医学界新聞

 Nurse's Essay

 「味方」は大事

 宮子あずさ


 年末に,夫の祖母が亡くなりました。享年83歳。80歳を過ぎてから透析を始め,それなりに元気に過ごしていましたが,この半年は脳梗塞で寝たきり。一進一退を繰り返しながらの最期でした。
 姑から急変の報が入った時,たまたま自宅にいた私はすぐに病院に駆けつけましたが,その他の親族はみんな仕事で外。他の親族が到着するまで,人工呼吸器の音が響く中,姑と差し向かいの時間が続きます。
 私と姑はふだんから,一人娘の心情を共有して連帯しているところがあります。意識のない母親に向かって,自分たち母子のさまざまな葛藤を懐かしそうに語るにつけても,同じ一人娘として,本当に胸が痛みました。
 親が望んだように生きなかった娘の,複雑な思いを姑は語ります。長く学業を積んだ娘が家庭の主婦で終わることを,母親は最後まで残念がっていたようです。
「私はね,幸せなお母さんになったからいいの。だから,おばあちゃんもみんなに囲まれて逝けるのよ」 母親に語りかける言葉には無理も力みもありません。
 私とは選択は違うけれども,この人のことをこれからも支えていけたらと,私は心から思いました。その言葉の裏にはさまざまな思いがあるとしても,私はあえてそこを深読みせず,彼女の「味方」でいるつもりです。夫と結婚して以来,私は強力な「味方」を得て,気持ちが安定しました。生きていく上で大事なのは,自分を受け入れてくれる「味方」だと思うからです。
 病室がなんとなく淋しい色合いになった時,孫である私の夫が到着しました。よほどあわててきたのか,口元にソースをたっぷりつけて。
 その見苦しい姿に私は,心から恥ずかしくなりました。
「何それ!口のまわりがソースだらけ!それで電車に乗ってきたの?」
「いや~,昼はトンカツだったから……」
 そんなことは聞いてない。断じて聞いてない。いつも彼はこう。真剣な場所で,思い切りはずすんです。姑と2人,声をひそめて笑ってしまいました。
「きっと,『おばあちゃんのあの時は……』ってずーっと話が出るわよ」と笑いながら姑。
 緊迫した場面でも不思議に落ちがついてしまうのは,これまで見た患者さんの最期とあまりにも同じ。この笑いもまた,大事な「味方」なのかもしれません。見方によって,きっと「味方」は増えるのです。