医学界新聞

〔連続座談会〕

脳を守る II.再生移植治療

石川春律氏
群馬大学教授
第2解剖学(編集)
川口三郎氏
京都大学脳統御医科学系
認知行動脳科学教授
伊藤正男氏
理化学研究所脳科学総合研究
センター所長〈司会〉

高坂新一氏
国立精神・神経センター
神経研究所代謝研究部長
西野仁雄氏
名古屋市立大学教授
第2生理学


神経系の再生

軸索環境と軸索の再生能力

伊藤 今回は脳神経組織の再生移植の可能性についてお話を伺います。脳組織は再生できないという話は遠い伝説になり,再生を妨げている因子の解明や促進する因子を見つけ出す研究も盛んですが,川口先生から口火を切っていただけますか。
川口 長い間,「哺乳動物の中枢神経伝導路は再生しないか,再生したとしてもきわめて微々たるもので,機能的な意義を持たない」と信じられてきました。この通説の源流を辿ると,1928年のラモニ・カハールによる神経の変性と再生に関する記念碑的な論文にいき着きます。彼はその中で,「いったん発達が終われば,軸索や樹状突起の成長と再生の泉は枯れてしまって元に戻らない。成熟した脳では神経の経路は固定されていて変更不能である。あらゆるものは死ぬことはあっても再生することはない」と述べています。再生に対する彼の否定的な宣告はドグマとして後世に強い呪縛をかけ,中枢神経の再生の研究を抑圧してきたように思います。しかしここ10年程の間に,かつての通説が間違いで,「哺乳動物の中枢神経伝導路でも機能的な意義を持った再生が可能である」ことが受け入れられるようになりました。
 このような状況の変化を背景に,かつての通説に代わり,「哺乳動物の中枢神経系の軸索環境は全体として再生軸索の伸長に対して拒絶的(non-permissive)であり,再生に導くためにはそれを許容的(permissive)に変えなければならない」という仮説が新たなドグマとして浸透しつつあるように思いますが,私はこの仮説もたぶん間違いだろうと思います。損傷部の条件さえよければ著明な再生が起こり,再生した線維は正しい経路を通って正しい標的に終止する,すなわち正常な投射と同様な神経路の再生が可能ですし,再生した線維が正しい経路を伸長していく限り,その伸長を妨げるような組織所見は認められないからです。したがって,再生を妨げるのは全体的な拒絶的軸索環境ではなく,損傷部の局所的な条件であろうと思います。
伊藤 軸索環境と言われましたが。
高坂 昔から中枢神経系は再生しないという定説がありましたが,潜在能力として再生能力を持っていることは近年の研究で明らかになり,それは一部移植の研究にも役立っています。振り返って,末梢神経系は特にある操作をしなくても自然に再生することは古くから知られていますが,現在は軸索の先端の環境,特に線維芽細胞から分泌される細胞外基質と神経栄養因子が重要ではないかと考えられています。
川口 切断された末梢神経軸索が高い再生能力を持っていることは古くから知られていますが,例えば成熟ハムスターの視神経を眼球の後で切断し,末梢神経をつなぐと,再生した軸索は末梢神経を足場にして新たに本来の2倍程度の距離を伸びることができます。ということは,離断された本来の経路を含めれば3倍程度伸びたことになり,成熟動物の中枢神経系においても軸索の再生能力は潜在的には非常に大きなものであろうと思います。中枢神経軸索が再生しなかったり,再生しても短い距離しか伸びず異所性投射になるのは,軸索の伸びる足場がない,グリア瘢痕の障壁ができる,軸索を誘導する手掛かりが乱されているという外在因,つまり軸索環境の問題であって内在的な問題ではないと思います。

再生誘導のcue

川口 精緻な神経結合を形成している中枢神経系の中に,再生した軸索がデタラメに伸びてつながると困りますから,軸索に潜在的に大きな再生能があっても,中枢神経系の中にはそれらをデタラメに伸びさせない機構があると思います。それぞれ神経路には,それを正しい経路に導き正しい標的に誘導する手がかり(guidance cues)があると考えられていますが,再生した軸索がそれらの手がかりと整合性を持って出会えば,制限を受けることなくいくらでも伸びるという印象を持っています。私たちの報告した錐体路の再生を例にとると,そのようなguidance cuesを乱さないことを意図して,鋭利に橋と延髄の境界部で切断した場合,再生した軸索は切断部を越えて伸長し,正常な投射と同様に密な線維束になって延髄の腹側を走行し,錐体交叉を形成して対側の頸髄後索に入り,各髄節でRexedのIII~VII層に終末を与えつつ,後索の最深部を下行して仙髄の尾端に到ります。その間一貫して正常な投射と同様に密な線維束のまま,正常な経路を踏み外すことなく,切断が鋭利でないところとは対照的に,再生した軸索はばらばらに広がって,短い距離の異所性投射になります。
高坂 それは非常に面白い。発生の過程で脳ができあがる時に,あるところまで線維がcueを辿っていって,そこで左に曲がりなさい,また右へ曲がりなさいといって,うまく反発するとか,誘導的に説明がつけられていますね。それは発生の過程で時期的な段階を追って,ある蛋白が発現したりという形で調整されるわけでしょう。それがアダルトで,切った後もう1度同じことが再現できるのはすごいと思います。
川口 神経修復の研究に大きな希望を与えてくれますね。個体発生の過程で,神経路の形成に先行して作られたguidance cuesが神経路ができあがった後でも,そのまま残存しているのか,再生する時に再び個体発生の過程を繰り返して作り直されるのかわかりませんが。 石川 神経路がきちんと出た時,もうすでにある場合には切っても道筋は同じところを通りやすいということでしょうか。
川口 中枢神経系はどこを切っても神経結合があり,それぞれの神経結合には決められた通路があります。その通路に合った神経結合であれば,再生した軸索は何の制限も受けることなく伸び,正しい標的に終止するというのが私たちの所見です。本来の通路から外れて伸びることは可能ですが,その場合,伸長はおおむね強い制限を受けて短い距離にとどまると思います。
伊藤 人工的に再生させる方向が期待されるのでしょうね。脊髄でも,切れたところにクリームみたいに塗り込むものを見せてもらったことがありますが,ああいうものは本当に使えるのですか。
石川 切断したところにシュワン細胞などを埋めるというデータもありますね。
川口 シュワン細胞や末梢神経は,中枢神経軸索が伸びていく時によい足場を提供するのですね。視神経を切って末梢神経につなげば,いくらでも伸びていく感じです。ところが,伸びた軸索をもう一度中枢神経系に入れようとすると,なかなか入らないし,入っても短い距離しか伸びない。中枢神経軸索は末梢神経の軸索環境に曝されると,経路や標的を認識する能力を失ってしまうような印象を持っています。

末梢から中枢への導入と脊髄損傷の治療

川口 上丘の神経細胞は視神経刺激に反応するようになりますし,動物は明暗の識別ができるようになりますね。しかし,上丘に侵入してから伸びる距離は大体500 μmぐらいでしょう。Retinotopyも失われ,短い距離しか伸びられません。
石川 戦略として末梢神経の条件を中枢に持ち込むこともあるかもしれませんね。
川口 機能回復が起こり得ることが明らかになりましたから,かなりの人がそういうことを考えていると思います。脊髄でもスウェーデンのOlsonが,成熟ラットの脊髄の髄節を切除して,その間を肋間神経でつなぐ試みをして,機能回復が起こったと報告していました。彼らは切断された錐体路の断端と断端でなく,錐体路の断端と錐体路の標的,すなわち灰白質の背側部とをつなぎました。機能回復といってもわずかですが,ともかく起こったということで,臨床的な応用を考えている人はいますね。
伊藤 脊髄損傷の治療法は,これからどのように発展しますか。
川口 幼若ラットの脊髄を鋭利に切断した場合,切断部に特別な処置をしなくても自然に切断された伝導路の著明な再生が起こります。成熟ラットの脊髄では自然な再生は起こりませんが,それでも切断部に胎仔ラットの脊髄組織を移植することにより,著明な再生を誘導することができます。
 今の段階では著明な再生が起こるのは鋭利な切断創ですが,実際の脊髄損傷は挫滅ですから,挫滅による脊髄損傷モデルを成熟ラットで作り,その動物で機能的意義を十分に持った脊髄伝導路の再構築ができれば,臨床応用は可能でしょう。フロリダ大学では胎児の脊髄の組織をヒトに移植する試みをしています。
西野 例えば1分節が全部壊れてしまった時など,空間ができますね。そういう時は,そこにうまく入るような胎児の組織を入れるか,今の末梢組織かあるいは中空の管なりをつなげるということですか。
川口 スウェーデンのグループは,白質が拒絶的な軸索環境であるというSchwabらの報告を根拠にして,多くの肋間神経を用いて,それぞれの切断された経路ごとに断端と標的をつなぐように架橋してます。
西野 Olsonらの結果では,これらに入ったのはほんのわずかで,少ないですね。

上位脳での軸索再生

伊藤 脳卒中で錐体路が切れたのをつなげるかという問題はいかがでしょうか。
川口 可能だと思います。錐体路は脊髄で切断しても,橋―延髄移行部で切断しても,全く同じようにきれいに再生しますので,内包で切断した場合だけ再生しないとは考え難いからです。切断実験では浮腫を生ずると成績が悪くなりますので,卒中でも脊髄損傷の場合と同様に,浮腫を生じないような処置が大切だと思います。成熟した動物であっても,軸索の再生能力と再生した軸索が正しい経路を見出し,正しい標的に再びシナプス結合する能力は潜在的には十分あると思います。
高坂 伊藤先生が言われた線条体が切れた時や脳出血などの時に,大脳基底核部に出血するとかなり悲惨な状況になります。ピッツバーグの人たちがテラトカルシノーマをレチノイン酸で処理して,ある程度ニューロンに分化させておいて脳出血の近傍に入れると麻痺が治ると言っています。それが今おっしゃったように,線維の橋渡しをしているわけではないと思います。
西野 テラトカルシノーマ細胞をラットの脳に入れて,サイクロスポリンで抑えたのですが,すごい拒絶反応が起きます。拒絶反応をいかに抑えるかが問題ですが,そう簡単ではなかったですね。
伊藤 脳の免疫反応はいかがですか。
西野 ヒトの細胞ですので,ラットの脳に入れると拒絶反応がすごいですね。

神経細胞の移植

脳の胚幹細胞と成熟脳の幹細胞

石川 次に,神経系でニューロンの再生という問題はどのような進展を見せているのでしょうか。幹細胞の話もありますので。
高坂 それはいま一番ホットな話題で,いわゆる神経幹細胞を入れ,脳の中でいろいろなものに分化させて,組織をreorganizeする流れがトピックスです。
西野 成熟脳でも,脳室の近辺から嗅球にかけて存在しますね。
川口 嗅上皮だけでなくて,海馬の歯状回では,古くにJ. Altmanらが細胞分裂によって新しい神経細胞が生まれ,移動し,顆粒細胞になることを報告しています。幹細胞については脊髄損傷の神経修復に関するシンポジウムでFred Gageが見せたスライドが印象的でした。幹細胞を培養して海馬に入れると,その細胞が移動して層的な細胞構築の中へきちんと入っていくのですね。あらかじめlacZ遺伝子を組み込み,移動した細胞を青く発色させていました。
西野 歯状回の最内層は,細胞を新生する能力がありますから,そこから細胞が移動していく可能性はあると思います。ただ,どこまで辿り着けるのかは,環境によって決まってくるわけで,うまくその系に乗ってしまえば移動は可能ではないですか。脳室の近辺,例えば線条体だったら側脳室の端,海馬であれば歯状回のあたりはかなり可能性が高いですね。
高坂 東大の中福雅人先生たちと幹細胞の共同研究をしているのですが,lacZ遺伝子を入れた幹細胞を小脳に入れると,いま川口先生がおっしゃった,プルキンエのところにいる青く染まっているものはプルキンエの格好をしていますが,深部に入っているものはちゃんと小脳の深部基底核のような格好をしています。ですから,場所ごとに何かの信号がきちんと入って,そういった細胞に分化していることは考えられると思います。
石川 幹細胞はどういうところに局在しているのでしょうか。
西野 若い時期だと脳のいろいろなところにあると思います。いま細胞株をとっているのも,海馬,線条体,皮質,小脳,脳幹など,どこからでも幹細胞がとれますが,成熟脳になるとかなり限られてきます。
川口 先ほどのFred Gageの話では,成熟ラットで調べると,幹細胞は脳の最も吻側部から脊髄の末端にいたるまで,どこにでもあるということでした。
西野 脳室の近傍,sub-ventricular zoneにあります。幹細胞の数を増やすという戦略はいいのですが,どこか遠くまで移動させようとすると非常に困難で,それには幹細胞を目的の場所に移植する方がいいような感じがしますね。
川口 話は飛びますが,白血病の治療で本人の血球幹細胞を使う治療が行なわれていますね。神経系でも本人の幹細胞を取り出して使うことができるのでしょうか。幹細胞の定義は自己複製能と多分化能を持った細胞,すなわち増殖することもできるし,グリアにもニューロンにもなり得る細胞ということですね。本人の幹細胞を採取してin vitroで増殖させ,増殖した細胞を脳の中に入れて神経細胞を補充することが可能かどうかということですが。
高坂 むしろマウスに相当するような人間のES細胞をとったほうがいいですね。
川口 白血病の治療では臍帯血の幹細胞を使うことも行なわれていますから,流産した胎児の脳の幹細胞から細胞株を作ることができれば可能性はありますね。
西野 羊膜細胞や頸動脈洞小体の細胞も分化能があるようです。それから多能という観点からは,精巣のセルトリ細胞がありますが,精巣細胞をサポートする一種のグリアです。ニューロンを支持するグリアみたいなものでさまざまな働きを持っています。
 栄養因子を作って出す機能と,免疫抑制作用も持っていて,CD95系を介する免疫抑制があり,さまざまな栄養因子を放出します。セルトリ細胞を脳の中へ入れるだけで変性しかかっている細胞がよくなってくるというデータが,ここ2-3年かなり出てきましたね。

幹細胞の移植,移植の技術

石川 幹細胞をある程度純粋にとる方法は確立しているのですか。
西野 友岡康弘先生が,1991年頃に全脳を持ってきてばらして,何回かプレーティングをやって分けて,最後に超遠心でgradientをかけると幹細胞が採れました。その後にEGFやFGF下で培養するとボール状になってきます。大量に幹細胞をとる方法としては,これが最高だと思います。
石川 そうした実験はどのくらい進んでいるのですか。
高坂 「Nature Neuroscience」でしたか,Ron Mckayが幹細胞をパーキンソン病のモデルラットに入れて治ったという論文を書いていました。
石川 脳の組織に細胞を注入すると組織が壊れて障害や合併症が起こるような気がしますが,いかがでしょうか。
西野 動物の経験ですが,ドーッと入れると大変なことになります。少量をサスペンジョンの形で入れると,少々の神経膠症は起こりますが,うまく生着します。
石川 脳の実質の中に注入するのですか。
西野 脳の実質の中です。
石川 脳室の場合はどうでしょうか。
西野 脳室内は栄養があって,障害物がなく,免疫的にも隔離されているので,いい環境ですからよく育ちます。

移植治療法

臨床応用と動物実験の現状

伊藤 再生移植治療の現況についてはいかがでしょうか。
西野 パーキンソン病の治療がメインで,数百を超える応用例があります。その後がハンチントン病ですが,まだ数例です。
伊藤 アメリカで10例に限って脳梗塞の移植をしているという話がありますが。
西野 脳梗塞が一番起こりやすいところは線条体,特に被殻ですから,それがうまくいくようであればいいのですが。
 線条体の機能がよくわからないと言われますが,通過線維が完全にやられてしまったらいくら線条体で細胞が増えてもだめだと思います。線条体に間接的なダメージが及ぶ時に,新しい線条体細胞を入れて,局所回路がもう一度形成されると,線条体の機能が再建される可能性があります。
高坂 それがレチノイン酸で,完全に分化した細胞を入れるわけで,彼らは1例も癌化がなかったと言っていますがよくわかりません。
石川 幹細胞の場合はどうでしょうか。
高坂 分化させてしまえばいいわけです。
石川 動物実験では,胎児脳の部分をとって,組織や細胞のレベルで移植していますが,その場合には幹細胞が働いているのでしょうか。それとも,分化した神経細胞がそのままそこに生き残るのでしょうか。
高坂 むしろ後者ですね。
西野 日齢が1-2日違うだけでも,成長度合いが違いますから,幹細胞の一部は入っていると思いますが,大半は若い分化した細胞が生着していると考えています。
伊藤 パーキンソン病の場合は,動物モデルでは完全に治ると言っていいですか。
西野 やはり手の細かい運動などはラットでも難しいですね。グロスな運動や姿勢の維持などは治りますね。
川口 私たちは,胎仔ラットの脊髄の髄節を丸ごと,正しい吻尾―背腹方向を保った状態で移植しています。軸索を誘導する手掛かりを壊さないように入れることによって,宿主の脊髄の切断された上行性,下行性神経路がその手掛かりを使って伸びていくことを期待したのです。実際,移植した髄節を越えて腰髄から上行性神経路が小脳や視床に伸びていきますし,大脳皮質や赤核から出た下行性神経路は移植した髄節を越えて腰髄に伸びていきます。そうしてできた神経路によって,この動物は正常なものと区別し難いほど上手に四肢の協調運動をしますので,移植した胎仔の脊髄組織は神経細胞の補充というよりは,それぞれの神経路の伸びる媒体として使われる意義のほうが重要だと思います。
 胚の神経組織の中では,さまざまな神経路のguidance cuesが秩序をもって配置されているのであろうと思います。そういう組織化されたものを丸ごと宿主の中枢神経系に入れれば,さまざまな経路がそこを通って正常に近い神経結合を作り得ます。
石川 動物実験ではよくグラフトという言葉を使ってはいますが,組織片を入れているのでしょうか。それとも細胞のレベルまで分離してから入れるのでしょうか。
西野 広い意味で両方を含みますが,組織片とサスペンジョンの中間ぐらいの状態で移植することが一番多いと思います。
伊藤 先ほど自分の幹細胞を使うという話がありましたが,幹細胞とまでいかなくても,病気の細胞を取り出して何か手当てしてやって,それでまた戻すことが現実的ではないでしょうか。
西野 パーキンソン病の場合でも自家組織を用いる時には,全身がパーキンソン病に曝されているわけですから,自分の組織そのものは少しダメージを受けていますから,そこが一番問題だと思います。
石川 幹細胞をうまくとってくる技術は何かあるのですか。
西野 今のところは,本人からとってくるというところまではいっていません。逆に,自分の生まれた時の羊膜細胞を保存しておいて,それを使うという時代がくるかもしれませんが。

再生・移植の研究体制

いろいろな問題

伊藤 Bjorklundが初めて細胞移植に成功したのは1979年で,その後世界中でかなり行なわれていますが,研究の進め方などでいろいろ不満をお持ちと思うのですが。
西野 私が不満に思っていることは,外国に比べて,日本ではなかなか進まないことです。例えば,体の一部分を移植することに対するアレルギーといいますか,かなり東洋的な考え方が背景にあると思います。生体移植はかなり行なわれていますが,脳死後の臓器移植はなかなか実施できないという問題がありますから。
高坂 私は少し別の見方をしています。パーキンソン病の移植治療が最も進展していますが,どう考えても根本的な治療にはなっていないと思います。しかし,現実に効いているのはなぜかということが問題ですが,基礎的な研究があまり進展していないので,フラストレーションが溜まっています。最近になって,副腎髄質細胞とGDNFを一緒に入れる実験が,ようやく流れになってきたと思います。私が以前から考えていたのは,移植した時に傷ができることによって,おそらくそこから何らかの因子が出て,黒質のドパミン神経細胞があまり死ななくなってしまう。あるいは生き残っているものが発芽を起こして,一過性に症状を改善させているのではないかと思っていました。ですから,よく考えてみると,移植の細胞というのは,必ず線条体に入れているわけで,細胞体がないようなところに細胞を補充して治った例はないし,場所が場所だけに誰もそうした実験はできないですね。だから,少し基礎的な研究が途中飛ばされてしまったのですね。
西野 GDNFの仕事もメカニズムということではないわけです。いかにサバイバルを高めるかという問題ですね。それは今まで一貫したテーマで,先ほど川口先生が指摘されたように,いかによい条件で,若い細胞を植えるかということです。そのために栄養因子なり,ガイダンスなり,いろいろ方法が考案されていると思います。
 移植は予防でもないし,もちろん根本的な治療法ではあリませんが,現実的に,しかも積極的に組織を再構築できる方法は,今のところ移植しかないと思います。その中に,高坂先生がご指摘のようないろいろな問題点を含んでいるわけです。
高坂 GDNFを入れて,非常に長く効果を出してきたのは大変な仕事で,死にゆくホストの細胞をある程度長生きさせて,しかもドパミンを補充できる。これはかなり理想に近い治療になり得ると思います。
伊藤 川口さんは何年も大変な仕事をされてきましたが。
川口 伊藤先生のご尽力で,脳の研究に対する研究費の面ではずいぶん恩恵を受けていますが,マンパワーの面での研究基盤は貧弱です。日本の大学は雑用がたくさんあって,研究に専念できる時間が少ないですし,1つの講座を構成するスタッフの数が少ないので,多くの研究者を抱え,雑用の少ないアメリカの研究所と太刀打ちするのは難しい。数年前に訪れたフロリダ大学の脊損センターでは,脊髄損傷の神経修復についての基礎的な研究に従事している研究者の多いことに圧倒されました。フランスでは脊髄損傷の研究を推進するために,Institut pour la Rechereche sur la Moelle Epiniereという研究機構を作り,大学や研究所の間の連携を図っております。研究を推進するには,多くの研究者の連携と相互のinteractionが重要ですが,わが国ではその点が遅れています。

移植治療の可能性

伊藤 インフラが不足していますね。
西野 先ほどのテラトカルシノーマですが,細胞株を持ってこようとコンタクトしたらしいのですが,日本の製薬会社はまったく乗り気ではないようです。ベンチャー性に対するドライブが低いのでしょう。
伊藤 そういう細胞を売り込んでくるでしょう。まず動物に使ってみるのはいいのだけれど,人間に使うとしたらどうすればいいのか,最初の取っかかりはどうなのでしょう。まず動物実験をして,それを根拠に申請してということになるのが,それがなかなか進まない。アメリカのような研究室の作り方だと,臨床の研究室にPh.D.が行って,動物実験のところはみんながカバーしてくれるから,医者は人間に移すところができれば済んでしまうんですね。その辺の体制がだめですね。
高坂 脳死の問題とつながりますね。
伊藤 日本ではパーキンソン病の移植治療をしていますか。
西野 和歌山医大と岡山大学でやっています。後者は副腎髄質組織を使っています。
伊藤 他の病気はどうなのですか。
西野 まだ1年ぐらいのフォローアップですが,ハンチントン病の治療に線条体組織を移植した報告が数例あります。
伊藤 アルツハイマー病は難しいでしょうね。コリン作動性の細胞でいいのかどうかはわからないでしょう?
西野 わかりませんが,戦略としてはそれしかないのではないでしょうか。
伊藤 日本では梗塞はあるのですか。
西野 動物ではやっていますが,ヒトではありません。
伊藤 これはたくさんあるでしょうね。
西野 症例はものすごく多いですから。
伊藤 入れる細胞は何ですか。
西野 線条体の虚血・梗塞であれば線条体細胞を入れます。動物実験では,一側の頸動脈を結紮しますと他側は残っていますから,血流は少し落ちる程度ですが,そのあと8%ぐらいの酸素にして,2時間ぐらい低血流・低酸素下におきますと,大脳皮質の細胞がやられます。ちょうど出産時に長引いて酸欠になりますよね。そのモデルを作って,大脳皮質を移植することで,運動機能がよくなった例はありますけれど。
伊藤 高坂先生,グリアの移植などは意味はないのですか。
高坂 グリアの移植は,それ自身はあまり意味がなく,栄養因子を供給させてやるとかという考え方だったらいいと思います。そういう意味で現在注目されているのは,藤田保健衛生大学の澤田誠先生のグループの仕事で,ミクログリアを遺伝子治療の介在する細胞として使います。末梢にミクログリアを入れると,その細胞が末梢から脳に入っていく。したがって,その細胞をあらかじめ遺伝子でいろいろなものを入れておけば,末梢で注入するだけで脳に到達させることができます。
伊藤 グリアの機能が悪くなって起こっている病気というのは何ですか。
高坂 それを知りたいのです。おそらくそういったものがぽつぽつ出始めていい頃だと思います。ニューロンの機能を維持するためには,ニューロンとグリアの相互関係は大切だと思うのですね。
西野 最近,中大脳動脈の虚血再開通モデルを作って調べてみますと,虚血の中心巣より少し離れたところでは,グリアがまず死にます。ニューロンは生きているんですよ。虚血後,再開通しますから,いろいろなラジカルが産生されますね。グリアにはラジカル清掃作用があって,水酸基ラジカルなども壊しますから,それがたぶんオーバーワークになるのだと思いますが,染めてみるとGFAP陽性の細胞が完全に消えてしまっている。片や虚血境界部では神経膠症がものすごく起こっています。その境界部より少し内側ではアストログリアが消失し,錐体細胞は残っています。
 また,その少し近傍を調べると,1つのグリアが存在していると,その下にはニューロンが必ず存在していて,グリアとニューロンの生存は密接に関連しています。ところが,あるところではグリアが消えてしまってニューロンだけ残っています。このニューロンは当然死んでいくわけでしょうけれどね。ニューロンは非常に弱いと思っていましたが,考えてみると80年生きるわけで,グリアのほうは死んでしまっても,またできてくると考えれば,ある局面ではグリアのほうが弱いと言えます。
石川 動物実験では成功したのですか。
川口 G. Raismanらが,脊髄の損傷部に嗅球のensheathing cell(グリアの一種)を移植すれば,その細胞が錐体路の軸索にミエリンを巻き,再生を促進し,再生した錐体路によって機能回復が起こることを報告しています。

神経組織の再構築

伊藤 神経組織の再構築というのは,どの程度うまくいくものですか。
西野 ドパミン細胞を線条体の中に入れると,入力および出力シナプスがきちんとできます。これはもちろん,正常な脳におけるような黒質からの入出力ではないのですが,皮質の,あるいは視床性の入力を受けて出力線維を出します。すなわち微小な神経回路が形成されます。
伊藤 高坂先生はずいぶん培養をやっておられますが,組織まで作ろうという計画はないのですか。
高坂 非常に単純化された局所的回路の再構築であれば可能だと思います。もう少し大きな意味で,マスとしての回路の再構築となると,先ほどから出ている幹細胞しか考える手段がないと思いますね。肝臓などですと,先生がおっしゃったように,培養で全部再構築するという動きがあります。
伊藤 小脳などは金太郎飴みたいにどこをとっても同じようなものだから,それを作っておいて学習すれば,自己組織化をもう1度組織的にもやるし,学習で回路網の構成もやらせてしまえば,また元に戻るだろうということですよね。Nirenbergが網膜の培養で網膜の再構築をするといって,もう何十年になるのかな。結局うまくいっていないのだから,いかに難しいかわかりますが。

将来の展望

伊藤 この分野はまだ新しいテクノロジーが必要ですし,クリアするのが難しい点がたくさんあるけれども,大筋のシナリオができてきたのは大きいですね。
西野 幹細胞の応用ができつつあるという点が,一番大きな最近の進歩ではないでしょうか。かつては,自然界に存在する細胞だけをドナー細胞として用いるという形でスタートしましたが,幹細胞が使えるようになり,それに栄養因子なり,目的とするトランスミッターの遺伝子を持ち込むことが可能となり,次の大きな夢が描けますね。
川口 最初に言いましたが,しばらく前までは神経生物学者の多くは,ラモニ・カハールが宣告したように,「脳は再生不能」という強固な壁に囲まれた部屋に閉じ込められて,その壁を壊わすことはできないと信じてきました。しかし,それは壁ではなくドアで,そこを開けてみたら軸索は再生可能という部屋があったということでしょうか。そしてその部屋は,神経細胞は再生不能という固い壁で仕切られていると思っていたら,それも壁ではなくドアで,そこを開けてみたら幹細胞があって,分裂能を持っている。神経細胞にも分化できるし,移動もでき,それによって失われた神経細胞を補充できるということでしょうか。
伊藤 倫理面の問題などもこれから大変になってくるでしょうが,幹細胞を使う限りはあまり問題はないのですか。
西野 ある意味では,cell bank的な形になっていくでしょうから,そんなに問題ではないと思います。ただ,どこに植えるかという問題はあるでしょう。運動系とか感覚系であるということだとまったく問題ないと思いますが,前頭葉までいくとちょっと問題あるかもしれません。
伊藤 終わりに将来展望を一言ずつお願いします。
西野 幹細胞を活性化して,目的にかなった遺伝子を持ち込む,そしてそれを増殖因子などでドライブして脳の中で育てあげる。細胞移植による局所の回路の再建と機能の回復をめざしたいと思います。
高坂 パーキンソン病を含めて,細胞移植や組織の移植がかなり有効であるということは定着したと思います。ただ,先ほどもいったように,なぜ効いているのかというところの解明がまだ納得していない点がたくさんあります。効いているからいいじゃないかではなくて,もう少し基礎的な研究を推進したいと思います。
川口 私は,ラットで脊髄損傷のモデル動物を作り,脊髄損傷によっていったん対麻痺になった動物の脊髄伝導路を修復して再び歩かせることも四肢が協調した状態ではたぶん可能で,それがうまくいけば,ヒトへのtranslationも可能であろうと思います。脊髄損傷を神経修復によって治療する,これはcentury dreamと言う人もおりますが,そのdreamが視界の中に入ってきたと思っております。わが国でもこうした研究を強力に推進できるような研究基盤,インフラの整備が望まれます。
伊藤 どうもありがとうございました。

 この座談会は,雑誌『生体の科学』(医学書院販売)で企画された「連続座談会(全3回):脳を守る-I.創薬,II.再生移植治療,III.遺伝子治療」のうち,「I.再生移植治療」を医学界新聞編集室で約3分の1に要約して再構成したものです。
 なお,引き続き「III.遺伝子治療」を再構成して掲載する予定ですが,全3回の全文は同誌第50巻1号(2月発売予定)に掲載されます。
〔週刊医学界新聞編集室〕


〔連続座談会〕 脳を守る 全3回の構成と出席者

I.創薬(司会=伊藤正男氏)

宇井理生氏(東京都臨床医学総合研究所所長)
板井昭子氏(医薬分子設計研究所所長)
大塚正徳氏(東京医科歯科大学名誉教授)
(編集)野々村禎昭氏(帝京大学教授)
第2321号に掲載

III.遺伝子治療(司会=伊藤正男氏)

豊島久眞男氏(大阪府立成人病センター総長)
小澤敬也氏(自治医科大学分子病態治療研究センター教授)
中福雅人氏(東京大学脳神経医学神経生物学助教授)
(編集)藤田道也氏(浜松医科大学第2生化学教授)
第2326号に掲載