊れた遺伝子や欠損している遺伝子を補充するいうところからスタートしています。そういう面から,小澤先生が現在研究しているような,パーキンソン病に対してドパミン産生の酵素を直接遺伝子として戻す方法はその発展型に当たるでしょう。
小澤 パーキンソン病の遺伝子治療のストラテジーは,大きく2つに分かれます。
 1つは,中福先生が言われたドパミン合成酵素遺伝子(チロシン水酸化酵素THと芳香族アミノ酸脱炭酸酵素AADCの遺伝子)を線条体に注入するもので,対症療法的アプローチです。しかし,この方法では病気の進行を防げませんので,神経細胞死を防ぐGDNFなどのような神経栄養因子の遺伝子を利用する方法が注目されています。ラットなどの小動物で実験をすると,きれいな治療効果が出ています。ただし,これは遺伝子治療全般に言えますが,マウスなどの動物実験ではうまくいっても,ヒトではなかなか思い通りにいかないことが多いですから,パーキンソン病の場合も簡単にはいかないだろうと思います。
 また臨床研究における最大の問題点は,一般的に遺伝子導入効率が低すぎることですから,一部の細胞に入っただけでも治療効果が期待できるものから遺伝子治療を始めるのが現実的なアプローチと言えます。バイスタンダー効果と言われますが,癌を標的にする時にも,遺伝子が入らなかった周辺の細胞が巻き添えを食って死んでいくような機序が働く時に,初めてある程度有効性が期待できます。先ほどのドパミン合成酵素遺伝子などの場合も,一部の細胞に遺伝子が入っただけで,ラットの場合は効果が見られます。しかし,ヒトの場合は脳はかなり大きくなりますから,相当の範囲の細胞に遺伝子が入らないと効果が出ないのではないかと思います。
豊島 脳腫瘍の場合は,全体に入るような工夫が必要と思いますが,ドパミンなどの例で細胞で移植していた場合,ある程度細胞全体としての制御機能が残っているかもしれないけれども,遺伝子治療で入れた場合に出っ放しになってしまうのか,あるいは消えていくのか,どちらかに偏らないかなという気がするのですが。
小澤 たしかに次のステップとして,遺伝子発現のコントロールが要求されると思いますが,当面はまず十分発現させること自体が大変難しい状況です。それから,細胞移植による方法は効果があるようですが,やはり長続きしないようです。また,移植細胞の確保も大変ですし,胎児組織を使う場合は倫理的な問題もあります。遺伝子治療で効果が出るのであれば,そのほうが好ましいと思います。
豊島 先ほどのように幹細胞からうまく作れるとすれば別ですが,細胞を集めてくるのは大変ですからね。
小澤 中福先生が言われたように,現在の遺伝子治療は遺伝子の傷を治すという狭い意味ではなく,「遺伝子による治療」ですから,さまざまなアプローチがとれ,病気の本質と関係ないところからでも入っていけます。そういう意味では今後もいろいろなアイデアが出てくる可能性があります。
伊藤 トリプレットリピート病などは余分なところを外してくるのですが。
中福 グルタミン酸をコードするコドンの伸長を共通の原因とする一群の神経変性疾患,いわゆるトリプレットリピート病に対する治療法には2つの考え方があります。
 1つは小澤先生が言われたように,病態とは無関係に,細胞が死ななければいいとするものです。現在,神経細胞が死に至るカスケードが次第にわかってきていますから,そのカスケードのどこかをブロックすればいいという治療の考え方が成り立ちます。もう一方の考え方は,疾患の原因遺伝子のトリプレットリピートの伸長を止めるというより根本的なもので,遺伝子治療を応用することも将来的には可能かもしれません。将来はこの両面からトリプレットリピート病が遺伝子治療の標的として脚光を浴びてくる可能性があると思います。
 病態の理解やアイデアによっては,まだまだ治療方法として多くの可能性はあると思います。逆に言うとしなければいけないことは,いかに効率よく広範囲に遺伝子を入れるかです。基礎的な面の問題点は明らかになっていますが,それを具体的にどこまでの時間でどう解決をするのか,またそれに合わせたさまざま方法についてアイデアを出し合う,ということに関しては日本はまだ遅れをとっているかもしれません。しかし,やがて出てくると思います。

他の治療法との組合せ

中福 遺伝子治療に限らず,1つの方法ですべてを賄うのは難しい段階ではないかと思います。例えば,パーキンソン病の患者さんにカプセル化した細胞を移植した臨床例が出ています。世界で数千例を超えていますから,実績のある治療法として認められているのですが,それでも限界があるのは,豊島先生も言われたように細胞の供給の問題です。それが解決できれば,さらにステップアップし,遺伝子を直接投与する方法も,ベクターの改良によっては一気にブレークスルーが出るかもしれませんが,やはりある程度いろいろな治療法の平行した進行があって,それぞれの長所を生かし,欠点を補うというタイプの仕事にならざるを得ないのではないかと思います。遺伝子治療というと「夢の治療」という感覚があって,それだけですべてを治療すると考えると,応用する際の期待が高くなってしまいます。それよりもむしろ,現状で実際に応用可能な疾患は何で,この問題が解決されたら次はここまで広がる,という逐次的な発展が必要なのではないかと思います。
小澤 今の段階では,さまざまな方向から攻めることも,また一方,それらを組み合わせることも重要です。例えば移植細胞にSOD(superoxide dismutase)遺伝子などを入れると,移植細胞の生存期間が延長するような効果もあるようですから,細胞移植療法に遺伝子操作を絡めることで,治療効果を高めることも可能になります。

わが国における遺伝子治療の問題点

重症例への適用

小澤 これまでに実施された3000例の遺伝子治療のうち2000例ぐらいは癌です。なぜ癌が多いかというと,対象患者が多く,社会的にも問題になっていることもありますが,癌のような重篤な疾患で遺伝子治療法を評価し,それをベースに慢性疾患に移行するという意味合いもあると思います。例えばAAVベクターを使った治療法でも,脳腫瘍で評価し,次にパーキンソン病などの慢性疾患に遺伝子操作を利用した治療法を広げる道筋になると思います。
中福 日本では非常にきついガイドラインがかかっていますから,生命予後に直結するもの以外は今のところは認められないでしょう。小澤先生が強調されているように,脳神経疾患に限らずまだベクターの開発という非常に基礎的な面に対する治験があまりにも欠落していると思うので,そのブレークスルーが出るまでは,むしろ個々の疾患についての病態の理解,あるものは原因遺伝子の同定を平行して進めれば,ある成果がもたらされるのではないでしょうか。例えば,大量の組織に同時に安全に入れられるシステムが一般開放されれば,そこで一挙に対象疾患,あるいは効果も上がると思うので,必ず将来は役に立ち得ると,私自身は楽観的に捉えています。ただ,その両方をどう進めていくかという体制固めをすることが大事ではないでしょうか。日本の企業はどちらかというとむしろ現状を悲観的に捉え,日和見をして入ってこない。このままでは,国内の遺伝子治療が進まないのではないかという危惧があります。
豊島 ただ,致死的な疾患でないと遺伝子治療をテストしてはいけないという現在の条項は,もう少し利点が見えてきた時点で見直さなければいけないのではないか,という話が出始めていますね。
中福 1つの問題点は,先ほど小澤先生が言われたように,マウスでうまくいってもヒトの治験の結果は必ずしもよくないことです。アメリカでは,まずヒトでやらないとだめだという意見を強硬に主張している研究者が多いので,1995年に遺伝子治療全般に対しての見直し勧告が出され,その有効性に関して厳しい評価が下されましたが,その後の臨床応用の増加のペースは減速する気配もなく,ますます対象疾患が広がっています。ただ,国内でそれを果たしてやるべきなのかどうかという点は議論が出てくると思います。

実験的医療への理解,実用化への道

小澤 どの程度してもいいのかという問題がありますが,実験的医療の開発を外国にすべて任せてしまうわけにはいかないと思います。その辺の線引きは難しいですね。
豊島 先ほどご指摘がありましたが,病態をきちんと把握して,どういう遺伝子をどう発現させれば一番よく効きそうかという理論的な問題の開発が重要で,それが進まないうちにあまりあわてても仕方がない。そういう意味では,安全性やその他のテストをしながら基礎的な研究を進めていくことは重要ではないかと思います。
小澤 それと,ヒトで臨床研究を行なう前に,サルを使う必要性はあるかという問題で,最近,筑波霊長類センターに遺伝子治療の実験を行なう施設ができましたが,サルを用いれば,ヒトでの効果をかなり正しく予測できるのではないかと思います。
中福 遺伝子の導入効率そのものを問題にするならば,いきなり疾患を対象にした遺伝子を扱う必要はないです。細胞の中の,例えば核内で働くもの,細胞質で働くもの,あるいは分泌細胞であれば毒性のない典型的なものを使って知見を得ればいいと思いますが,そういう論文は海外でも少ないです。むしろ小澤先生が言われたような施設で基礎的な治験を組織的に行なえば,日本の寄与はかなり大きくなるし,将来役に立つかもしれません。
小澤 実用化に持っていくステップは研究者が得意としませんので,本当は製薬企業が頑張ってくれるとありがたいのですが,なかなか参入しません。一方で,基礎研究も日本は層が薄いように感じます。治療ストラテジーにしても,テクノロジーの開発にしても,遺伝子治療を志向した基礎研究者が少ないような気がします。
豊島 遺伝子治療を神経系などでみていくと,一番シンプルなモデルからスタートするという考え方があると思います。例えば,ゼブラフィッシュで神経系にグリーンフルオレセンスプロテイン(GFP)を発現させたらニューロンの走行が全部見えるだろうという考えで何年かやって,結局はゼブラフィッシュから神経特異的プロモータをとってやらなければだめだということがわかり,きれいに神経走行のわかるGFP発現ができるようになりました。ですから,どこで発現させたいかということは基礎的な問題で,最近になって神経領域のプロモータはよく研究されるようになってきましたから,その成果と遺伝子治療の進歩が結びついた時,初めて治療の問題が手がけられるという気がします。その際,できれば先ほどの神経幹細胞の自己への再移植なども兼ねて進めていくと幅広い希望が出てくると思います。
中福 ただ,「日本遺伝子治療学会」が発足していますが,まだ広がりが少ないのではないかという印象があります。遺伝子治療という言葉だけで尻込みしたり,自分と無関係と捉えられてしまうとマイナーな学会に終わってしまうと思うので,もう少し加速する必要があると感じていますが。
伊藤 豊島先生は会長でしょう?
豊島 私自身は遺伝子治療のほうを心がけたこともやったこともありませんが,レトロウイルスから入ってきて,初期の遺伝子治療もレトロウイルスから入ったものだから,学会長を仰せつかったわけです。もう1つは,厚生省の厚生科学審議会の委員をしていますから,学会長としてなぜ日本で遺伝子治療が進まないのかという問題を掘り起こしてほしいと思ってシンポジウムなどを企画しました。
伊藤 どのような結論でしたか。
豊島 1つには,攻撃的でなく,保守的な日本人の性格の問題があると思います。もう1つは自己犠牲という感覚があまりないことです。薬の治験もそうですが,同じことが遺伝子治療の領域でも見られます。
中福 遺伝子治療は新しい方向性を持っているので,逆にそれを取っかかりにして,新しい先端医療技術を発掘,開発していくシステムそのものが国民の意識を変えていくきっかけにもなり得ると思いますね。
豊島 可能性は十分あると思います。ただ1例だけですが,日本でもADA欠損症の遺伝子治療がある程度成果を得て,治験例では本人の社会的な生活条件がまったく変わっています。さらにそこでよかったと思うのは,成果がわかるように血球を調べたり,遺伝子が入っているかどうか,発現しているかどうかまで調べるという条件がついたわけです。それは例数が少ないからきちんとできているのですが,今後も例数を増やすことよりも,きちんとポイントを押さえていくということが重要ではないかという気がしているのですけれど。

企業の逡巡,国への期待

伊藤 日本の企業がへっぴり腰だと言われましたが,この連続座談会の第1回目の「創薬」でも同じ議論になってしまいました。
豊島 遺伝子治療を含めて,企業だけではなく,日本人全体が少しへっぴり腰ですね。
中福 産官学それぞれのアプローチや一体化した取り組みがないのでしょうか。
豊島 あると思います。もう1つは,語弊がありますが教育も問題だと思います。次の時代の新しい治療として必要なものの中に遺伝子治療があることを,いま一生懸命宣伝しているつもりです。まだ安全性の問題など多くのことがわからないので厳しく規制しているけれども,一応ある程度クリアされた状況になると,安全で安い治療になる可能性を秘めていると思いますね。
小澤 特に補充療法などには,遺伝子組み換え型の標品を頻繁に投与するよりは遺伝子治療を応用したほうが,医療経済面から見てもメリットが大きいでしょうね。
中福 遺伝子治療をフォーカスした,センター化された研究機関が必要です。それから国民に対する啓蒙や,企業をどのように参入させるかという問題も含めて,遺伝子治療のさまざまな面を包括的に取り扱う枠組みがあっていいのではないかと感じています。これだけ財政再建が叫ばれている状況で難しいとは思うのですが,例えば感染症研究所なりに遺伝子治療に関するセンターとして機能する場所があれば,状況はずいぶん変わり得るのではないかと思います。
小澤 今でもウイルスベクターを使った遺伝子治療をやろうと思うと,アメリカのシステムを借りないとできないですね。
伊藤 遺伝子治療に限らず,一般的にインフラが悪くて,何か新しいことをやろうと思うとインフラがない,材料が手に入らない,情報も乏しい。そういう話がたくさんあるのですが,遺伝子治療でそういうことはありますか。
豊島 研究レベルでは情報はそれほど乏しくはないと思います。
小澤 研究室レベルではあまり問題ないですが,実際に臨床研究に進もうとすると複数の会社のパテントを使わないとベストのことはできません。これは,日本だけではなくて外国でも難しい問題のようで,この部分はあそこに,あの部分は別のところに頼らなければいけないということがかなりあります。実際の治療となると,企業の利害が絡んできて難しくなるようです。
伊藤 臨床に持っていく時に,日本ではものすごくバリアがありますね。基礎研究はいいところまでいったけれども,臨床応用しようと思うと大変に難しいようですが。
豊島 インフラの問題は確かにあるかもしれません。例えば日本ですべてやろうとすると,ベクターも治療用に使う遺伝子も,同一グループで両方をやらなければいけない。普通からいえば,治療用の遺伝子を扱う人はベクターを他に依頼して,それを使いたいわけです。

将来への期待

伊藤 最後に,将来への期待を一言ずつお願いいたします。
豊島 少なくともベクターの安全性のテストは,最終段階として人間までできるようなシステムがわが国でできなければいけないと思います。
小澤 ベクターなどの開発は大変で難しいですが,何とか実際に役に立つシステムを開発していきたいと考えています。外国のベンチャーだけでなく,日本の製薬企業ももう少し頑張ってもらいたいと思います。
 また,遺伝子治療の研究はまだ本当にプリミティブな段階にあるということです。21世紀に向けて,焦らずにじっくり取り組んでいくべきテーマだと思っています。
中福 絶対治らなければいけないという高いクライテリアを持ち出してしまうと,まったくやらないか,あるいは逆に小さな成功を過大に誇張して伝えることがあって,遺伝子治療の場合には特に致命的になる可能性があると思います。現時点では,まずどこまでがわかっていて,何をしなければいけないかという問題を,基礎研究者あるいは臨床に応用される方が整理をする段階です。その上で将来を見越した基礎研究のレベル,あるいは臨床研究で実際に応用するレベルをきちんと認識して議論する必要があります。日本の研究者のスタンスは,全体としてはそういう合理的な議論まで達していないような雰囲気があるので,自戒しないといけないと思っております。
豊島 遺伝子治療というのは,それぐらい難しい段階だと思います。ただ,次の世紀をにらむと,これは絶対気にしておかなければいけないことだと思いますね。
伊藤 どうもありがとうございました。

 この座談会は,雑誌『生体の科学』(医学書院販売)で企画された「連続座談会(全3回):脳を守る-I.創薬,II.再生移植治療,III.遺伝子治療」のうち,「I.再生移植治療」を医学界新聞編集室で約3分の1に要約して再構成したものです。なお,全3回の全文は同誌第50巻1号(2月発売予定)に掲載されます。
〔週刊医学界新聞編集室〕


〔連続座談会〕 脳を守る 全3回の構成と出席者

I.創薬(司会=伊藤正男氏)

宇井理生氏(東京都臨床医学総合研究所所長)
板井昭子氏(医薬分子設計研究所所長)
大塚正徳氏(東京医科歯科大学名誉教授)
(編集)野々村禎昭氏(帝京大学教授)
第2321号に掲載

II.再生移植治療(司会=伊藤正男氏)

川口三郎氏(京都大学脳統御医科学系認知行動脳科学科教授)
高坂新一氏(国立精神・神経センター神経研究所代謝研究部長)
西野仁雄氏(名古屋市立大学第2生理学教授)
(編集)石川春律氏(群馬大学第2解剖学教授)
第2324号に掲載


表1 遺伝子治療全般の動向
海外
 1978年
 1990年
 1995年
 1996年
 
 1997年
 1998年
国内
 1993年
 1994年
 
 1995年
 1998年
 
M.Clineによる未認可遺伝子治療(サラセミア)
M.Blaese/F.Andersonによる初の認可遺伝子治療(SCID)
NIHによる見直し報告(Orkin/Motulsky report)
米国149プロトコール/他国19プロトコール
臨床例米国1229,全世界1537
2500例
全世界で3000例を超える
 
厚生省科学会議「遺伝子治療臨床研究に関するガイドライン」の提出
日本学術会議ライフサイエンス部会「遺伝子治療研究に関するガイドライン」の提出
国内初の遺伝子治療(北大)
癌に対する遺伝子治療(東大医科研)

表1-3,5は(財)ヒューマンサイエンス振興財団HSレポートNo.22「遺伝子治療」,No.27「遺伝治療臨床研究の現状と問題点並びにその将来動向」を参考に作成


表2 遺伝子治療の対象となる脳神経系疾患
(1)脳腫瘍:悪性グリオブラストーマ,転移性脳腫瘍など
(2)神経変性疾患:パーキンソン病,アルツハイマー病,ハンチントン病,筋萎縮性側索硬化症など
(3)脱髄性疾患:多発性硬化症など
(4)脊髄損傷
(5)脳虚血性疾患
(6)てんかん
(7)内分泌(下垂体)機能低下症
(8)癌性疼痛


表3 遺伝子治療の対象遺伝子
(1)神経伝達物質あるいはその合成酵素
(1)チロシン水酸化酵素,芳香族アミノ酸脱炭酸酵素(AADC):パーキンソン病
(2)オピオイドペプチド(β-endorphin):癌性疼痛
(2)神経栄養因子
(1)CNTF:ハンチントン病,筋萎縮性側索硬化症
(2)GDNF:パーキンソン病,脳虚血性疾患
(3)NGF:アルツハイマー病,脳虚血性疾患,末梢神経損傷
(4)BDNF,NT-3:パーキンソン病,筋萎縮性側索硬化症
(3)腫瘍細胞を標的とした遺伝子
(1)HSV-TK遺伝子,ジフテリア毒素遺伝子など:腫瘍細胞の殺傷
(2)アンチセンス遺伝子:腫瘍細胞の脱腫瘍化(ras,N-myc),薬剤感受性増強(MDR1)
(3)欠損癌抑制遺伝子:腫瘍細胞の脱腫瘍化(p53,RBなど)
(4)各種免疫増強因子(サイトカイン遺伝子):抗腫瘍免疫能の増強
(4)その他
(1)細胞死抑制遺伝子:神経細胞死の抑制(Bcl-2など)


表4 代表的なウイルスベクターの特徴
  レトロウイルス
ベクター
アデノウイルス
ベクター
AAV
ベクター
レンチウイルス
ベクター
野生型ウイルス:
病原性
ありありなしあり
ウイルスゲノムRNA二本鎖DNA一本鎖DNARNA
分裂細胞への
遺伝子導入
可能(適)可能(不適)可能(不適)可能
非分裂細胞への
遺伝子導入
不可能可能(適)可能(適)可能
神経細胞への
遺伝子導入
不可能可能(不適)可能(適)可能(適)
染色体への組込ありなし一部ありおそらくあり
遺伝子発現安定?一過性やや安定?安定?
体内法(in situ法)不適
病原性/副作用なし?細胞毒性/遺伝子導入なし
  細胞に対する免疫反応 
ベクター作製法確立ほぼ確立開発段階開発段階


表5 遺伝子のin vivo投与法
(1)脳腫瘍:HSV-TK遺伝子の腫瘍組織への導入・ガンシクロビルによる細胞殺傷効果,サイトカイン遺伝子導入による抗腫瘍免疫能の増強
(2)パーキンソン病:神経栄養因子遺伝子あるいはドパミン産生酵素遺伝子の線条体への導入(ラット,サルでの基礎研究の段階)
(3)ハンチントン病:CNTF遺伝子の線条体への導入
(4)アルツハイマー病:NGF遺伝子の大脳皮質への導入
(5)筋萎縮性側索硬化症:CNTF遺伝子の脊髄への導入