医学界新聞

連載
経済学で医療を診る

-医療従事者のための経済学

中田善規 (帝京大学医学部附属市原病院麻酔科講師)


第2章 市場,需要,供給
 -なぜ外来はいつも混雑するのか?

日常の外来診察

 日本中の多くの病院・診療所で見られる光景ですが,外来診察の待合室はいつも混雑しています。患者の立場に立てば,待合室で数時間待たされることも稀ではありません。待たずに診てもらえるようにと整理券を取りにいくと,今度はその整理券のために待たねばなりません。しかしそこまでしてやっと医師に会えても,診察は数分で終わり,何か腑に落ちない気がします。いわゆる「3時間待ちの3分診療」です。
 また医師の立場に立てば,患者は怒涛のように押し寄せます。朝外来に行くと,診察開始時間前から大勢の患者が待ち構えています。診察中の無駄な時間を節約して,どんなに頑張っても患者はなかなか減りません。午前の診療が終わるのはいつも午後2時頃で,昼食もまともに取れません。こんなに努力しているのに,患者は「診察時間が短い」と文句を言いたげ。世の中何かがおかしいと思いながら,午前中だけで50人以上診察する医師もいます。
 どうしてこのようなことが日常的に起こるのでしょうか。考えられる理由をいくつかあげてみました。
(1)「病人・患者が多すぎる?」 しかし日本は世界有数の長寿国で,乳児死亡率も世界最低です。国民全体としてみると非常に健康であるといえます。
(2)「医師が少なすぎる?」 確かに数十年前は無医村など医療過疎地がありましたが,最近は医師過剰問題のほうが注目され,行政も医学部入学定員を削減するほどです。医師が少ないというのはどうも変です。
(3)「医師が怠けている?」 これはうちの父(もちろん医師ではありません!)がよく言っていた言葉です。医師は午前中の外来でしか働かず,午後はゴルフにでも行って遊んでいると父は信じていました。しかし言うまでもなく,現実はまったく異なります。たいてい医師は午後も手術・検査・入院患者診察などに忙殺されています。

経済学的分析の一例

 このようにしてみると,上述のどの理由もあまり説得力がありません。これを経済学の観点からみるとどうなるのでしょうか。結論から先にいうと「価格統制があるから混雑する」となります。
 経済学では医療サービスの市場というものを考えます。これは前回触れた「モデル化」です。そこで,前回述べた「完全競争市場モデル」を医療にあてはめてみましょう。まず,市場には需要と供給があります(下図参照)。縦軸に価格,横軸に医療サービスの量をとると,需要を表す曲線は右下がりになります。これは価格が低いほど消費者(ここでは患者)は多くの医療サービスを消費しようとするからです。また供給を表す曲線は右上がりとなります。これは価格が高いほど生産者(ここでは医師)は多くの医療サービスを供給しようとするからです。そして,この需要曲線と供給曲線の交点Eで市場が均衡し,需要と供給が一致し,市場価格が決定されます。
 さて,このモデルでは,誰も調節しなくても市場は均衡点に達します。図からわかるように均衡点Eでは需要量と供給量は一致し(図のq0),直観的にいえば,待合室の長い行列も,暇で患者のいない病院もなくなります。また医療サービスの価格も図のp0に決まり,p0だけ払っても医療を受けたいと思う患者だけが医療を受け,p0だけ貰えば医療を提供してもよいと思う医師だけが医療サービスを提供します。

価格統制

 しかし,現実はこれとは異なります。日本には診療点数制度があり,医療機関は診療点数で決められた以上の価格で保健医療サービスを販売することはできません。医療機関が法外に高い価格を設定するのを規制しているのでしょう。これが,いわゆる「価格統制」です。この診療点数で決められた価格が市場均衡価格(p0)であれば問題はないのですが,現実には均衡価格よりもかなり低いと考えられます。なぜなら,もし診療点数で決められた価格が市場均衡価格以上であれば,診療点数で決められた価格をつける医療機関には患者が来なくなるからです。その診療点数で決められた価格(価格統制された価格)をp1とすると,その時の需要量はq1となりますが,供給量はq2となります。図からわかるように,q1>q2となって,需要量が供給量を上回ります(過剰需要)。すなわち,待合室に患者があふれることになるのです。
 このように,市場均衡で決まる価格には需要量と供給量を調節して一致させる働きがあります。逆に政府の介入や診療点数制度で市場均衡価格から現実の価格がずれるようなことになると,需要量と供給量は均衡しなくなります。例えば,この価格統制のように実際の価格が均衡価格より低く抑えられると,需要量は供給量を上回ります。
 このモデルが正しいと考えると,外来の混雑は価格統制がある限り(すなわち価格が均衡価格から乖離している限り)なくなりません。患者の健康状態や個々の医師の働き具合いとはあまり関係ありません。さらに,現実には保険制度もあります。この医療保険制度は保険料のみならず税金等も投入されていて,患者は統制された診療点数の価格よりさらに少ない金額しか支払わないシステムです。これらがある限り,需要量が供給量を上回る事態は続きます。
 ここで,1つ注意点をあげておきます。以上の議論にはこのモデル化が妥当だという前提があります。厳密にいえば医療の市場は完全競争市場ではありませんし,他にもっとうまく説明できるモデルがあるかもしれません。この節の題が「経済学的分析の一例」となっているのはこのためです。しかし,前回も述べたように完全なモデル化は不可能ですし,この完全競争市場モデルが現実をある程度うまく説明しているのも事実です。

倫理的問題提起

 お金がないために医療を受けられないという事態は,現在の日本では倫理的に受け入れられないことです。なぜなら健康は誰にとっても最も重要なことだからです。現行の診療点数制度(価格統制)や医療保険は,こうした考えに基づいているのでしょう(それなら,薬の価格に差があるのも不思議な気がしますが…)。
 上の考察で見るように価格統制がある場合,価格が図のp1であれば需要はq1になりますが,供給はq2しかないので,結局どうやってもq1-q2の人は医療を受けられません。価格が自由に動く時には価格が医療を受ける人と受けない人に分けていましたが,価格統制がある時には別の要因が医療を受ける人と受けない人に分けるようになります。例えば,待合室で長時間待つ余裕のある人だけが医療を受けられるようになります。逆に,忙しく時間に余裕のない人は医療を受けることが困難になります。直感的には,退職して時間に余裕のある人は医療を受けられますが,働き盛りで忙しい人は医療を受けにくくなります。すなわち価格統制はお金の有無ではなく,時間の有無で医療を受ける人と受けない人に分けます。お金の有無で医療を受ける人と受けない人に分けるのは倫理的に受け入れ難いが,時間の有無で医療を受ける人と受けない人に分けるのは倫理的に正当ということでしょうか。その結果,働き盛りで忙しい人が医療機関を受診した時には,癌など病状が手遅れになることもあります。

やみ市場

 さらに,経済学では常識ですが,価格統制のあるところには必ず「やみ市場(Black market)」が発達します。医療も例外ではありません。例えば患者の中には,稀に主治医や手術執刀医に特別にお金を渡す人が見受けられます。また,外来待ちの順番を確保するために看護婦や事務員に付け届けをする患者も見られます。これらは,経済学的にはまさにやみ市場における「やみ価格」と言えるでしょう。これでは,お金のない人が安心して医療を受けられるように,という本来の診療点数制度や医療保険の目的が事実上骨抜きになりかねません。やや飛躍しますが,経済学の上では,ちょうど,統制価格よりも高い価格で米が売買されていた終戦直後の日本の米のやみ市や,日用品を買うために役人に賄賂を贈るのが当然となっていた旧共産主義国などの事態と似た現象と言えます。
 このように,医療で価格統制を行なうことが倫理的に完全に正しいかどうかは経済学的な観点からは疑わしい部分がないわけではありません。ここでは以上のような問題提起にとどめておいて,これよりさらに深い考察は個々の読者に委ねることとします。しかし医療保険改革などが話題になっている現在,この問題はもう一度じっくり考えてみるべき問題かもしれません。

まとめ

 以上,外来の混雑を例にとり,市場,需要,供給および価格について考察しました。これはミクロ経済学のごく基本的部分の応用です。さらに詳しく知りたい人はミクロ経済学の教科書等をご参照ください。